NAOコーラスグループ主宰 近藤直子のお便り
 

平成16年12月吉日

 今年もあとひと月を残すばかりとなりました。1月25日に「バッハ名曲チャリティーコンサート」を越谷のサンシティーで、また4月11日にロッチュさんとの「バッハ名曲コンサート」の本番を新宿文化センター大ホールにて行いました。7月には「海の日ジョイントコンサート」を西新井文化ホールにて、また本番は10月9日の暴風が首都圏直撃のさなか新宿文化センター大ホールで近藤直子指揮による「テレーゼ・ミサ曲」を演奏いたしました。そして同じ16日には新宿区の「音楽・コーラスの集い」にも参加しました。
 ドヴォルザーク作曲による「スタバト・マーテル」の練習が新人の方も迎えて本格的に始まりました。練習を重ねる度にその音楽の美しさに魅了されます。皆様にとって新年がよき年であるよう願いを込めて歌い納めたいと思います。

 

平成16年12月末日

 ドヴォルザーク作曲「スタバト・マーテル」の練習も早2ヶ月が経ちました。新しく合唱に参加された皆さんも10名になりました。譜読みは新しい箇所と復習とを合わせて実施していますので、途中からの参加のご希望がありましたら是非この機会にお勧め下さい。
 また、コンサート曲の練習が合唱の応用なら「声を育てるエクササイズ」と「合唱基礎講座」の教室は合唱センスの基本を身に付ける時間です。身体という楽器のメンテナンスはあくまで基礎練習にて可能となりますので、発声の上達も含め上記教室へのご参加をお勧めします。
 何かと慌しい年の瀬、皆様には御身体を大切にお過ごし下さい。新年へのカウントダウンに身を寄せながら2005年が「災」転じて「福」となりますよう祈念します。

 

平成17年1月末日

 「スタバト・マーテル」の試演会の概要が決まりました。4月9日(土曜日)、西新井文化ホール(観客席数900席)です。観客動員のため1部、2部の構成で前半にソロ歌手によるステージを交渉中です。「スタバト・マーテル」は90分もの大作であり、7月は第一線で活躍中のマイストロ及びオーケストラとの共演になりますので、是非この試演会で実力を発揮し本番に臨んで下さい。全員参加の心意気で練習に磨きをかけてください。
 なお、昨年ザルツブルクの演奏会の予定をアンケートで取らせていただきましたが、現地の事情により難しくなったとの連絡がありました。折角の機会でしたがご協力ありがとうございました。なお今後は有志ということも含めて、別途海外ツアーも検討していきたいと思います。あらためてご案内申し上げますのでよろしくお願い申し上げます。

 

平成17年2月末日

 いよいよ3月です。森羅万象、生命の息吹が脈動する季節です。4月のコンサートでは1部にゲストに井上あずみさんを迎えてのステージがあります。2部は待望のドヴォルザーク作曲「スタバト・マーテル」の演奏会です。クラシックもポピュラーも親子で鑑賞できるコンサートというのも今回の特長です。どれだけ多くの観客の皆さんにご来場願えるか楽しみです。
 7月23日(土曜日)の本番は午後6時30分、新宿文化センター大ホールにて開演となります。7月19日(火)と22日(金)がオケ合わせですが、場所や指揮者合わせほか詳細は追ってご連絡致します。また、海外演奏会(有志)および次回公演(モーツァルト「レクイエム」予定)につきましても、日時や予算などの調整が出来次第インフォメーションします。

 

平成17年3月末日

 いよいよ「マリア・コンサート」です。今回の演奏会の会場になる足立区内で日頃介護などのボランティアに従事している人たちを招待しました。楽しく感動のある一時を過ごしていただければと思います。また、6月の「第24回新宿祭」は本番のPRを兼ねたショートプログラムの演奏会です。7月の本演奏会のソリストも出揃いました。4月中にちらしを配布します。
 前回でもお知らせしましたが、次回の公演はモーツァルトの「レクイエム」です。近藤先生がドイツ留学後に日本で本格的な音楽活動を始めて15周年になりますが、その記念演奏会となります。1,2部の構成になる予定でもう1曲と合わせて8月より練習を開始します。公演日は3月12日(日)で文京シビック大ホールの予定です。

 

平成17年4月末日

 西新井文化ホールでの「マリア・コンサート」は1階席が満席となり無事演奏会を終えることができました。アンケートでもコーラスの美しさにお褒めの声を幾つか戴いております。
 7月のスケジュールも調整が進んでいます。13日から練習がほぼ1日置きに続く予定です。
 指揮者のH.マイナルドゥスさん、オラトリオ・シンフォニカJAPAN(代表・前川さん)の演奏家の皆さん、ソリストの山田英津子さん(S)・橋本恵子さん(А)・高橋 淳さん(Т)・安藤常光さん(B)との共演も大変楽しみです。
 5月よりチケットの告知をしますが、是非とも多くの観客のもとでのコンサートにしたいと熱望しています。NАОコーラスグループの結束をあらためてお願いします。

 

平成17年5月末日

 暦の上では、はや立夏も過ぎましたが、そろそろ梅雨前線が気になるこの頃です。
 さて6月4日は新宿の合唱祭。ショートプログラムとはいえ本番への道筋が開拓できればと思います。ここに来て、「声を育てるエクササイズ」や「合唱基礎講座」への問い合わせがしばしあります。講習に参加された方の変化が日増しに現れるせいなのか、周りの方々から「どんな練習をしたの?」と不思議がられ、その秘密を知りたがっているのだそうです。
 昨今、子供の学力のことが話題になっていますが、「声」についても基礎から発展していく過程が重要です(季刊「合唱表現」の最新号でもふれました)。過程を一つ一つ積み重ねていくことでつながりが出来て、伸びやかな張りのある自分本来の声が開花するのです。

 

平成17年6月末日

 いよいよ7月の本番です。S席は完売しましたがА席にはまだゆとりがあります。「新宿文化国際交流ニュース」の最新号にも広告掲載しました。当日はホール一杯響きのあるコーラスを届けたいですね。
 6月26日(日)、「全日本合唱連盟正会員講習会」(主催は同北海道支部釧路合唱連盟―小飼久司理事長)が釧路プリンスホテルで開催されました。近藤先生が講師として招かれ、170名を超す受講者のもとで「声を育てるエクササイズ」(1部)並びに「合唱基礎講座」(2部)の公開レッスンを行いました。
 釧路近郊の各合唱団の団員さんはもちろん高校の合唱部の生徒さんなど各地から参加していただき、最後は副教材に用いたモーツァルトの「レクイエム」から「ラクリモーザ」を混声合唱で歌い上げ、この日の楽しい講習会を終えることができました(近日中にHPでもご報告します)。

 

平成17年7月末日

 本番当日のゲネプロの最中、ホール舞台中央の集音マイクが振れ全体に大きな揺れを感じました。東京地方で震度5の地震があり、公演も諸事情を考慮し30分遅れでスタートしました。このような状況のなかで1000人弱ほどの皆様が様々に交通機関を乗り継いでご来場いただきました。本当にありがとうございます。
 マエストロよりプレ・トークでもお話がありましたが、今回の演奏ではドヴォルザークの「スターバト マーテル」の大きなテーマである「優しさ」「美しさ」を、スラブ音楽特有の自由で伸びやかな感受性とともに演奏者がどう表現できるかが課題でした。
 演奏後のアンケートでは「感動の渦でした。絶望の第1曲目は涙が出そうでした。大きな波のうねりがおしよせたり穏やかななぎになったり・・・」「至福の時間をありがとうございました」「合唱、独唱、オーケストラ、どれも素敵でした」「指揮者が良いので、素晴しかったです」など激励やお褒めのお言葉を多数頂戴しました。感謝します。
 次回は海外演奏会などを挟み合唱指揮者・近藤直子が本格的な活動を始めて15周年の演奏会になります。引き続き皆様の心温まるご支援をお願い申し上げます。

 

平成17年8月末日

 7月23日(土)新宿文化センター 大ホールで開催の「スターバト マーテル(ドヴォルザーク)」演奏会のライブCDが出来ました。演奏会の当日にオケの方で赤ちゃん誕生の朗報があった一方、演奏会後に団欒された団員の知己の方が急逝されるなど、本当に地震だけでなく様々な思いが凝縮されたコンサートでした。
 夏休みも終わり、次回演奏会に向けて本格的な練習に入っていますが、既にお知らせしましたようにこの秋にリフレッシュのための合宿を行います。会場は都会から少々離れますが、毎回そこから通っていただいていますバスの渡邊さんにはこの度はいろいろと便宜をはかっていただきました。
 なお、いろいろな方から当方のHPを楽しみにしていただいているとお話がありました。どうぞ情報収集だけでなくコーラスにも参加して下さい。テノール、バスは少ないのでその分密度の高い練習が可能です。

 

平成17年9月末日

 気候の変わり目、体調が気になる時期です。声との関わりから健康面でのアドバイスも多くなってきています。相変わらずブームなのでしょうか、健康について様々な情報がテレビや新聞などで伝わります。それはそれで結構なのですが、膨大な点数を抱える書店を回る内に本を読む気力が薄れてしまうのと同じように、情報を得るばかりで大切なご自身のことが忘れられてしまいがちな傾向が見られます。
 「声を育てるエクササイズ」ではまずご自身の身体の状態に気づいていただくことから始めます。これが意外と難しいようで早合点したり途中であきらめてしまう方がいらっしゃいます。長い人生の内で頑丈に築き上げたはずの身体へ、"ゆるみ"を与えることにはためらいがあるのでしょうか。凝り固められた身体では既に神経自体が鈍くなっていて、基本をなす骨格および呼吸の機能に気づくことは厄介です。1,2回のエクササイズだけではきっかけをつかむのが精一杯なのかもしれません。今話題の定年で仕事から開放される皆さんには、是非この"ゆるみ"を見出すことに関心をもっていただきたいものです。

 

平成17年10月末日

 2005年10月21日、NАОコーラスグループ海外演奏の旅に参加の一行は、半日以上のフライトを経てザルツブルクに到着。翌日午後に指揮者/ベルントハルト・グフレーラーさんのもとで、フランチスカーナ教会合唱団並びにオーケストラ・プロムジカ サクラとのリハーサルに臨みました。オーストリアでも有数な都市、ザルツブルクは町全体が世界遺産に指定されており、中でもフランチスカーナ教会は最も古い教会で、この度はそこでのミサにコーラスとして参加する機会を得ました。
 23日(現地)の当日は晴天に恵まれ早朝より教会の鐘が鳴り響き大勢の方がミサに参列されました。NАОコーラスグループ海外演奏の有志一行も、シューベルトの「ト長調ミサ曲」を教会最上部より東京での練習成果も発揮してお届けしました。また、ミサの中で神父よりご紹介があったのは感激でした。その後の懇親会では日本からのプレゼントを手渡し、一方で教会の方の手作りのケーキをいただき、日本の歌も1曲披露して演奏の余韻を楽しみました(写真等はHPに近日中に掲載します)。

 

平成17年11月末日

 11月19日~20日、NАОコーラスグループの合宿を大田原市「ふれあいの丘」にて実施しました。
両日とも快晴で紅葉の見頃となりました。多数の参加のもとで充実した時間、空間、練習の場を共有で
きたかと思います。また初日の夜の親睦会では貴重なお話をいただき参考となりました。
 7月の「スターバト・マーテル」の演奏会後に「ト長調ミサ曲」と「レクイエム」の譜読みを始め、4ヶ月弱でほぼ全曲に目を通したことになります。当初は経験者のリードもあって進められた練習でしたが、今回の合宿ではコーラスも均質化されており全体の方向性が見えるものとなってきました。
 とはいえ、初めての状態で練習に参加した団員も多くいますので不安を抱えているものと察します。今回の合宿に参加出来なかったことがハンディとなるのではとの心配の声も聞きましたが、合宿のなかでもお話ししたように合唱は全体でつくるものです。特に音楽の大きな波の中にいる実感が大切です。これからはこうした感性をベースにコンサートに向けての仕上げをしていきたいと思います。
 なお合宿中に足立区合唱連盟の相良文明理事長の訃報がありました。慎んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

平成17年12月末日

 今年も押し迫り何かと気忙しい毎日ですが、音楽の世界では2006年のモーツァルト・イヤーを迎えてコンサートも目白押しで各ホールともスケジュールの調整でしのぎを削る状況にあります。NAOコーラスグループにも影響が出ていて、本番・練習ともに会場の確保が急務の課題となっています。公共会場は年々自由裁量の幅が狭められる傾向にあり、コストを横目で睨みながらの活動が続いています。
 さて、2006年ですが、3月12日の文京シビックホール・大ホールでのモーツァルト「レクイエム」演奏会(NAOコーラスグループ第6回演奏会)を前にして、新年早々初めての試みでモツレクの交歓会を実施します。また近藤直子音楽活動15周年でもあることから、12月に記念コンサート第二弾の準備を進めています。会場、演奏曲目もほぼ決まり新たな指揮者、管弦楽、ソリストの皆様との共演が楽しみです。
 そのほか本年に引き続き海外演奏旅行や合宿親睦会、音楽活動に関わる様々な催し・ご提案なども随時検討していきたいと思っています。
 今冬は一段と寒さが増しているようです。風邪など引かれませんようお身体には十分注意をして新年をお迎え下さい。本年も皆様と楽しい音楽活動が出来ましたことを感謝いたします。

 

平成18年1月末日

 新しい年(丙戌)の始まりです。1月15日には私たちNАОコーラスグループと足立区の芸術文化活動団体「歓喜の演」合唱団とが生誕250周年を迎えたモーツァルトの「レクイエム」を互いに合唱し、聴きあうという交歓会を実施しました。講評は足立区生涯学習振興公社の遠田さん、21世紀ADACHI芸術文化共同制作プロジェクトの山下さん、足立読売編集長の中川さんにお願いしました。場所はギャラクシティです。各々100名を超す合唱団員による公開レッスンに舞台は本番さながらの臨場感が漂い、お三方による講評もいつになく熱いものがありました。
 合唱指揮はどちらも近藤直子ということで出来た試みでしたが、たとえ同じ曲目でも演奏家によって趣が変わります。今回は区民などを対象とした公募によるこの曲のための合唱団と、アマチュアながら経験を積んだNАОコーラスグループです。それぞれの成り立ちから積み上げてきたものがそのまま演奏に現れました。この度の練習成果は本番でもって遺憾なく発揮されることでしょう。来る2月26日(土)、西新井文化ホールで大島義彰先生の指揮による「歓喜の演」の「レクイエム」が、また3月12日(日)は私たちの演奏会が文京シビック大ホールであります。皆さんのご来場をお待ち申し上げております。

 

平成18年2月末日

 2月は逃げる、3月は去るとかいうそうですが、一雨ごとに春の息吹が感じられる此の頃です。さて、いよいよ私たちの本番も間近になりました。一つの演奏会を創り出すのは本当に根気のいることです。その間には様々な出来事がドラマの一場面を見るかのように現れます。ただドラマと違うのは脚本がないことです。
2月26日、足立区の西新井文化ホールで「歓喜の演Vol.5」の公演がありました。全国的に雨模様の天気でしたが、チケットが早々に完売だったので当日も大変混み合っていました。この合唱団とは本年早々に「モツレク交歓会」を行い、良い意味でのエールの交換ができたかと思います。
 先日ある新聞社の方から取材があり、私の15年の軌跡についてご質問がありました。あらためて自分を見直すというのは、本を書いた時と同じで随分と勇気がいります。それこそ楽譜を見るのが初めてという方々に合唱しませんか、本番の舞台にだって上がれますよ、プロの演奏家との共演も夢ではありませんなどなど・・ちらし配りから私の音楽活動は始まりました。演奏は決して才能溢れる人のためだけにあるのではないと確信していても、時折挫けそうになることもあります。どうしてもっと勇気を出して歌えないの、お願いだからよそ見しないで音楽の中にいてよとか・・・。
 でも足立での大島義彰指揮によるモーツァルト「レクイエム」を合唱団が歌いきった時、率直に「よくやったね」との感想を持ちました。今度はNAOコーラスグループの演奏会です。私の歴史を刻んでいる合唱団でもあります。今度もきっと皆様の期待に応えてくれると信じています。

 

平成18年3月

 3月12日、記念すべきコンサートは無事終了しました。舞台では私も含めて演奏者はいたって落ち着いていたと思います。
 文京シビック大ホールに千人を超えるお客様のご来場をいただきました。演奏後フロアースタッフの方からお帰りの際のお客様の表情がとても柔和に見えましたとの話がありホッとしています。また、100を超えるアンケートをいただきました。「ト長調ミサ曲」の美しさにお褒めのことばをいただいております。モーツァルトの「レクイエム」はインターナショナルな演目だけにNAOらしさをどう引き出せるかが課題でしたが「迫力のある演奏だった」とのコメントにニンマリです。今回のオーケストラは少数精鋭の編成ながら、バイオリン、トロンボーンなど光った音色に観客も魅了されたようです。私のお勧めのソリスト!も好評でハーモニーの真髄を見事に演出し、かつ独唱の余韻は大ホールを包みこんでいました。益々のご活躍を楽しみにしています。
 打ち上げでは多くの皆様からお祝いのお言葉をいただきました。ありがとうございます。また、いろいろな方より合唱についてお話がありました。合唱の楽しみはまずは音楽の中にいることを実感し、団員の一人ひとりが声を育てていくことで更に音楽が創り上げられるところにあります。臨場感溢れる生の音楽の魅力をもっともっと引きだしていきたいと思います。次回は12月の「クリスマス・オラトリオ」です。私が居たハンブルクでは毎年12月になると町のあちらこちらからクリスマスの音楽が響き渡り、なかでも溢れんばかりの人々の喜びを表現しているのがこのBACHの名曲です。15周年の節目に相応しい演奏会にしたいと思います。引き続きご支援の程よろしくお願い申し上げます。

 

平成18年4月

 荒川土手沿道の八重桜もそろそろ若葉に衣替えです。さてこの4月に3週連続木曜日開講の「あだち区民大学塾」に講師として招かれました。足立区のNPO法人「楽学の会」、教育委員会学校地域連携課、生涯学習振興公社の主催による講演会です。「歌は人生のパートナー ~ひびきあう合唱の魅力~」というのが講演タイトルです。
 1回の講演時間は2時間たっぷりあり、合計で6時間。それも私が専門とするボディ・ワークよりもお話を中心にして欲しいとのことですから、さあどうしようかしらというのが本音です。原稿を用意するにしても仮に1分を原稿用紙1枚として計算すると1回分だけでも120枚ですから、短編小説が書けそうなぐらいの分量ですよね。
 ふだんの私はラジオのDJ並みのおしゃべりと言う人もいますが、本人は常々口下手だと思っているのでそう簡単なことではありません。あれもしておけば、これもしておけばと思っている内に当日が来てしまいました。今回のように講演だけというのは初めての経験でしたが初回は「音楽との出会い」というテーマでもあり、私の生い立ちから音楽留学にいたるまでの足跡に沿っての内容でしたのでパニックになることはありませんでした。
 2回目の講演は万全なる準備を心がけました。というのもある程度の原稿を用意していったのですが、講演の途中で原稿の順序が逆さまだったことに気づき、頭と口と原稿を探す手とがバラバラになってしまうという事態になったので、次からは手短にまとめたメモ程度のものを手元においてお話するように致しました。
 ちなみに受講者30名の定員に対してほぼ2倍の方のお申込をいただいたとのことです。このところ演奏会や団員の方の口コミで取材や講演などのお話がインフォメーションにも入るようになりました。私のこの様な活動からNAOコーラス・グループを知るきっかけになり合唱仲間が増えれば嬉しいかぎりです。

 

平成18年5月末日

 5月19日~24日にかけてNAOコーラスグループ(有志)でプラハ演奏の旅を致しました。プラハはちょうど春の音楽祭でしかも花がとても綺麗な時期でもあります。21日午後7時(現地時間)よりサルヴァトール教会での演奏会に共演しました。曲目はモーツァルトの「アヴェ ヴェルム コルプス」と「レクイエム」です。演奏は若手でありながら国民劇場の第1指揮者J.カルベツキー、ソリストも国民劇場の歌手の面々、ヴィルトォーゾプラハ管弦楽団、プラハラジオ放送響合唱団とNAOコーラスグループです。プラハ城やカレル橋、旧市街地を散策中、今回の演奏会のポスターが数箇所掲示されており思わず記念撮影をしてしまいました。当日は教会での演奏会で有料にもかかわらず(ご招待も含み)300人ほどのお客様がご来場されました。旅行の行きがかりで入場された方も1/3いらしたそうです。いずれにしても目の前の通常ミサのための席はいっぱいで、東洋系の方もちらほら見受けられました(HPの写真を参照下さい)。3月の文京シビックホール以来の舞台です。出演者には事前にエクササイズの時間を作り歌の身体の感覚を取り戻して頂きました。
 私もザルツ同様今回もアルトで参加しました。GPでは教会の残響が普段の劇場よりあるので子音をもっと出すこと、指揮者をよく見て揃える様にと指示がありました。放送合唱団の方はプロには珍しくほとんどの方が暗譜で全く正確に自由自在な声で歌っていました。日本で市販されている海外演奏者によるCDのような世界的レベルの舞台に参画できているという体感は大変に得がたい経験です。演奏終了後、邦人の方ほか感動のあまり涙したとの観客の方のお話をいただき「やって良かった」との思いを強くしました。私達の演奏の旅の特長は演奏会と、さらに観光も参加者一人ひとりの自主性を発揮していただくことを目的としています。自分の足で歩く音楽の旅です。今回もプラハの町を存分に楽しむことが出来たとの感想を参加者の多くの皆様から寄せられました。関係各位にはあらためて御礼申し上げます。

 

平成18年6月末日

 6月10日(土)、第25回新宿合唱祭に参加しました。本年12月24日(日)に新宿文化センター大ホールで公演しますバッハの「クリスマスオラトリオ」から、第1曲目の合唱をピアノ伴奏でお届けいたしました。出演順はプログラムの最後、36番目の舞台です。場内には1/4ぐらいの観客が残られていて、参加合唱団の方々にも聴いていただけたようです。
 「Jauchzet,frohlocket,」で始まるこの曲は、「歓喜せよ、大いに歌おう」とためらいや悩みも吹き飛ばしてしまうコーラスの真髄を表現した作品でもあります。合唱の各パートにはバッハ特有の遊びが散りばめられており、もっとも歌う方からみればその落とし穴にはまらないようにリズムや音程を正確にしておく必要があります。
 モーツァルト「レクイエム」の演奏会の終了した3月下旬から練習を始めて、いよいよピッチを早めていくいまの段階に短時間であれ舞台に上がる機会を得たことは大変意味あることと感謝しています。また、私達の演奏を聴いてくださり、一緒に歌ってみたいとのお問い合わせがあったとのことで一同喜んでいます。
 初心者の方にも合唱の練習時間帯ではやりきれない一歩踏み込んだ「声を育てるエクササイズ」や「合唱基礎講座」の教室が別途あります。いつからでも始められますので合わせてご利用いただければと思います。新譜による来年の練習(平成19年1月)から参加を考えている方にも最適です。
 NAOコーラスの皆様には既にお伝えしていますが、9月の合宿までには一通りを終えて、10月には足立の合唱祭や更に試演会をこなして本番に備えたいとスケジュールを組んでいます。お一人おひとりの調整をよろしくお願いします。

 

平成18年7月末日

 7月14日に綾瀬プルミエで「保育士のための声を育てるエクササイズ」講演会(足立区自主研究会スマイル主催)の講師をつとめました。足立区内の公立の保育士さんの有志が対象とのご依頼だったので、私が日頃行っている声を育てるためのエクササイズが今一番必要な方々だと思いお引き受けしました。ともかく子供を相手に多忙な毎日をこなされている皆さんです。週末になると声が嗄れるなどご自身のケアーも大きな課題です。
 前半は声と身体の基本的な知識について、声帯のしくみや発達など学会の資料も参考にお話しました。子供にとって環境はとても大事です。特に身の回りの大人は人間形成にとって大きな影響を与えます。声も同様で子供は大人の声を聴いて成長しています。大人たちが如何に充実しリラックスした自分らしい声で子供達に語りかけているか、表面的でない腹の底からの声(言葉)で子供達に話しているか、こんなことも子供には大きく影響しているのです。声とは奥深いものですね。
後半はご要望の多かったエクササイズを行いました。NAOコーラスの皆さんにはお馴染みのものです。僅かなエクササイズでもあっという間に効果が表れ、さすが常に子供達と一緒に過ごしている保育士さんです。その吸収力や感受性には驚きました。おしまいにぞうさんほか童謡にエクササイズを応用して子供たちと楽しむための実践もしてみました。
 幼児期の児童には昨今のカラオケで人気の曲よりも、子供の声の音域に合ったわらべ歌のような歌をこの時期にしか得ることのない大人とのふれあいの中で聞き合い、一緒に歌いたいものです。

 

平成18年8月末日

 今年も日本声楽発声学会の夏季研修に(一部だけで残念でしたが)参加致しました。合唱の指導をする立場にある私にとってはとても貴重な学習の時間です。特に音声生理学や解剖学の講座は実践面からのアプローチと相俟って、科学的根拠が実感できるところにこの研究の奥行きを感じます。
「声帯」をはじめ様々な筋肉の働きにより音声は発せられるものですが、歌の場合は更に意識的な身体全体の繊細な使い方を覚えることでより芸術性が高められます。その源泉になるのが呼吸であることは周知の通りです。呼吸は全ての人が毎日行っていますが、意図的にコントロールすることは決して簡単ではありません。昨今はカルチャセンター流行りで、雑学的に専門知識を増やすことを楽しむ傾向があるように感じられますが、その後に自身の実践努力と時間が必要と気が付かれる方も多いことでしょう。
NAOコーラスグループには合唱歴の長い方がおられ、その颯爽とした歌いっぷりと変わらぬ若々しさに感動してしまいます(私も年齢を重ねたということでしょうか)。まさに合唱が人生の一部になっているのですね。また、ここに来て体調を崩されお休みされている方もいます。早く良くなって欲しいと練習の中にその方の姿をついつい思い浮かべてしまいます。私の指導したある合唱団では松葉杖を使い不自由な身体を駆使して練習に臨まれた方がいました。本番では歌うことが出来ないとご本人は諦めていましたが、当日は晴れやかに演奏会の舞台に上がり歌うことの楽しみ、喜びを素直に享受されていました。その姿に多くの方が深い感銘を受け、いつまでも忘れることの無い存在となりました。
9月に「声を育てるエクササイズ」をベースにした健康についての講演の依頼が区からありました。つたない私の活動ですが、少しでも多くの方々の一助になればと願っています。

 

平成18年9月末日

 今回のオーケストラの代表でオーボエ奏者でもある佐野さんは多くの高校生に吹奏楽やオーケストラの指導もしていらっしゃいます。先日お会いした時に高校生に合唱曲に出てくるドイツ語の詩(例えば第九)の内容をどう教えるかが話題になりました。私の場合は人生経験豊富な方への指導が多いので内面的な内容は私よりも団員の方のほうが深く、あまり困りませんが、それでもより分かりやすくイメージをつかむ為に、たとえば映画のあるシーンとか美術館にある絵画とか視覚的なものと想像力を結びつけたりします。また、メロディーや和声から成る音楽そのものの表情に素直についていくと言葉を言葉以上に表現してくれるように思います。ミサ曲の場合は同じ歌詞が何度も繰りかえされることが多いので、コーラスがそのメロディーひとつ一つについている心象を声で表現することが大切なことですね。
12月の演奏会の第1部は久喜児童合唱団によるクリスマス・ソングです。指揮は池田弦氏(カウンターテノールでもご存知かと思います)で、合唱団はこの10月にハンガリー国立歌劇場日本公演『トスカ』(7公演)に出演とのこと。第2部「クリスマスオラトリオ」のマエストロはバッハ音楽に精通されている大谷研二氏です。管弦楽は経験豊富な東京シンフォニックアンサンブルの皆さん。ソリストはソプラノ・高橋節子さん、アルト・向野由美子さん、テノールは私たちの演奏会では初共演となります五郎部俊朗さん、バス・北村哲朗さんとバッハ音楽に造詣の深い方々が揃いました。NAOコーラスグループでは2003年4月にハンス=ヨアヒム・ロッチュ氏指揮による「バッハ名曲コンサート」以来のバッハプログラムです。今回の演奏曲目は私がハンブルク滞在中に慣れ親しんだドイツでは恒例の「クリスマスオラトリオ」です。合宿、合唱祭、試演会と準備を重ねて12月の本番に臨みます。素晴しい共演者の皆さん、お越しいただいたお客様と一緒にクリスマス・イブを祝えたらと思います。

 

平成18年10月末日

 この10月11日(水)に代々木上原の「けやきホール」で<ヨーロッパ 響きの花束>の歌曲と即興演奏会がありました。御案内にもありましたように米山文明先生(呼吸と発声研究会会長)とマリア先生(身体・精神療法士)が出会い「呼吸と発声」の研究交流を始めて20周年になります。今回はレティツィア、マリアンネ各先生(二人ともヨーロッパで歌手としても活躍中)も日本の研究生への指導・交流のため来日され、その記念に三人による本邦初の演奏会が実現しました。
私は米山先生との縁からマリア先生を紹介されて「Atem-Tonus-Ton」(呼吸からどのようにして声を導くか)を学びました。また合唱指揮者ですのでそのメソードをコーラスに応用しようと試行錯誤を重ねて今日まで研究普及の活動を続けてきました。今回の演奏会の収穫は「呼吸と発声」のエクササイズの目指す手本が実際に示されたことにあります。私の主宰する合唱団や教室からも多くの方が当日来場されたので(もっとも私は舞台監督のため皆さんにご挨拶することができませんでしたが)、日頃のレッスンで私が行い続けていることと結び付けて演奏会で実感していただければと密かに期待していました。
演奏会後、人の身体から出る様々な声の可能性と美しさに驚かれ、私の言っていた事がどういうことなのか少し理解できたという感想を多く聞きました。ホールに響く声に聴衆も包まれて一体となりその声がどのような中から生まれてくるのか身をもって実感できたのではないかと思います。身体が楽器というのは、ご自身の声を育てていくためのメンテナンスを常日頃心がける必要があるということなのです。今後とも「声を育てるエクササイズ」の更なる研究普及に取り組んでいきますので、NAOコーラスグループのメンバーはもちろん各方面の方々にも積極的に参加していただきたいと願っています。

 

平成18年11月末日

12月24日(日)に「近藤直子15周年記念コンサート」(NAOコーラスグループ主催)の第2弾としまして、バッハ作曲「クリスマスオラトリオ」の本公演を新宿文化センター大ホールにて行いますが、その本公演に先駆けまして江戸川区「タワーホール船堀 小ホール」にて<KleinesKonzert>(小さなコンサート)を開きました。
クリスマスオラトリオは日本ではまだ馴染みの薄い曲です。今回は本場ヨーロッパでは根強い人気をもつバッハの名曲に造詣を深めていただこうと、第1部~第3部までを合唱の部分の演奏とソロの部分をピアノとオルガンで演奏しながら日本語の歌詞と解説を入れて行いました。楽曲の理解を深める初めての試みで、本公演をより楽しむための予備知識的な工夫を凝らしたミニコンサートとなりました。ご来場いただいたお客様からも「このような演奏会もできるものだなと大変参考になった」「初めてクリスマスオラトリオの意味が分かった」「クリスマスが楽しみです」などの声をいただきました。
以前にもふれましたが、12月になるとヨーロッパではいたるところでクリスマスの装いに一変します。町のあちらこちらにクリスマの市場が出来、家々のもみの木は素朴な代々の飾りつけがなされるなど、各家庭で素敵なクリスマスの準備が施されます。ハンブルクも同様に町中が活気に満ち行く先々で教会から流れてくるクリスマスソングの中で、ひときわ喜びにみちて鳴り響いているのがこのたび演奏するバッハの「クリスマスオラトリオ」です。北ドイツのクリスマスは丁度懐かしい日本のお正月のように家族が皆集まり暖かく静かにその日を祝っているのがとても印象的でした。
人の世だけでなく自然環境も含めて想定外の事が起きる異質な時代を迎えていますが、せめてクリスマスの本質を理解して心穏やかに喜びを分かち合いたいものです。イブの演奏会には多くの方のご来場をお待ちしております。

 

平成18年12月末日

 12月24日(日)「近藤直子15周年記念コンサート」の第2弾は穏やかな天候にも恵まれ、大谷研二氏を指揮者に迎えてのバッハ作曲「クリスマスオラトリオ」公演も1000人を超す観客のもと無事終了することが出来ました。また第1部では友情出演の池田 弦氏が久喜児童合唱団の愛らしい子どもたちを率いてクリスマス・イブを飾る楽しい演奏を披露してくれました。
合唱団はこの演奏会に向けて地域の合唱祭をはじめ合宿や試演会と場数を踏んできました。10月にヨーロッパから来日した「声と呼吸法」の指導者たちによるコンサートにも多くの団員が足を運び、深い呼吸から生まれるコーラスを目標に練習したようです。試演会では「クリスマスオラトリオ」全体の内容を私の朗読も交え、伴奏者の献身的な協力も得て演奏の中から身に付けてもらうよう工夫を凝らしましたが、その後の練習に効果的だったとの話を多く聞きました(ヨカッタ!)。
「声が揺れてますよ」「音程が下がってますよ」・・・大谷先生からの注文が合唱団に飛んで来ます。合唱団は合唱指揮者の鏡ですからこの1年私が意識して指摘してこなかったことを見事に指摘されてしまい複雑な思いになりました。でもまたとないチャンスと考え一緒に頑張ったというのが本音です。実際本番ではマエストロのタクトに楽しみながら歌っている皆さんを見て何でも糧にしてしまうたくましさにあらためて感心しました。これからの練習が益々楽しみです。
ご来場いただいたお客様から「一大叙事詩を聞いている気がして壮大な気分でした」「カーネギーホールで同曲を聞いて来た夫が絶賛していました」「やはり人間の声は素晴しいですね」「感動しました(涙がでるほどでした)」など嬉しいアンケートを多数いただきました。電工掲示板での対訳が見やすく全体の様子が掴めたとのことや、アンコールでの「アヴェ ヴェルム コルプス」に涙したとのお話も随分といただきました。
あっという間の1年でしたがこの演奏会が本年の素晴しい締めくくりとなりました。どうもありがとうございました。

 

平成19年1月末日

 2007年亥年の始まりです。クリスマスオラトリオの残務整理をしながらもほのかにその余韻を楽しんでの年越しでした。元日、私の住む東京の足立は晴天に恵まれ初日の出を見ることができました。今年8月の演奏会の曲目はヘンデルの「メサイア」(英語版)です。ドイツ語版で2002年に歌っていますので、5月の連休までには一通りを通せるかなというのが私の構想です。もちろん初めての方もいますので、まずは練習に参加しコーラスの中にいる感覚を身に付けることで更に磨きをかけていってもらえたらと思っています。新しい人が沢山来てくれると嬉しいですね。
この26日にNAOコーラスグループ新宿の池田さんからメールが届きました。1月25日に駒込病院にて新宿グループの前島郁子様がご逝去されたとの悲しいお知らせでした。実は同じ新宿グループの尾沼さんから知らせを受けて、2日前の23日に演奏会ライブCDを持って病院へお見舞いにお伺いしたばかりでした。呼吸器はつけておられましたが、近藤直子だということもすぐ分かったようで、その視線はいつもの前島さんでした。「また、来ますね」と言いましたら頷いてくれました。
前島さんとは新宿文化センター主催の私が担当した合唱講座に受講されたのがご縁で、以来約10年間ご一緒に活動をして来ました。新宿グループでは会計を担当してくだるなど合唱団の大きな支えとなってくださいました。健康状態については当初よりいろいろとお聞きしていましたが、これまでの頑張りからも末永くと願っていたので非常に残念です。昨年12月お見舞いに伺った際には、舞台にはのれないものの演奏会には来て下さるとのことで、当日は本当に聴きに来てくださり、演奏会後に新宿グループの人たちと和やかな一時を過ごされたとお聞きしました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

平成19年2月末日

 私が地域の芸術文化の振興を目的に活動しているものの一つに「21世紀ADACHI芸術文化共同制作プロジェクト」があります。基盤を足立区内において活動しています。この2月25日(日)には「歓喜の演」の公演を西新井文化ホールで実施しました。その際のプログラムに代表ということで挨拶を述べさせていただいたものがありますので、ご紹介させていただきます。                                     ※
21世紀の幕開けと同時に始まった、活動の目的がとても分かりやすいプロジェクトの第一歩の事業が「歓喜の演」です。「歓喜の演」とは芸術文化の異なる分野での共同作業を通して、新しい出会いと歓びを多くの人々の参加とともに創り出そうとの趣旨から命名しました。思い起こせば立ち上げは今でも語り草となっている世界初演の邦楽による「第九」の公演からで、ミュージカルあるいは狂言や群読と管弦楽付き合唱のコラボレーションなど様々なテーマや形式をもった画期的な活動に発展しつつあります。このような新しい試み(区民と公機関による企画の立案・推進、公演の準備、舞台の転換・・・)が実現できたのもギャラクシティ・ホールの関係各位、とりわけ足立区生涯学習振興公社と舞台スタッフの市民文化活動に対する理解と惜しみない協力があってのことと感謝申し上げます。
第6回となる今回も公募により総勢で約150名の皆様が集いました。単に演目の規模や好みだけの参加でなく、区民の手で公演を創り上げよう、市民の財産であるホールをもっと身近に大切に活用しようという当事業の趣旨に共感してのものと心強く感じています。文化の裾野を拡げていくための日常の活動こそが質の向上につながり芸術性にまで発展していくものと確信しています。プログラムの協賛広告という形でご協力いただきました法人、商店、個々の方々、更に本日ご来場いただきました皆様を通して区内はもとより芸術文化のネットワークの拡充がはかれるよう、多くの共感が得られる「歓喜の演」の舞台創りになお一層の努力をしていきたいと思います。今後ともご支援をよろしく御願い申し上げます。

 
平成19年3月末日

 新年早々に足立区のある公立小学校の4年生の学年行事に講師の依頼がありました。学年委員長のMさんから、ちょうどクラス替えの時期なので4年生の思い出となるような行事にしたいとの要望でした。Mさんは私が「身体と声のつながり」の研究普及活動をしていることをご存知でしたので、近藤流の合唱指導で子どもたちと合唱を楽しみたいとお考えになったようなのですが、その内容を先生方や他の役員さんに説明できず困っておられました。
私にとって大学生や大人の方でしたら日常的にエクササイズの教室を開いていますので、プログラムを直ぐに組み立てることが出来ます。でも児童となるとふだん私がエクササイズでお話しているような解剖学的な説明をするわけにもいきません。まして今の教育課程の中では子どもにとっての「声」の学習は必要にもかかわらずほとんど確立されていないのが現状ですから、実際私たちの手で学習に結びつけた何らかのプログラムを創りあげなければなりません。
何度かインフォメーションで内容についてのミーティングを行いました。未だ人生経験の浅い子供達にとって生活観に結びつかない知識は理解が難しいこと、「呼吸と声」の関わりを体験的にしかも学習にも結びつく活動へどのようにもっていくかなど特有の課題がありました。そこで考案したのが「声あそび」のプログラムです。早速小学校に出向き直接お会いして提案しましたところ、学年の役員の皆さんや先生方の非常に協力的な対応がありすぐにご理解を得ることが出来ました。
3月に入り当日を迎えました。1学年4クラスで総勢120名を超す児童が体育館に先生の指導で集まりました。平日にもかかわらず児童に対して1割ほどの保護者がいらっしゃいました。息と声のつながりをテーマに5つほどの遊びを取り入れた45分間のプログラムです。子どもたちは思ったよりも遊びに集中してくれました。声は体を工夫して使うことで変化するという現象に面白がっている様子でした。フィナーレは「翼をください」の全員合唱です。子どもたちの歌声を聞きふだんからきれいな響きを大切に指導されているのだなと感じました。短時間でしたが声の面白さや、自分の声を好きになって大事にしてくれたら大成功です。いつかこの子たちが成長し機会を得て私たちとコーラスができたらと想いをめぐらせ小学校を後にしました。

 

平成19年4月末日

 大田原での合宿も無事終了しました。2日間晴天にも恵まれ練習会場の眼前に広がる緑豊かな広場では100匹ほどの鯉のぼりが泳いでいました。本年1月から始めたヘンデル「メサイア」の譜読みも合宿で一通り済ませたことになります。合宿に参加した団員の中には「メサイア」を初めてもしくは一部しか歌ったことがないという方もかなりいて、ふだんの練習で毎回ほぼ1曲をこなしていくペースに「とても不安です」との声もありました。
NAOコーラスでは2005年7月「スタバトマーテル」(ドヴォルザーク)、2006年3月「レクイエム」(モーツァルト)、同年12月「クリスマス・オラトリオ」(バッハ)と、ほぼ8ヶ月の間隔で管弦楽付合唱の演奏会を開催しています。ここ数年「試演会までは速いテンポで練習が進みますよ」という私の意向もだいぶ浸透してきたように感じます。今回も6月に越谷のサンシティ小ホールでチャリティー的なコンサートを企画しています。そのため合宿ではコーラス部分をともかく歌いきることで全体のイメージを共有してもらうようメニューを組み立てました。課題は多々残りましたが個々の目標や今後チェックしていく方向が見えてきたせいか、最終日の練習を終了した時の凛とした皆さんの笑顔に窓越しの鯉のぼりたちもエールを送っているように見えました。
この4月28日にインフォメーション主催による<呼吸法による 声を育てるエクササイズ>の第1回研究発表会を足立区内の音楽堂「ベルネザール」で開催しました。今回は13名の研究生による発表会で50人程のご招待の皆様を前に、ピアノ伴奏による独唱形式で各々が持ち寄った作品を2曲ずつ歌いました。本来持っている声を育てていくという実践的研究をしながら更にそれを歌に結びつけていくという大きな課題に取り組まれた皆さんです。基本的には約半年のレッスンでしたが、生まれて初めての経験に不安ながらもようやく発表にまでこぎつけて会場のお客様から大きな拍手をいただけたのは何よりの成果ではなかったかと思います。私にとっても今回の研究生たちが発表会に向って様々な力をどんどん発揮していく姿に感動し、さらにホームグランドであるコーラスの中でより生き生きと今まで以上にアンサンブルを楽しんでいる成長ぶりを拝見するのは予想以上の大きな収穫だったと感じています。

 
平成19年5月末日

 6月1日午後7時よりサンシティ越谷市民ホールの小ホールにて「メサイア」の<語りと合唱による研究発表会>を開催しました。オルガン・チェンバロとピアノ伴奏による合唱曲のみの演奏です。また、語りとして合唱部分及び関連したソロの部分の対訳したものを補完的に表現してみました。本来なら電光掲示板にてその役割は補われるものですが、研究発表会ならではの試みとして行っています。
オラトリオはオペラのように衣装もまた舞台装置もない歌と楽器で表現する音楽劇です。ヘンデルはもともとオペラの作曲家として活躍していました。イギリス(中部ドイツの都市ハレ出身ですが、後にイギリスに帰化)では劇場の事業にも深く関わりました。もっとも運営は必ずしもうまくいっておらず、折からの激務のため脳卒中を患い一時ドイツにて静養の日々を過ごします。イギリスに帰国したヘンデルに対し、1742年台本作家チャールズ・ジェネンズが「メサイア」の台本を渡し「作曲しないか」と提案します。ヘンデル57歳の時です。彼は夢中になって創作し僅か24日間で仕上げたといいます。まさに起死回生の作品だったとも言えます。そしてこの作品はオラトリオの分野で後にハイドンやメンデルスゾーンに傑作を書かせ、モーツァルトに編曲の意欲とそのメロディーを使わせるほどの影響を与えました。
研究発表会(無料)では「能登半島地震災害義援金」を募るチャリティーも合せて行いました。コール・アクアの皆さんの働きかけで演奏会のちらしの配布や、新聞の地域版にも告知されるなど、当日は100名を越すお客様にご来場いただきました。演奏会参加者の募金と合せて義援金は64、037円となりました。週明けの6月4日に「埼玉県共同募金会越谷市支会」へコール・アクアの方々と一緒に訪問し、義援金を間違いなくお届けしました(後日会報に掲載とのこと)。
私は研究発表会を前にして不覚にも体調を崩してしまいました。恩師で耳鼻咽喉科の先生からは「疲労」から来る急性のものだから喉を休ませれば早く回復するだろうとの所見と治療を受けました。お陰さまでなんとか語りの役割を果たすことが出来てホッとしています。今後、地域のイベント(新宿合唱祭、足立区「海の日ジョイントコンサート」)にも参加し、合宿かつこの研究発表会の成果とあわせて8月18日の王子・北とぴあでの本演奏会に臨みます。

 

平成19年6月末日

 現在、私の活動は呼吸から声、声から合唱へと深化する過程づくりにあることはご承知の通りです。その基礎となる「息と声」について永年にわたり研究及び普及活動されているのが米山文明先生です。先生の本(平凡社新書)がこの6月に刊行されました。タイトルは「美しい声で日本語を話す」。帯には吉永小百合さんのコメントが寄せられています。専門的内容を易しい言葉で伝えることはとても大変な作業です。本書では多岐にわたり事例の紹介やデータの公開があり、読者にとって共鳴する道筋が幾重にも引かれているので一気に読んでしまう方も多いのではないかと思います。
米山先生には学生時代からお世話になっています。音大で教鞭をとられている頃と今とがほとんど変わらないのにはびっくりします。時代の変遷に対しても生きるリズムが一貫しているようにも見えます。ですから本書の内容もある種の緊張感と共に心底からエネルギーとなって私の目の前に現われてきます。日頃、合唱団やエクササイズの教室の皆さんに実践ともどもお伝えしていることは、科学的基盤を創りだすための学究の成果があってのことと感謝します。
5月下旬に日本声楽発声学会で米山先生の講座がありました。その際先生は各方面で指導されている受講者の方に「息は吸うものではない」ということを徹底して欲しいという趣旨のことを強調されました。ごく当たり前のことなのですが何十年も前から今もって呼びかけているのです。本書にも日本での「発声教育」の欠如を鋭く指摘している箇所が幾つもあります。私も地域の教育委員会に「声」の学習の必要性を働きかけましたが、現場の先生方には理解できないでしょうといったニュアンスで取り上げていただけませんでした。一方で幼児・保育、健康方面の方からはその必要性を強く感じているとの声をお聞きすることがよくあります。また実践を伴った講演を依頼される機会をいただくこともあり喜んでお引き受けしています。NAOコーラスグループの皆様には今後とも「呼吸法による 声を育てるエクササイズ」の活動への積極的な取り組みを期待します。一人ひとりが育てた声による魅力あふれる合唱団、演奏会を目ざしましょう。

 

平成19年7月末日

 エクササイズの教室に通っていらっしゃる皆さんの中には「腹式呼吸」で苦戦している方が結構いらっしゃいます。腹式呼吸とは『横隔膜呼吸』のことで文字通り横隔膜の上下運動を使って呼吸を操作し、深い呼吸や長さをコントロールするものです。ところが俗称として『腹式呼吸』という言葉が使われてしまっているせいか、腹筋を使ってお腹周りの筋肉を前後に大きく動かしたり、固めてしまったりすることと勘違いしている人が随分といらっしゃいます。私も音大受験に備えて筋トレのごとく腹筋背筋1日200回ほどのトレーニングを年間にわたって鍛えていた憶えがあります。間違った認識のまま一生懸命に違う道を進まれ途中で何かおかしいと気がついても、軌道修正がなかなかできず結局見てみない振りしてそのままにしているケースも多いのではないでしょうか。
仕事や家庭の都合でしばらく歌うことから遠ざかった方が時間のゆとりができて合唱を再開されたりします。始めは手探りで練習に臨んでいますが、次第に若い頃の経験を思い出し「腹式呼吸」による発声が甦ってきます。音程やリズムなどの譜読みは基礎があるので難なくクリアーするのですが、声は現時点での自身の体とのバランスですので昔取った杵柄で発声してもギクシャクしてしまうのは当然です。ほかの皆さんの声に共鳴していないことに気付き、自身の様子を見つめ直そうとエクササイズの教室にいらっしゃることがあります。
横隔膜を操作して意識的な声を作り上げるためにはその前提となる声の「源」すなわち呼吸が肝心です。全身による張りや伸びのバランスとも大きく係わっています。お腹を出したり引っ込めたりしているだけで声を出そうとすれば声に大きくムラが出来ます。また腹筋や背筋を固めてしまうと身体の余裕がなくなり硬い声にたどり着きます。
若い時のハードなトレーニングは身体に染み付いていることが多く、同時に脳の回路もそのように出来上がってしまっているのが厄介です。私は呼吸から発声へと組み立てていく指導をしていますので、このへんの頭の切り替えが出来ずに「どうも難しい」ということをよくお聞きします。「お腹ってどこのことですか」と言うと大抵はお臍の近辺を触る仕草をされます。エクササイズではいわゆる臍下丹田<日本語の腹(はら)の部分>を言います。身体の前面ではなく内側にある挫骨や骨盤底といった、発声の基礎となる身体の部位の状態をみていくことで掴めるのが「腹」の感覚です。一見遠いエクササイズのように見えますが、実は近道であることに気付いていただければしめたものです。
千里の道も一歩から、8月18日の「メサイア」のコンサートでは腹(はら)の底、足の底も総動員で全身からあふれ出る合唱で「北とぴあ」のホールいっぱいにNAOコーラスの響きをお届けしましょう。

 

平成19年8月末日

 オーケストラ合わせの1日目、夏休みのせい?あるいは40℃を行き来する猛暑の影響でしょうか、合唱団員の顔に疲れが目立ちます。小ホールを借りての私たちにとっては少し贅沢な練習でしたが、本オケを前にしての緊張もあったのか声のまとまりが今一つ。オケ合わせの2日目、本番指揮者である大島先生から「ハレルヤ」はOKをいただいたものの、いくつか注文の出た曲もあり合唱団の出来の二面性が指摘されたようで、うーん、確率50%、あとは皆の集中力を信じるしかないかな~。
本番当日、ゲネプロの感じでは少し演奏時間が延びるかなという感じです。マエストロから合唱団への注文はもう出ません。オーケストラの各演奏者も舞台に上がればプロです。甘い考えなど微塵も見せないのはサスガです。NAOコーラスの面々も段々舞台顔になってきました。お盆明けの猛暑続きにまた各地でちょっとした地震もありお客様の入りが気になりましたが、お陰さまでホワイエは一杯の状態でしたのでホッとしました。舞台袖から見た観客席は若干の空席があるものの、1,2階共ほぼ満遍なくお客様がいる様子に見えたので演奏者も随分と気合が入ったようです。
アマチュアは本番が強いといわれますが、マエストロの力強いタクトに魅了された合唱団の底力を感じさせる演奏会となりました。3時間(休憩含む)弱の舞台にも拘らず各パートが補完し合えたのは収穫です。「ハレルヤ」後の休憩でどうなるかと思いましたが、字幕スーパーの労も役立ってか席を立つ人はいませんでした。ソリストはそれぞれの舞台で活躍中の実力派揃いです。お越しいただいたファンの皆様からもご満悦とのアンケートをいただきました。ありがとうございます。オーケストラもコンサートマスターの並々ならぬご尽力でまとまりも素晴しく団長の佐野さんをはじめ皆様ありがとうございました。
アンケートはいつになくシンプルなお褒めの言葉を多数いただいております。「大曲を皆さん丁寧に歌っていらしたと思います」「オーケストラ、指揮者共にすばらしかった」「3時間、少しも長いと感じなかったのは、そのドラマ性と音楽の華やかさ、ソリストと合唱団の迫真の姿勢に心を打たれたからでしょう」「合唱団が年々上手になっています」etc
アマとプロの共演による管弦楽付合唱作品の演奏会を毎年公演していますが、次回はNAOコーラス単独主催のものとして第10回の記念公演となります。また呼吸法を取り入れながら声を育てていくエクササイズの活動も地道に続けており、その真価をコーラスで発揮してもらえればこんなに嬉しいことはありません。毎回歌うことが楽しくなる、そんな団員が一人でも多く集まったNAOコーラスグループの演奏会になればと期待しています。今後とも皆様のご支援をよろしくお願いします。

 

平成19年9月末日

 季節の変わり目。歌い手にとってはいつも以上に注意が必要な時です。今年の夏の猛暑は秋口まで続き、暑さだけではなく冷房との闘いもあり本当に矛盾を感じます。冷房による乾燥は喉の敏感な方にとって油断大敵です。私はあまりクーラーを使わず風通しの良い生活を心掛けていますが、今夏は自然そのものに大きな室外機が取り付けられているような熱気でとても涼感を得られる環境にありませんでした。
さすがに秋の前線が日本列島にかかるようになって東京でも少し気温が下がりホッとしたのも束の間、お祭りの音色が聞こえる頃になると途端に猛暑がぶり返してきました。どうもこの辺りから喉に変調をきたした人が私の周囲でもぞろぞろ出てきたような感じです。合唱の練習中に時折ゴホゴホと咳き込む声が聞こえます。無理しないで早めの治療を心掛けて下さい。冷暖房の乾燥から喉を守るために濡れタオルやマスクも有効です。
12月に第2回目の「呼吸法による声を育てるエクササイズ」の研究発表会があります。現在15名の研究生の皆さんが取り組まれています。エクササイズによる確信のある「声」を「歌」に活かそうと創意工夫の毎日ではないかと思います。今まで腹式呼吸と思って努力していたことが、実は違う筋肉を一所懸命使っていてかえって呼吸の妨げになっていたとか、長年の生活習慣で身体に歪みが隠されていたことに気付き、ようやくそのことに意識を向けられるようになったという方がいます。十人十色、様々な課題や悩みと向き合う研究生の皆さんの地道な努力にエールを送りたいです。
NAOコーラスではハイドンの「四季」の練習が始まっています。スタートは収穫祭の賑やかなコーラスからです。歌うことが楽しくなる、そのことでまた世界が見えてくる、ワインでも飲みながらそんな気分になれたら良いなと思いました。

 

平成19年10月末日

 10月21日(日)、ギャラクシティ西新井文化ホールにて足立区合唱連盟・区教育委員会共催の「第27回足立区合唱祭」が開催されました。25団体、860余名の出演者の繰り広げる舞台に当日用意したプログラム1500部も不足してしまうほどでした。もっとも午後1時30分から午後6時30分までの3部制のプログラムなので、万遍なく座席(定員900席)がうまっていたわけではありません。時間帯によってばらつきもありもったいないなと感じました。どの合唱団の皆さんもそれぞれにとてもすてきな演奏をされているのでもっと沢山の方に聴いていただければ随分と励みになると思います。
このような大規模なイベントを催すには充実したスタッフが望まれます。今回も3つの理事団体を主体に連盟の各合唱団からなる実行委員会の決定事項に沿って、準備から当日の進行までをやり通しました。スタッフは各合唱団からなるお手伝いなので出演と兼ねている場合が多く、なかなかスムーズにいかなかったところや、出演者・お客様双方のマナーなどの課題もありました。どこの合唱祭もきっといろんな問題を抱えながら行われているとは思いますが、出演する皆さんのコーラスに対する大きな情熱があればこそ成り立っているプログラムであることは間違い有りません。
NAOコーラスグループは「メサイア」公演後の9月から始めたハイドン「四季」から「秋」のメインの曲でもある「収穫を祝う宴の合唱」を演奏しました。温める間も無く直ぐに発表という困難や、行事が重なってしまったのか男性陣が少なかったのですが、いつもの事ながら皆さんが良く健闘してくださり出演合唱団による交換メッセージでは概ね好評をいただけたようです。私も時間が許す限り様々な演奏を聴かせていただきました。少人数ながら響く声で綺麗なコーラスを聴かせるグループ、懸命に歌う姿が心を打つ合唱団、年季の入っている常連の合唱団は流石に安定し聴く人を楽しませてくれます。合唱祭のように毎年聴いていると、どこの合唱団も1つずつ年はとっているはずなのにその成長している姿にはいつも驚かされます。いつの日か合唱祭も参加することだけでなく、当たり前に皆が気持ちよく過ごせるような時間と空間を楽しむ演奏会になるように努力し続けていきたいと思います。百年くらいかかるのかしら?
年末にかけて各地で演奏会が目白押しです。演奏会というと華やかさのみが世間の目を引くところですが音楽文化の質を高める日頃の努力をあらためて思い起すことが大切ですよね。

 

平成19年11月末日

 東京にも木枯らしが吹いていよいよ冬支度です。この秋に足立区内で二つの講演依頼がありました。ともに講演の中に呼吸と声を結びつけるエクササイズを取り入れられないかとの意向がありました。最初は竹の塚保健総合センター地域健康づくり連絡会共催の「ほほえみの会・竹の塚」による25健康団体の方々の交流会での講演です。日ごろから健康に関心を持って研究実践しているグループの方々ですので、例えば二人組みになって背中を叩いたり擦ったりのエクササイズも抵抗なく受け入れていただき、気持ち良く行っている様子がうかがえました。また様々にハンデを負っての方もいらっしゃいましたが、自分にあった身体の動きを心得ているのでしょう、その声には張りがあり「もみじ」のコーラスも楽しいものとなりました。応援に来て下さいましたNAO(なお)の皆様ありがとうございました。
続いて庁舎ホールで保育士、保育ママさんたちを対象とした講演を行いました。こちらは区の子育て支援保育課が主催する事業で、保育や子育て支援の仕事に従事している専門家がその研修として講演会に参加されているとのことでした。限られた時間でしたので、専門的なことを出来るだけ分かりやすく実践を通して体験していただこうと創意工夫したつもりです。息は入るものという感覚から入り、声帯を通る息の流れ、かつ発せられる音声までを駆け足で通りました。保育士さんにとって声の問題は深刻で、講演の休憩中にもご自分や同僚の方の声が年々出にくくなり、週末には大変な思いをしていらっしゃるとの相談を何人かの方から受けました。
今回は私たちが様々に実践しているエクササイズを2時間に集約しての講演でしたので、どの程度先生方に伝わったのか心配でした。後日アンケートを拝見させていただいたところ、リラックスすることの大切さや正しい姿勢を心掛け、全身を意識して出す声を遊びの中で子ども達にも活かしていきたいという感想を多く目にしました。講演活動に従事しているわけではありませんので多少の不備はあったかもしれませんが、現場の方々に少しでも役立ってもらえれば嬉しいです。機会を作っていただきました関係者の皆様にはあらためて御礼申し上げます。

 

平成19年12月末日

 24日午前、成田国際空港に予定より30分程遅れて到着しました。快晴のもと冷たい強風に木立が揺れていました。未だ耳に鳴り響くオーケストラの心地よい感触に寒さもあまり感じられない帰国時の実感です。
今回は12月21日(現地時間:午後8時開演)にドイツ中西部の都市ライプツィヒの聖ニコライ教会で「クリスマスオラトリオ」の1~3部の演奏会に参加しました。地元のバッハコアライプツィヒ、グラーツ(墺)の教会合唱団、日本からはNAOコーラスグループ有志を含め2団体と総勢約150名によるインターナショナルの合唱団の共演です。 
指揮は聖ニコライ教会のカントールであるJ.ヴォルフ氏です。ライプツィヒではJ.S.バッハにとり永くカントールを務めていたトーマス教会と同様に「ヨハネ受難曲」や「クリスマスオラトリオ」などが初演された所縁のある教会で、現在ではここでの月曜ミサが東西ドイツの統一のきっかけになったことでも知られています。
演奏会当日はかなり慌しい進行となりました。ゲネプロは午後5時からでしたが7時までほとんど立ちっぱなしの状態で、もちろん椅子などもなく祭壇がそのまま舞台となりました。男性はひな段にひしめきあっていて、楽譜を見る余裕もなく暗譜同然で本番も臨まれたようです。当方の参加者は割と高齢の方も多く、2時間のGPに加え本番も約90分間立ったままというのは大変なことで心配しました。それでも演奏直後、現地の合唱団の方々と楽しげに身振り・手振りでの交流する姿にただただ感心した次第です。演奏自体の流れでいうと例えば1番の合唱では言葉と音楽のアクセントを完全に一致させ、限りなくショートにまとめつつ流れるような旋律を作るようにとの指示があり、NAO(なお)では去年12月24日に新宿文化センターにて同曲を大谷研二氏客演による演奏会で既に経験していたので入りやすかったのではないかと感じました。
演奏旅行はドレスデンのゼンパー・オーパーでのオペレッタ「こうもり」から始まり、ライプツィヒの聖トーマス教会での「クリスマス・コンサート」、聖ニコライ教会「クリスマスオラトリオ 4~6部」などの音楽鑑賞を楽しみ、またJ.S.バッハの足跡の一部を博物館などで辿ることが出来ました。クリスマス・マーケットでは北海道よりも更に北にある冷気にふれてグリューワイン(ホットワイン)をこの時期ならではのマグカップで飲み干し、大きなウインナーやハムをパンにはさみ顔いっぱいに頬張りながら、豊富なクリスマス飾りのお店を闊歩しました。文化という点では、何よりも今回の演奏では「Gut」という言葉を地元の何人かの方からいただけたのは本当に嬉しいことで、NAOコーラス有志の面々も肩の荷が降りたのではないかと思います。

 

平成20年1月末日

 平成20年のスタートはサンシティ越谷市民ホール・小ホールでの研究発表会に向けた練習からです。この演奏会はチャリティー・コンサートでもあり、できるだけ多くのお客様に来ていただくためにコール・アクアの皆さんにご尽力をいただき、合わせてインフォメーション、NAO(なお)グループでも各方面でPRの活動をしてきました。ソリストでは、テノールの大川信之さん、ソプラノの高居洋子さん、バスの千葉裕一さんから協力を申し出ていただき本当に嬉しかったです。いろいろとアドバイスをいただきました米谷さんにもこの場を借りて御礼申し上げます。
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン作曲の「四季」は「天地創造」と並ぶオラトリオの傑作です。農民の春夏秋冬の生活が見事に旋律となって描かれており、今回演奏する「秋・冬」でも鹿狩りや収穫の宴の様子が活き活きとコーラスに反映しているものがあります。合唱でいえばドイツ語の言葉も多く、またテンポも速いので当初より苦戦するのではと思っていましたが、その通りになりました。今回はそれぞれの音色に発音をしっかりのせるという練習に重きを置き、いざ舞台です。
2月2日(土)の演奏会当日。舞台設営では合唱団だけで85名がのるパイプ椅子付きのスペースの確保が急務となりました。また、字幕がないので演奏の合間に語りを入れるという趣向にしましたが、伴奏の増田、淵本両氏には大奮闘していただきました。GPでソリストとピアノ、チェンバロの調整や合唱団の立つタイミングなどもバタバタと決めて、ともかくも幕は開きました。スタッフによれば入場整理券(無料)の総数が144枚と舞台から見ても上々の入りです。ソリストのフォーマルと対照的に団員はスカーフやバンダナをまとったカラフルな演出です。共通の話しに分けながら語りを入れて演奏し、その都度に拍手が起こりとりわけ大きく聞こえてくるところもあってライブならではの感動です。
募金の総額はお客様・団員を含めて102,300円と前回を大きく上回りました。1000円札が多かったようで、5000円札も入っていたのには!です。演奏会後の親睦会では恵まれない音楽家にも基金があればいいよねと友情出演してくださったソリストと冗談交じりにお話ししました。この募金につきましては、2月4日(月)にコール・アクアの代表の方と共に越谷市社会福祉協議会を訪問し「愛の詩基金」としてお届けしました。その際に額縁入りの立派な感謝状をいただきました。前日の大雪も晴天により溶け気分も洗われたような思いでしたが、皆様の熱意を社会福祉に活かすことができて良い演奏会になりました。

 

平成20年2月末日

 この欄でも何度となく話題にしました「歓喜の演」合唱団で、本年はオペラの合唱に取組んでいます。私自身あまりオペラのことが詳しいとはいえないので、今回は監修者をお願いし、アドバイスをいただきながら練習に入りました。「歓喜の演」合唱団は毎回の公演ごとに公募し集まってきた人たちで結成されています。市民性を強く打ち出した合唱団ですので、参加者の構成はバラエティに富んでいます。本格的な楽譜を見るのも、コーラスも初めてという方も多くいらっしゃいます。その意味では「オペラ」という響きに魅力を感じるかもしれません。
オペラは音楽を使った劇ですから視聴覚的なアピールを前面に出して上演されます。演出によって音楽が触発されるので、必ずしも楽譜に忠実にというわけにいかず、その時々の観客の意識に感応し変化していきます。
その点、ふだん私が合唱指導しているミサ曲やオラトリオは楽譜を主体にして創作されており、その演奏は楽譜の絶対性と様式感から成り立ちます。しかし共通点はどちらも人間の声を使っている事です。オペラでは演出上必要とされる声色(こわいろ)を強く要求されますが、あくまで内容から出てくる声色なので基本となるものは全ての声楽曲に共通している響く声です。だからこそ時代や世界を超えて感動が伝わるものと思います。
もう一つ大きな違いはオペラでは完全に暗譜していなければ歌えないということでしょう。先日監修者である友人と暗譜について話題になりましたら、暗譜することの大変さや、暗譜が目的になるのではなく、暗譜してからしか味わえない楽しい音楽の自由な世界を知ってもらいたいと話していました。全くその通り、さすが現役の演奏家です。音符を覚えることで明け暮れるのではなく、自らが出している音で音楽を創りあげていく楽しみ。合唱にいたっては一人ではなく多くの仲間と共に創りあげる声の時間と空間、コーラスの醍醐味です。
NAO(なお)コーラスでは5月2日に研究発表会を兼ねたチャリティー・コンサート、6月28日は本演奏会と舞台が続きます。今回の演目はオペラと同様の声による劇音楽オラトリオ、J.ハイドンの傑作「四季」です。美しい響きをもった色とりどりの「声」で表現できるよう、身体と声とを結びつけるエクササイズを大いに活用し、私たちも音の楽しみの世界を体感できるよう毎回の練習を楽しくかつ大切にしていきたいと思います。

 
平成20年3月末日

 桜前線の予測の賑々しさとは裏腹に、三寒四温の頃合いで東京では3月22日にソメイヨシノの開花を見ることが出来ました。パソコンや携帯電話など情報メディアが多様に普及しグローバル化と相俟って、随分と時代がせっかちになったような気がします。ゆっくり桜でも楽しみたいところですが・・・
足立では五色桜が有名です。これは一種類の桜の名前でもなければ五種類のものというのでもなく、ものの本によれば一重、八重など多種の桜の咲き誇る様子を「五色に彩られた霞」に譬えられたのが由来だとのこと。この3月末に開通する「日暮里・舎人ライナー」の沿線にある荒川堤の江北一帯はかつて桜の名所として賑わいを見せていた所で、現在でも里帰り桜が都市農業公園や舎人緑道公園などで楽しむことができます。
里帰りというのは文字通り明治時代にアメリカに寄贈した桜が日本に再び移植されたことを言います。具体的には、戦争や公害などのため足立の五色桜は絶滅の危機に瀕しました。その復活をとの願いから昭和になってワシントン・ポトマック河畔の桜が東京都に寄贈されました。桜を取り巻く時代の変遷にものの廻り合わせを考えずにはおれません。また、あらためて地球環境はつながっているものと実感します。
さて、5月2日(金)の研究発表会を兼ねたチャリティーコンサートのちらしでは、「ユネスコ世界寺小屋運動」の取り組みのほんの一部分ですがPRをさせていただいております。「貧困の連鎖を断ち切り、自立を助ける」目的で、世界の学校に行けない子ども(約1億400万人)や読み書きのできない人(15歳以上の成人、約7億8500万人)に対し実践的な活動を支援するための募金と伺っています。
演奏曲目はハイドンの「四季」から抜粋で「春」と「夏」をとりあげます。頃合もちょうど今ぐらいの季節なのでコーラスにも弾みがつくものと思います。合宿で更に磨きをかけ舞台にのぞもうと意気込んでいます。NAO(なお)コーラスグループはアマチュアの合唱団ですが、国境を越えた音楽文化に触れることでグローバルな活動にも目が向った演奏をしたいものです。6月の本番のチラシも出来ました。音を楽しむ<音楽>に迫ります。

 
平成20年4月末日

 天気予報ではこのゴールデンウイークは東京も含め全国的に晴れとのことだったので、5月2日(金)の研究発表会を兼ねたチャリティーコンサートの出足もまずまずだろうと思っていました。ところが前々日ころの予報では東京は雨天に変わり、無料のコンサートは天候の影響が大きいのでお客様の入りが気になりました。しかし舞台に上がりましたら、その心配をよそに、タワーホール船堀の小ホールの席は大勢のお客様でうまっていました。NAOコーラス文京をはじめグループの皆さんの地道なPR活動の賜物です。
さて、ハイドンの「四季」から「春」と「夏」を、語りを交えての演奏会です。NAOにとって課題であった「嵐」の合唱も無事にきりぬけました。力強い雪解けの前奏曲から始まり夏の夜空の星の輝きと優しい安らぎの18曲目の演奏も終わり、振り向くとお客様から大きな拍手が起こりほっと致しました。中間発表の段階とはいえ、舞台に上がる以上は最善のものをご提供するのが私達の使命です。数日前までは「この状態で本番になっちゃうの?」という不安の顔が、当日は集中力一杯の凛々しい顔に変わっているのもアマチュアの底力。3人のソリストの方々は勿論のこと、2人のピアニストの好演、演奏会に携わっていただきました皆さんに感謝です。本番の力は本当に大きく、また一歩前進、これからが楽しみになってきました。
このたびは「市川市ユネスコ協会」の皆様にも当日会場にお見えいただき、チャリティーコンサートのPRをご一緒にしていただきました。「ユネスコ世界寺小屋運動」の基金として世界中にいる学校に通えない多くの子どもたちの教育の費用に活かされる募金に、団員、お客様合わせて何と10万円強の金額が集まりました。
あらためて、多くの人の手による善意のパワーに驚かされます。舞台では代表で加藤様に目録をお渡し致しました。また(社)日本ユネスコ協会連盟様から感謝状をその場でいただき、観客の皆様とともに喜びを分かちあうことが出来て良かったです。
4月の合宿を挟み越谷サンシティ小ホールと2回にわたって催しました研究発表会を兼ねたチャリティーコンサートも盛況のうちに終え、いよいよ来月は管弦楽も加わった定期演奏会です。NAOコーラスに熱いエールを送ってくださる皆さんの期待に応えるべく交響曲の父ハイドンの世界にラストスパートです。

 

平成20年5月末日

 ハイドン作曲「四季」の初めは冬の終わりを告げる雪どけを印象づけた前奏曲からです。山間を走り里にまでいたる水の流れが見えてくるようです。村里には春を待ち望む人々がいます。“Komm, holder Lenz!”
さて、春の星座、明るい太陽、広がる大地・・・農夫は畑仕事に出かけ勤勉に働き、祈ります。“Sei nun gnadig, Milder Himmel!”その願いに応えるかのように温暖な西風が湿気の満ちた霧となって大地に降り注ぎます。
“O, wie lieblich ist der Anblick der Gefilde jetzt!”ああ、なんという愛おしい広野の眺めでしょう!
色とりどりの田畑、緑の林、ユリやバラを、水辺の草地を、・・・村の娘や若者たちが躍動する全ての生き物に胸の高まりを覚え感謝の声で讃えます。“Ewiger machtiger, gutiger Gott!”
未だ夜明け前、灰色のヴェールに包まれたほのかな陽光の兆しが現れる前奏曲から「夏」の章が始まります。一番鳥の鋭い音で羊飼いは目を覚まし、そわそわする家畜を追い立て丘へと向います。目に焼きつかんばかりの日の出のシーンが現れます。“O Sonne, Heil!”光と命の源へ“jauchzen”と高らかに歌い上げます。
今や太陽は輝き全てのものが活発に動きます。灼熱の陽光は重圧さを増し、人も動物も熱の猛威のまえにうなだれている様子を「ルーカス」が深々と歌い、一方で「ハンネ」はたくさんの樹木で生い茂り涼しい傘となって生き物を守ってくれる森への誘いを歌います。「シモン」からの嵐を予感させるレツィタティーフ。蒸した空気は霧を立ち上げ、高い山の頂に何やら怪しい黒い影が広がり、谷間からは鈍い轟がかすかに聞こえてきます・・・“Ach, das Ungewitter naht”(コーラス)。ハイドンがつくる雷鳴の音響に圧倒されます。さて、黒い雲も消え去り、“Madchen, Bursche, Weiber, kommt!”日暮れ前の太陽の光を浴びて家畜も人々も鳴り響く夕べの鐘とともに家路につきます。空には明るい星が輝き始め、私たちを優しい安らぎへと導きます。
スペースの関係上「四季」の前半部だけを思うままに記しましたが、このオラトリオの舞台になっているのはオーストリアの南西の片田舎のようです。日本のようにバランス(かつて?)ある春夏秋冬ではないようですが、色々な花がいっぺんに咲く春、暑い陽射しの夏、実りの秋、長く暗い寒い冬があります。ハイドンはこの四季折々の村人の生活を絵でも描くように音楽で見事に表しています。地球規模で環境の保全に躍起になっている、現代のぽっかりと穴が空いたような世界に200年程前の作品は何を語っているのでしょうか。
いよいよ6月28日(土)新宿文化センターでの本番(字幕付)です。多くの方のご来場を願っております。

 

平成20年6月末日

 6月28日(土)、NAO(なお)コーラスの第10回演奏会も無事終了しました。J.ハイドン作曲「四季」は2時間30分もある大曲です。全曲を演奏できたことはNAO(なお)コーラスにとって快挙そのものです。ひとえに指揮者、稲田 康氏の技術力の賜物と深謝しております。39番目の曲を歌い上げ満ち足りた空気が舞台から会場へ一回りした後に大きな拍手が起きました。「ブラボー」の掛け声もいくつかありました。舞台では和やかな表情の演奏者たちを見ることができました。今回もやって良かったとつくづく思いました。
「ソリストの歌唱、オーケストラ、合唱、指揮すべて良かった。良質の音楽を堪能しました」「指揮者の方の雰囲気が柔らかで、全体がリラックスしたムードにつつまれ、良かった」「NAOコーラスグループ演奏会は2回目ですが素晴らしかったです。<夏>の第11曲は迫力があり太陽のイメージがとても良く出ていました」「四季折々の情景がイメージでき、すごくよかったです。農民達の生活が一年を通しいきいきと描かれていて、幸せというのは日常の中にあるのだなと改めて感じました」・・・・アンケートの一部分ですがご紹介させていただきました。ありがとうございます。
男声陣の厚みがもう少し欲しい、満席でないのがもったいないなどのご要望も幾つかありました。もう一歩踏み出した活動にしていきたいと思っています。また、字幕スーパーの効果もあって「オラトリオ」の作品にあらためて関心をいだかれた方も多かったようです。「四季」はドイツ語の歌詞が盛り沢山で、当時の聴衆にとっては誰もが知っているヒット作だったようです。改めてハイドンの音楽に魅了された方も多くいらっしゃったのではないかと思います。来年はハイドンの没後200年の周年にあたります。コンサートの機会も増えますね。私たちも来春にかけ「天地創造」に挑みます。今回の経験を大事に育てあげたいものです。
NAOコーラスグループでは音色の厚みや深みをもっともっと増やしていけるように、練習のメニューも工夫を凝らしたものにしようと考えています。9月には「声を育てるエクササイズ」の第3回研究発表会がありますが、呼吸と声をベースに音楽へと羽ばたく研究生たちの努力を大いに参考にしたいと思っています。そうした裏づけのもとで、演奏会ではプロとの共演というまたとないチャンスを活かせるのですから、私も含めて良い意味での刺激を交わせるような合唱団へと脱皮していければと願っています。

 

平成20年7月末日

 7月20日(日)、21日(祝)の2日間「海の日ジョイントコンサート」を、足立区合唱連盟・足立区教育委員会共催により西新井文化ホールにて開催しました。例年は同日午後に学生の部と夜に一般の部とを合わせて行うところ、双方の演奏会の規模が大きくなってきた事を受け、本年は思い切って2日に分けての演奏会としました。懸念されたのは合唱連盟会員に呼びかけるスタッフの動員が1日で済まなくなったこと、また観客が大人と子どもと分断されてしまわないかでした。
出演団体を除く23ほどある連盟登録団体への呼びかけは、事務局の早めの連絡が功を奏したようで初日のサポーターの申請は各団から2~3人ありました。2日目は理事団体の役員及び出演4団体から3~6人のサポーターの動員を果たせました。理事長をはじめ足立区合唱連盟の総力をあげたイベントとなりました。
気になる観客ですが一般の部は7割ほどの入りで、200名ほどいる出演者と合わせれば随分と賑やかなコンサートでした。2日目は小・中・高校の学校と少年少女合唱団の9団体が出演しました。ラストを飾る中学合同合唱団の舞台では260名強の生徒が混声合唱の演奏を聞かせてくれました。若さあふれる音色に会場を埋め尽くした観客から大きな拍手が起こりました。
私は初日のラストで「歓喜の演合唱団」の指揮をとりました。区民公募により公演ごと結成される合唱団で、第8回となる今回は「魅惑のオペラ合唱曲」に取組んでいます。11月1日の本番に向けて1月下旬より練習を重ね、今時分でだいたい6割の練習をこなしたことになります。この演奏会ではイタリアオペラの合唱名曲の中から3曲をピアノと電子楽器による伴奏で演奏しました。
裏話になりますが、ソリストの部分をどうするかとか暗譜にするかどうかなど、事務局を含め関係者と頭を悩ませながらどうにか舞台にあがりました。GPではパートによって音が揃わない、声が後ろまで届かないといった場面が何箇所かあり、楽観的で大雑把なところもありますが引きつった表情だけは見せまいと一致団結、皆で覚悟を決めて本番に臨みました。
お客様の反応は「今までにない新鮮な曲目で楽しかった」「気になるところもがあったけど歓喜の演らしく元気があって良かった」など、超多忙な2人の伴奏者と直前まで楽器合わせの試行錯誤をした甲斐あって合唱団の演奏にも伝わったのかなと感謝です。「海の日ジョイントコンサート」にふさわしい、出演団体の中の一つのドラマでした。

 

平成20年8月末日

 呼吸について改めて考えさせられることがあります。ふだんの生活の中で、例えば異物を喉に詰まらせて咳き込むとかがない限り、気管を意識することは余りないようです。私達は呼吸法のメソードの研究・普及活動をしているので、呼吸への関心を持ち続けているのが普通です。そのため合唱の練習でもついそれを前提に話していることがあります。皆さんも私が言うことなので知らん振りは出来ないのでしょうから、ふんふんと盛んに頷いてくれます。それではと大きな期待を込めて「深い呼吸から気持ちの良い声を出しましょう」と呼び掛けると、「先生、吸う息ですか、吐く息ですか」・・・なかなか難しいものがあります。
「声を育てるエクササイズ」の研究発表会が9月にあります。表現する「声」、しかも歌声、さらに呼吸と結びついた楽曲への応用と研究課題は盛り沢山です。研究生たちもそんなに簡単に出来るものではないことが回を重ねるにつれて分かってきているので、どこまで背伸びしないで演奏できるかの最終の調整に入っているものと思います。私はすぐ理想を言ってしまう傾向があるらしく、「息が入ってくるように出せばいいのよ」と無理をしないで歌えばと思って伝えているのですが、それが出来るくらいなら苦労しませんとばかりに暗くなられる方もいらっしゃるようです。ふだんの呼吸でもあまり「吸って、吐いて」ということはやってないと思います。表現する際にも「ハァー」と息を吸い込んだり、「はは」と息漏れさせることは、演出上の指示がない限りありません。
特に歌の場合には身体に行き来する呼吸の流れをふんだんに使いますから、バランスを崩すと途端におへそから上にエネルギーが持ち上がってしまいブレスが浅めになり、自転車操業的な歌唱になりがちです。そのために音色が一辺倒になり、聞き手には硬い感じの美声?が届けられることになります。先日御殿場で「日本声楽発声学会」の例会がありました。途中からの参加でしたが身体(呼吸)と結びついていない「声」や現状の教育プログラムの問題点への言及がありました。今夏の北京オリンピックでも年月をかけたトレーニングのプログラムが実行されているかどうかで明暗が分かれましたが、きちんとした発声を幼少の時期から教えるカリキュラムは教育現場では急務であり、私達のような活動でもその必要性を感じています。

 

平成20年9月末日

 9月11日、ティアラ江東・小ホールにて行われた「呼吸法による 声を育てるエクササイズ」第3回研究発表会は平日ながら(しかも昼過ぎからは一転雨模様となったにもかかわらす)、多くの皆様に足を運んでいただき舞台からは満席に見える状態でした。
今回は特別ゲストとして米山文明先生にお越しいただき、呼吸と声にまつわる貴重なお話をいただきました。研究生は出演を控え緊張気味ではありましたが、関係者席にて熱心に聴き入り、その内容はもとより先生のリラックスした話し振りに人の声の生み出すエネルギーをあらためて実感されたことと思います。
さて一般的な歌の発表会と私たちの取り組みには大きな違いがあります。とりあえず仕上げた歌を披露するのではなく、リラックスした深い呼吸から生まれる「自らの確信のある声」をもって舞台上の表現とするところにあります。エクササイズ的には内面の動きを充実させ息も声も身体の隅々まで感じることを目標としていますが、とはいえ簡単に出来ることではなく、研究生の課題もそれぞれで、高音又は低音に課題があったり、ブレスが整わなかったりするので外側からの補助が入って身振り手振りがあるのはやむを得ないところです。
お客様のアンケートの中に「米山先生のおっしゃっていた自然に息といっしょに歌う、という点がみんなに感じられて感動しました」「各々の方の声で歌の感情が出ていました」など、私たちの取り組みを感じ取っていただいたものがあり、研究生にとっても随分と励みになるのではないかと思います。
伴奏を受け持ってくださるピアニストからも「自分たちは楽器と向き合っているので直接お客様を見ながら演奏することはなく、お客様を目の前にして歌うということだけでも萎縮してしまいそうです」とコメントがありました。確かに100人を超す人の前で独唱するのは大変なことです。「呼吸」と「声」を結びつける日頃のエクササイズの下地があってこそ出来るわざ(意味ある行為)ではないかと思います。
歌うという表現は凝縮された呼吸の流れにつながり、呼吸から生まれる声は生命そのものです。決して蓄えておけるものではなく刻々と代謝されていきます。普段の生活にもつながり、姿勢にも健康にもつながっています。私たちにとって一番身近なコーラスにおいて、その成果は毎回の練習で試すことができます。今月は合唱祭の舞台もあります。演奏時間が短いほど集中力が必要でかつ充実した中身が求められます。気持ちも息も滞ることなく生き(活き、息、粋)いきと参加したいものです。

 

平成20年10月末日

 11月1日、西新井文化ホールにて行われた「歓喜の演Vol.8―合唱の部」の公演は大勢のお客様のもとで無事終了しました。終演直後から称賛の声を随分といただいています。この取り組みは足立区民を中心に公募した一般参加者の文化・芸術活動を主体においた私たちの事業で、(財)足立区生涯学習公社との協働の作業により円滑な運営が出来ています。今回は知人でもあり音楽家として活躍中の米谷毅彦さんに合唱の部の監修をお願いしました。第一線にいる素晴らしい仕事仲間のご紹介もいただき本格的なプロジェクトを組めました。
題材は初物の「オペラ合唱曲」です。「歓喜の演」の事務局も兼ねる井口さんと随分と頭を悩ませながら、推進母体である実行委員会に案を持ち込んだのが昨年の夏だったかと思います。どれだけの参加者や観客が集まるのか大きな見込みがあったわけでもなく、均質なコラボレーションを売り物にしている「歓喜の演」を顧みての決断です。提案は通りました。多くの区民に間口を広げる斬新な企画ということで理解を得られました。幸い過去の「歓喜の演」出演者も含め本年の1月の時点で100名を超す参加希望者がありホッとしたのを覚えています。それもつかの間、その後は道標のない荒野を開拓していく心地での活動となりました。
関係者曰く人脈、日程、予算など知らないものの強みが存分に出て、指揮者、舞台構成、舞台監督、オペラ演出、ソリスト等々の皆様の調整はさぞかし大変ではなかったかと恐縮しています。お蔭さまでオペラ講習会や庁舎ホールでの公開講座など初めての試みも実施出来、参加者から沢山の賛辞があったのは周知の通りです。
一方で<暗譜>という課題について関係各位と議論することが何回かありました。オペラ合唱曲目では演出上グラスを手にしたりして身振り、手振りが必要となる場面が幾つか出てきます。そうなると楽譜の置き所がなくなります。練習の過程(今回は41回)で乗り越えなくてはならない局面が出て来るのは、その分上達した証だと私は常々考えています。今回の<暗譜>という課題も日頃の練習によって乗り越えられた一つの成果と考えられます。どんなに演技や演出が増えても音楽がしっかりと無ければ感動は得られません。しかし本公演で暗譜のパワーは全開しました。楽譜が外れた分音楽がストレートに客席に伝わってきました。
「歓喜の演」は2日目の「狂言~遊びをせんとやPartⅢ」の公演を経てVol.8の事業が終了します。狂言も合唱もお互いの公演の際には公社のホールサポーターに交じり、チケットのもぎりやプログラムの渡し、扉や席の案内など表方の仕事を引き受けています。演目は異なっていても舞台に立つものの共通認識でホールを大事にしていきましょうとの趣旨から、このような取り組みを続けています。私たちの場合、都会でありながらローカルな話題でしかなく決してマス・メディアで紹介されることはありません。仮にそうだとしても延べで1500人を超す人が係わるこの足立の市民による文化・芸術の灯火が消えないよう願ってやみません。

 

平成20年11月末日

 本年も余すところ1ヶ月となりました。本当に、〝歳月人を待たず〟ですね。昨年の12月といえばライプツィヒの聖ニコライ教会にて「クリスマスオラトリオ」の演奏会(有志)に参加しました。ドレスデンなどのクリスマス市場で、散策中に身体を温めたホット・ワインが懐かしいです。
2008年の公演は2月2日のサンシティ越谷市民ホール・小ホールにて、ハイドン作曲「四季」<秋・冬>の「語りと合唱による研究発表会」によるチャリティー・コンサートが始まりでした。ロビーで募金を呼び掛けましたところ、102,300円が集まりました。翌々日に社会福祉法人 越谷市社会福祉協議会にお伺いし「愛の詩基金」への寄付をいたしました。その際に大変立派な感謝状をいただきました。
4月に入り那須・大田原にて、目前に迫る「四季」<春・夏>試演会に向けた強化合宿を行いました。その勢いをもって5月2日にタワーホール船堀・小ホールで2月同様の内容でチャリティー・コンサートを開催。NAO(なお)の熱い呼び掛けに多くの方のご来場がありました。募金の方も10万円を突破し、当日お見えになりました市川市ユネスコ協会の代表の方に、「ユネスコ世界寺小屋運動」の基金を舞台上で直接お渡し、感謝状をいただきました。
さて、6月28日はいよいよNAOコーラスグループのハイドン作曲オラトリオ「四季」の本演奏会当日です。新宿文化センター大ホールにて、指揮:稲田 康氏、管弦楽:東京シンフォニックアンサンブル、ソリスト:山田英津子さん(S)、土崎 譲さん(T)、北村哲朗さん(B)を迎えての公演です。スケールの大きい難曲でしたが、歌いきることで多くのお客様と感動を分かち合えたのではないかと思います。
9月には「呼吸法による 声を育てるエクササイズ」の第3回研究発表会をティアラ江東小ホールにて開催。20名の研究生による伴奏付独唱(呼吸と声、そして歌唱)という壮大な?試みを今回も行いました。特別ゲストに超多忙の米山文明先生をお招きし、貴重なお話をいただきました。
2009年はNAOコーラスグループ結成10周年になります。年末年始の海外演奏旅行(有志)に引き続き、1月にはサンシティ越谷市民ホール・小ホールにてチャリティー・コンサートを、また強化合宿を間に入れて、4月12日(日)午後2時より新宿文化センター大ホールにて、ハイドン「天地創造」を指揮者に大勝秀也氏、ソリストに臼木あい(S)、望月哲也(T)、牧野正人(B)各氏をお迎えして公演いたします。折しも1999年の結成第1回公演が同作品でした。10年間の変遷を見る上でも思いを新たに、NAOコーラスグループ総力あげてのコンサートになると思います。

 

平成21年1月5日

 明けましておめでとうございます。東京はカラカラお天気のお正月を迎えたようです。年末から年始にかけてNAOコーラスグループ有志を中心としたツアーの一行は、ハンブルクのペトリ教会にて「戴冠ミサ曲」「第九」を、またライプツィヒの聖ニコライ教会にて「メサイア」のジルベスター・コンサートに参加しました。両演奏会ともに大変盛況で、舞台(普段は祭壇)からも溢れんばかりのお客様が演奏会を楽しみにしていらっしゃる様子を見ることが出来ました。
私にとって久し振りのハンブルク。滞在したホテルは市の中心部で町並みが変わらないドイツとはいえ、さすがに20年前とは異なっており、巨大なショッピングセンターなど便利なものが増えていました。また、世界的な温暖化のせいか寒さの感じも違って、氷結したアルスター湖でのマーケットは伝説的な感じさえします。演奏会場である教会は「H&M」のある東京の銀座と表参道がくっついたような街中にあります。クリスマス明けとは思えない賑わい振りにちょっとびっくりしました。
さて、12月30日は私たちにとって最初の演奏会、教会の2階のパイプオルガンの前も埋め尽くされるほどのお客様でした。指揮者は印牧(かねまき)氏でベルリンフィルでもご活躍と伺っています。その印牧氏の指導されている現地合唱団と私たちを含めた外のメンバーをバックに日本人オーケストラの皆さんの晴れ舞台です。モーツァルトの「戴冠ミサ曲」はNAOコーラスの有志も経験者が少なく、テンポの速さ、細やかさ、言葉の入れ方に演奏直前まで苦労している様子でした。「第九」はマエストロの本領が発揮されました。オケも合唱もほとんどアマチュアによる構成にも拘らず、教会の持つ独特の響きを知り尽くした感動の音楽となりました。
演奏以外でも 「くるみ割り人形」の鑑賞や世界遺産リューベックの散策など盛りだくさんの日程でしたが、特に連日演奏会というきつさが今回はありました。12月31日早朝にハンブルクを後にしてドイツの誇る列車移動にてライプツィヒへと向かいました。途中、車両故障による運休のハプニングやおにぎりの差し入れのサプライズもありなかなかの珍道中でしたが、ここまで歌いに来ている肝の据わった皆さん、とても元気です。
午後10時、聖ニコライ教会にての「メサイア」の演奏会が、ユルゲン・ヴォルフさんの指揮でスタートしました。BACHCHOR LEIPZIGの皆さんと日本の各合唱団による2時間休憩なしの演奏です。マエストロとの息のあった素晴らしい音色を奏でる現地オーケストラのもと、メリハリのある壮大な音楽が続きます。予想通り新年ジャストに最終の「Amen」を歌いきり喝采の拍手と共に外の花火も勢いよく上がりました。アンコールの拍手が鳴りやまず「Hallelujah」をソリストとの掛け合いで歌えたのも楽しかったです。文字通り歌で終わり、歌で始まったNew Yearです。今年も健康で声を育てながら合唱を大いに楽しみましょう。どうぞよろしくお願い致します。

 

平成21年2月

 1月25日(日)サンシティ越谷市民小ホールにてハイドン「天地創造」の試演会を兼ねた「チャリティーコンサート」を開催しました。越谷はコール・アクアの活動場所なので集客に際しまして、ちらしの配布、広報や「東武よみうり」での公演情報、「越谷南地域新聞」による取材及び記事の掲載など御世話になりました。NAOコーラスグループでも各々知人の方への声がけをその都度行っていましたし、またインフォメーションでは、私の指導している関係先々にPRを展開しました。その結果でしょう、当日は地元をはじめ実に様々なところからご来場いただき、懐かしい方にもお目にかかれました。
 海外演奏から帰国した翌々日の4日、まだお正月気分の最中にソリストと楽器の合わせを行いました。試演会では字幕がないので、オラトリオの進行役のレツィタティーフの代わりに私の語りを入れます。そのため演奏時間に合わせたカットがどうしても必要となりその調整に一苦労です。一方で、少しでも全体の雰囲気を出そうと電子楽器を補充しました。楽譜通りにはいかない演奏のため普段以上に工夫と手間がかかり、ピアノの杉原庸子さんと電子ピアノの増田佳代さんには随分と骨をおってもらいました。
 お正月早々の練習からソリストの皆さんはもうエンジンがかかっていましたが、暮れ正月と特別な時間を過ごした合唱団の出来ばえがとても気になりました。いつものことですが、この時期は未だ譜面とにらめっこの状況で、練習ではかなわないソロも入れての全曲演奏の流れや緊張感など、試演会で初めて体験することも多々あります。うちの男声陣のように人数が少なければ、プレッシャーも重く舞台を意識した調整に取りくまざるを得ないでしょう。その分、人数の多いパートは余裕がもてるものの、つい周りを聴いて歌ってしまい、楽譜にかじりついたままテンポがずれている危険が多くあります。舞台を意識し勇気を持って、どんな状況でも指揮者を見る意識だけは練習で身につけなければなりません。指揮者を見なければ何も始まりませんから。
 チャリティーコンサートは170名のお客様がご来場され、出演者と合わせ100、238円の募金を、後援もいただきました社会福祉法人 越谷市社会福祉協議会の中澤さんに「愛の詩基金」として、当日の舞台上でお渡しすることができました。高齢化が急速に進む地域社会の福祉活動の一助になればと思います。
 Sopの澤江衣里さん、Tenの新海康仁さん、Bassの山田大智さんの来団によって、今までには出来なかった練習が叶い、本番への準備に気持ちが一層進みました。新進気鋭のソリストの皆さんには今後の活躍を大いに期待したいです。私たちも試演会という一つのハードルを超えました。メンバー一人ひとりがこつこつと努力している事を全体で結集し本番に臨みたいと思います。そして忘れてはならないのは大作曲家のオラトリオ作品に取り組んでいるのですから、もう少し大きな世界を見て「天地創造」の音楽のスケールをもっともっと肌で感じて楽しむことです。音を楽しむとは、ご自身の楽器をこよなく愛し深化させていくことにあるからです。

 

平成21年3月

 2月14~15日と合宿を行いました。この時期ですので、ある程度の寒さを予測していたのですが、会場になっている大田原は両日とも3月並の陽気となりました。特に初日の練習では暖房の設定を解除して、窓を開ける必要があったほどです。それでも朝夕はさすがに冷え込み、翌朝敷地内に植生する「ザゼンソウ」や「福寿草」「節分草」を迷ガイド?の井口さんに、案内された何人かのグループがあったとか・・・。
 ちょっと寂しかったのは、昨年この合宿にご家族と参加されNAO(なお)コーラスをとても大切に思ってくださった故大野とし子さんのことで、最後の合宿の写真では誰よりも嬉しそうに写っていたのを思い出します。
 さて、ハイドンの「天地創造」です。NAOコーラスの皆さんの一人ひとりの自覚をもった演奏がすべてです。パートで歪みがあっては音のラインが壊れます。そして4パート同時進行でなくては音楽の骨格が出ません。舞台ではコーラスの前にオーケストラが入るのですから、反響板を利用して一番奥の客席にも届く音楽が要求されます。ピアニッシモの美しさと光や天使の明るさを際立たせるフォルテは聞かせどころとなることでしょう。この度の合宿では演奏を人任せにしない粘りと強さを追求しました。延べ10時間ほどの練習でしたが、全員元気に日曜日の午後3時過ぎには、ホテルの送迎バスやマイカーにて帰路につきました。
 足立区に「楽学の会」というNPO法人があります。そこで2年前に「歌は人生のパートナー」と題した講座を持ちましたが、その第2弾ということでエクササイズの要素をたっぷりと入れて欲しいとの要望がありました。題して、「歌からはじまるもうひとつの世界」。NAOコーラスグループの練習では、耳にたこができるくらいお話している事ですが、一般の方には新鮮で興味をそそられる内容なのかも知れません。毎日使っている呼吸や声なのに、案外その仕組みを知らずに問題を抱えていることは多く、また知っているつもりでも身体感覚を伴っていないケースはよく見受けられます。
 第1回目の講座では、呼吸と声の基本的な関係について実践を交えながらお話しました。自分の中にある筋感覚を最大に使って声を出す試みに、参加者(定員50人)皆さんの声が良く響き会場に広がりました。私自身も理にかなった方法を取ると、必ず身体は響くことを再確認させていただきました。もっとも、それを日常化するためには地道な練習が必要です。これまでの身体にしみこんだ習性と脳の回路を、理にかなった身体の働きの感覚と意識で「チェンジ」していかなければなりません。その研鑽の場としてあるのが「呼吸法による声を育てるエクササイズ」の教室で、そこに通う研究生の日々取り組んでいるテーマの大きさが分かります。
 4月のハイドンのオラトリオ「天地創造」では、最後の創造物である「創造の素晴しさを讃え、表現するためにつくられた者」として、人が登場します。NAOコーラスが演ずる天使の響きで花を添えられればと願っています。

 

平成21年4月

 マリア・ヘッラー女史の講座に通訳として参加する機会を得ました。米山文明医学博士との共同研究による「Atem-Tonus-Ton」が主題です。日頃からエクササイズへの研究普及活動をしている経験者を対象に実施されたものだけあって、もし、この講座に知らない人が迷い込んだら、全く違う表現の世界がそこにあることに気付き驚くことでしょう。
 通訳の難しさは、講師の表現するものを参加者の皆さんに円滑に伝える役割だけでなく、皆さんの感覚を講師に伝えることも付いて回ります。その人の持った印象や感覚をドイツ語のどの言葉を使って伝えるか、私の持っている言葉の感覚と実際が一致しているときは良いのですが、自国語ではないのでこちらの頭脳が空回りを始めると大慌てです。そんな時は英語や伊語の助け舟の声があちらこちらで聞こえ、ホッとします。
 テーマが「声と呼吸と身体をつなぐ良い緊張関係」ですから、とてもデリケートなバランス感覚と力強いエネルギーをもち、内容が段階を追ってどんどん深まっていきます。当然それに伴って個々の感覚も鋭くなり表現も多様になってきます。そんなわけで今回も体当たりの通訳となりました。
 講座を通して印象に残ったのは、<声>はその人間そのものを現す鏡、つまりその人の良いことも悪いことも含めて呼吸の様子を体現する営みであるという点です。その人がその全てを受け入れたとき、自分自身が本当に安定し、それが身体に声に、現れるものなのだとあらためて感じました。その意味で合唱はまさに、その個々の声を昇華させて創り上げるわけですから、息するものは全て既に持っている深みのある人数分の音色が出てくるはずです。合唱指揮者にとって、それをどう引き出すかが課題であり、私の場合は「声を育てるエクササイズ」の研究普及活動によって、個々の心に呼びかけを今も続けています。

 

平成21年5月

 4月12日(日)、新宿文化センター大ホール「天地創造」の公演は、NAO(なお)コーラスグループ10周年にふさわしい公演となりました。カーテンコールの後オーケストラが退場し、合唱団の最後の一人がひな壇から降りるまでお客様の拍手が続きました。いつもなら、帰り支度を始めた客席を前に少し寂しい思いで舞台から退場する男性陣も、今回は拍手で送られ万感の思いとなったと打ち上げで話していました。
 大勝秀也先生は本当に全てに精通しておられ、合唱団との合わせの段階から「Look」「指揮者」など大きなロゴ入りのTシャツで登場し、団員に何が必要なのかを印象付けて、演奏者の自覚を訴求され続けました。本番舞台でその効果は見事に発揮され当日のお客様からのアンケートには「指揮者のもとでよくまとまっていました」という感想を多くいただきました。
 第1部―第2部と休憩なしで通しましたが、ハイドンの世界に浸ることの出来たあっという間の時間でした。また第3部に入った際のグッと引き締まった舞台はとても印象的でした。清廉潔白なアダム(牧野正人)とイブ(臼木あい)のロマンスにウリエル(望月哲也)をはじめとした天使の群れ(コーラス)が創造主への惜しみない感謝の念を伝えます。オーケストラはそれぞれの音色が冴え渡り、最終曲の生き生きとした演奏と締めくくりのAmenのなんとも豊かな響きは聴く人の心に深く刻まれたのではないでしょうか。
 さて、10周年記念の第一弾のコンサートの心地の良い余韻に浸りながらも、次回12月の「第九」公演の準備に余念がありません。初めての試みとなる高校生オーケストラとの共演に、NAOコーラスグループの音色がどのように融和し、柔軟で力強く美しい響きがつくれるか、予想される幾つかの課題が頭をよぎります。指揮の佐野直樹先生からは熱いエールをいただいています。世代を超えた感動を呼び起こす音楽が出来たら最高ですね。また、江戸川女子中学・高等学校の在校生・卒業生の保護者の方も一部練習から参加していただけるとのことでしたので、一人ひとりの「身体は楽器」という当方の合唱づくりにご理解をいただき、一味違う「第九」を楽しんでいただければと願っております。

 

平成21年6月

 「(前略)特に歌の場合には身体に行き来する呼吸の流れをふんだんに使いますから、バランスを崩すと途端におへそから上にエネルギーが持ち上がってしまいブレスが浅めになり、自転車操業的な歌唱になりがちです。そのために音色が一辺倒になり、聞き手には硬い感じの美声?が届けられることになります」これは昨年の9月にこの欄で述べたものです。
 あれから8ヶ月の歳月が過ぎようとしています。この5月には、富士山の見える山中湖畔のペンションで、「第4回 研究発表会」(6月開催)を前にした、エクササイズ研究生(有志)による合宿を行いました。期ごとに歌うことの高みにチャレンジをしていますが、活動の下地には音声教育学Atem-Tonus-Ton(呼吸から声を導くための具体的メソード)の深遠なる世界があります。
 呼吸というと、ふだんの生活では〝吸ったり、吐いたり〟の一対となった呼吸(外呼吸)を思い描くでしょう。でも、実際には他愛もないお喋りや会議での議論、スピーチ、歌ったり演じたりなど、その都度の表現に見合った、とても自然な呼吸を(無意識に)しています。
 何かを表現する際に使う呼吸は、〝外呼吸〟のイメージだけではおぼつかないことが多々あります。特に「歌」の場合、楽譜に高い音が出てきたり、長く伸ばす音符が目に入るなりしたとたんに直ぐに息が上がってしまい、対応出来ずに曲や歌詞が途中で切れたりすることがよく起こります。
 そこで、お勧めしたいのは、外呼吸で一たび身体に取り込まれた息は、酸素として体中に送りこまれ、全ての細胞を活き活きさせている(内呼吸)、そのイメージを持つことです。たった今、入ってきた息(酸素)は、血液を通して頭の頂から足の爪までの全ての細胞に運び込まれ、そこで新陳代謝(ガス交換)が行われエネルギーが放出されるわけです。
 この様な爽やかさをもった息の流れをベースに「声」と結び付け、更に「歌」に活かすことが目標です。此のたびの研究発表会でも、そうした研究生たちの努力の姿がお届けできればと願っています。

 

平成21年7月

 「歌う」という行為は人間にとって自然でありながら何とも奥深い行為であります。自分の身体の全てを使って現れる声。これはその人の生きる力そのものです。先日「第4回 研究発表会」をティアラ江東小ホールで行いました。エクササイズ研究生にとっては、日頃の成果を試す一つの通過点である大事な舞台です。華やかさと緊張の長い1日となりました。期ごとに「歌う」ことの高みにチャレンジをしていますが、その活動の下地には、Atem-Tonus-Ton(呼吸から声を導くための具体的メソード)による実践的な考えが取り入れられています。
 平日の夕刻からの開演にもかかわらず、研究生たちを暖かく見守るご家族、お友達の皆さんが、お客様となって大勢応援に来てくださいました。本当にありがとうございました。舞台裏では、研究成果をお見せしようと奮闘している、研究生たちの涙ぐましいまでに真剣な姿がありました。
 そのお客様からは、「前よりも歌が上手くなっています」「舞台の立ち姿が堂々としてきました」「目の輝きが素晴らしいです」など、好意的な感想を多くいただきました。研究生達からは、歌詞を落としてしまったことや、「声」が思うようにでなかった、まだまだ課題が多いなど、反省のコメントが多かったのですが、既に次への自分の課題をみつけ、計画を立てているところはさすが研究生です。
 この教室では歌を上手く聞かせるための方法を身に付ける練習はしていません。いかに自分本来の声を自由に使うことが出来るようになるかを大切にしています。舞台という特別な場所に立っても本来の目標、課題にどれだけ取組めたかがとても大切なところです。
 全身をくまなく使って<息の流れ>をベースに、「声」と結び付け、更に「歌」に活かすことが目標です。呼吸のバランスを崩すと、つい小手先の行為に頼りたくなるものですが、そこが落とし穴。一旦その世界に足を踏み入れると、そこから本来の自分に戻るまでにはかえって時間がかかってしまいます。自分では何とか繕ったつもりになるのですが、自分の気持ちとは裏腹にお客様の気持ちは引いています。
 舞台とはその人のまるごとを見せるところなのです。だからそこに立つのは恐ろしく、今の自分の有りの侭を自分で受け入れる訓練が必要です。しかし覚悟を決めてそこに立ち自分のベストを尽くす姿は何とも神々しく輝いています。1回の舞台は100回の練習に匹敵すると言われます。その裏づけは日頃のエクササイズにあります。どうぞ、これからも応援をよろしくお願いします。また、皆さんもご一緒にエクササイズに参加しませんか。きっと、新たな世界が見えてくるはずです。

 

平成21年8月

 7月19-20日、足立区合唱連盟・足立区教育委員会主催による「第9回 海の日ジョイントコンサート」が、西新井文化ホールにて開催されました。初日は加盟4団体によるプログラムです。本年は新たに田口太美先生指導の「たんぽぽ隊」の愛らしい舞台や笹倉敬子先生の「椰子の実」の独唱など、話題も幾つかあって大変賑やかなジョイントコンサートとなりました。
 また、2日目は学生の部のコンサートで、8団体の各公演の最後に「足立区中学合同合唱団」の演奏がありました。立ち見が出るほどのお客様がお見えになり、昨今の吹奏楽・管弦楽流行の中で力強い若さあふれる歌声は音楽活動の裾野の広さを感じさせてくれました。
 さて、「歓喜の演Vol.9合唱団」は、本年の1月中旬より週1回「メサイア」(抜粋)の練習を重ねて、今回の〝海の日〟が初舞台となりました。小学生から間もなく85歳を迎える男性まで、公募による市民参加の合唱団で、足立区生涯学習公社の支援も経て今日を迎えています。
 演奏後の懇親を兼ねた打ち上げでは、参加された皆さんから、まだ余韻覚めやらぬ様子で舞台の興奮を伺うことが出来ました。中でも舞台の設営に朝早くからお手伝いしてくださった方から、コンサートの舞台の裏方の大変な様子について思いがけないコメントをいただけたのは、連盟に関わるものとして嬉しく思いました。
 演奏中のこまごました失敗談など、照れくさそうにお話される皆様のアットホームな感じにホッとしています。確かに課題は山積しているようも見えますが、案外何か一つ変化していくとオセロゲームのように次々とスッキリしてしまう性質のものばかりなので、皆さんが思うほどの心配はしていません。
 収穫はなんと言ってもコーラスにとって大切なものは何かを、身をもって体験されたことにあると思います。「そんなこと言ったって・・・・」と当事者は悶々としているのかも知れませんが、確かにそこで生まれる歌声は世界中で唯一つの臨場感あふれるものなのです。 
 それは、NAOコーラスグループでも同じことが言えます。通常の練習でも、その日その会場に集った人の声でつくり出す、その時のベストをコーラスにしていくことの喜びが大切なのです。
 打ち上げの間そんなことを考えていましたら、窓越しのうっすら青みがかった南の空に、扇形の虹がかかり私たちの目を楽しませてくれました。コーラスを愛する人たちへの、日ごろの努力へのプレゼントなのかな、と皆さんの笑顔をうれしく拝見していました。

 

平成21年9月

 宇宙船地球号の日本列島の奇妙な夏も、蝉の音と共にフェードアウトしていく感じですが、私たちのコーラスの練習やエクササイズの活動は、一夏越えて新たなハードルに取組みつつあります。
 ベートーヴェン晩年の作品である「第九」は、新しい交響曲の構想とも結びついた、いわば時代を飛び越えたエネルギッシュな音楽です。この19世紀前半に創作された魂に向って、しかも東洋に生きる私たちが演奏するわけですから、乗り越えるべき幾つものハードルがあって当然です。
 その一つに、アマチュアにとって非常に高い音を要求されている点があります。教会の天蓋まで抜けていくような清らかな響きのイメージが根源にあるのでしょう。楽譜上の音の高さは苦しさではなく、天に向かう歓びとして即反応する演奏が欲せられています。身体全体で音色のバランスを感じる、楽器としての体勢が前提となっているのです。こうしたイメージから掛け離れた、無理を強いるような喉の力自慢的な歌い方であれば、練習の段階で既に喉がガラガラになってしまっていることでしょう。
 だからと言って、身体という楽器から音色を発していれば良いというものではありません。リートのように歌詞と心が一体となって歌うという、当たり前の感覚は常に必要です。特にシラーの頌歌を題材にして表現されている「歓び」が、決して日常感覚のものでないことは明らかです。身体感覚と想像力を最大限に使いたいところです。
 私のドイツの留学中に「ベルリンの壁」の崩壊がありました。2年連続でNAOコーラスの有志が演奏旅行で訪れた、ライプツィヒのニコライ教会の集会も、当時はそうした活動の一端を担っていたと聞いています。その20年前の歴史的な年のクリスマス・コンサートにおいて、巨匠レナード・バーンスタインが「第九」を演奏し、「歓喜」を「自由」と歌い、統一の喜びを歌った映像はまだ記憶に新しいのではないでしょうか。
 “星々の彼方に主がおられるのだ”という歌詞があります。これなどは、圧倒される強大なパワーの前に跪き、感じ、更に確信するに至る崇高な魂の、朗々とした旋律と響きで世紀の音楽を創り出しています。それだけに私たちのコーラスがどの様に歌い、若い世代と共に『第九』を創りあげていくのかが、とても楽しみです。
 江戸川女子中学・高等学校シンフォニックオーケストラとの共演(指揮・佐野直樹氏)は、ちょうどクリスマスの日の公演(江戸川区総合文化センター・大ホール)となりました。保護者やOBの方の一部も私たちの練習に参加していただいています。合宿や合唱祭の出演などを経て、本番に臨みたいと思います。

 

平成21年10月

 ハッピーマンデー制度で「敬老の日」が第3月曜日となり、今年の9月は土~水曜までの連休となりました。その後半に恒例の合宿を実施しました。新型インフルエンザや高速道路料金の値下げによる渋滞などの影響もあって、現地に着きNAOコーラスグループのメンバーの顔を見るまで、なかなか落ち着けませんでした。
 私たちはともかく午前6時30分には東京を出発しました。高速道路はいつもより車の量は多く、途中のサービスエリアはどこも混雑しているようでした。そのため、ノンストップで現地入りを果たしたところ、前後するように直行組みの車が会場に到着しました。集合時間の3時間前でした。
 今回の合宿は多くの団員が、既にどこかの舞台で歌っていると思われる「第九」をメインに組み立てた練習となります。男声が少ないのはいつものことで織り込み済みなのですが、どうもソプラノの参加が少なかったようです。
 それでも初日は「声を育てるエクササイズ」の基本を60分程行い、人数の大小にとらわれず進めました。演奏を決めた当初より、伸びと張りのある美しい響きをもったハーモニーづくりが課題で、自分の声と周囲の声とを調和させながら練習する習慣が欲せられていました。その意味では、人数の少ないパートはきちんとした音量を出さなければいけないという難しさはありますが、自分の裁量でいくらでもそのハーモニーに入れるという利点が生まれてきます。ソプラノはよく頑張りました。
 また、人数の多いパートでは、人の多さに引っ張られて皆であわせて、気持ちよく音程低めに揃ってしまうことが多くあります。人数が多い分、誘惑が大きいので各人の音に対する意識が非常に大切です。
 響きは全身から生まれて来るものなので、その振動は全方位へと向います。そして共鳴する空間が出来上がります。パート間の音が揃い正しいハーモニーが成立すると、響きは倍増され至福の一体感がつかめるでしょう。私達は身体全体で常に調律しながら音程も音色も作っているのです。メモリの無い自由な楽器です。
 江戸川女子中学・高等学校の保護者OBも何人か参加していただきました。本当に嬉しかったです。皆さん音楽が好きで、特にベートーヴェンの交響曲に深い関心をお持ちとか、しかも「第九」の深遠なる世界に対する心構えに素晴らしさを覚えます。今回初参加の男声陣もハーモニーの感じをつかんで頂けたでしょうか。皆さん、最後までやり遂げられて、この成果はきっとこれからの練習を含め、様々な演奏に活かされていくものと確信します。

 

平成21年11月

 「第29回 足立区合唱祭」(足立区合唱連盟・足立区教育委員会 共催)が10月18日(日)、ギャラクシティ西新井文化ホールにて実施されました。報告では、857名のお客様に足を運んでいただき、出演者の849名と合わせると1706名が5時間30分程の公演に参加されました。
 今回は28団体の出演があり、4ブロックに分かれての演奏となりました。NAOコーラスグループは午後5時過ぎのDブロックの出演で、合唱祭全体でも最後から2番目の舞台でした。プログラムの最後の方になると空席が見られたりするのですが、合唱祭通しての観客が昨年よりも100名ほど増えたためでしょうか、今回は大勢のお客様のなかでの演奏が出来たのでとても嬉しかったです。
 12月25日の本番の第1部でも演奏する6曲の中から、バッハの「クリスマスオラトリオ」の1曲をもって舞台に上がりました。江戸川女子中学・高等学校の保護者有志も一員として歌ってくれました。気が付いて見ると、楽譜にしがみつくことも無く皆がこちらをよく見てくれているのが分かりました。表情も何時になく明るかったようです。増田先生の軽やかな伴奏に乗ってハーモニーが活き活きと客席に向いました。
 交換メッセージから、「1人1人が楽しく歌っているのが伝わってきました。すごく難しそうな曲でしたが、1つ1つのパートがしっかり歌えていました」「豊かな響きと団員の皆さんが楽しそうに歌っているのが印象的でした。ピアノも素晴らしかったです。12月の本番も頑張って下さい!」「美しいハーモニー クリスマスが待ち遠しい気持ちにさせてくれました」「教会で聴いたらさぞ素敵だろうと思いました」「男声少人数でよく頑張っていると思います。よくまとまっていました」「のびのびと素晴らしかったです。ソプラノが綺麗でした」etc・・心温まるメッセージを頂き、ただただ感謝あるのみです。
 さて、秋の深まりとともに練習も、「第九」の深遠なる歓びに向けてのハーモニーづくりに余念がありません。決して大人数による編成ではないので、一人ひとりの<声>の積み重ねがとても大事になります。私たちの声が管弦楽と一緒になって創る歓喜を、当日おいで頂いた皆様に届けられればと願っています。

 

平成21年12月

 今年も余すところ一ヶ月。NAOコーラスグループ10周年の節目の一年でしたが、コーラスの中身の方も随分と変化があったような気がします。私も含めて10歳年をとったわけですから、団員の皆さんの発声の際の音域一つとっても、状況が変わっていて不思議はありません。
 「呼吸法による 声を育てるエクササイズ」を実践している立場からみれば、今ここできちんと声のケアーをしておかないと、後々苦しくなるばかりと本当に心配しています。声帯の強さや筋力だけでは立ち行かなくなる時が、或る日ふと訪れるかもしれないからです。
 記念公演の第2弾がベートーヴェンの「第九」というのも意味深い気がします。10年前だったらそんなに苦労しなかった高音域もピッチが落ちてきて、ふだんの練習でさえ避けたくなったりしていませんか。また、暗譜で当たり前に歌っているところが、後で譜面と違っていたことに気付かせられることも珍しくありません。
 今回共演される江戸川女子中学・高等学校の保護者の女性陣は、コーラスが初めてという方もいらっしゃいます。お子さんや男性陣は学校で既に「第九」を経験しているようなので、ご家族に楽譜を借りて譜読みされている様子です。ただとても逞しさを覚えるのは、とにかくコーラスの中に身を置いて練習に参加されている姿にあります。歌えているかどうかということよりも、この音楽に身をもって入り込む姿勢が伝わってきます。経験者の方に脇の甘さがあったりすると、しっかりとコーラスのピッチの下支えをしてくれている場合があります。
 今年のクリスマスは平日です。景気もデフレ状態にあるとのことで、現役の皆さんにはコーラスに向けられる時間が取り難くなっているとのお話も伺っています。音楽活動に身をおく者としては、市民の文化活動が政治や経済的理由で狭められるのは非常に寂しい思いがあります。この灯火を消さないよう、関係各位に今一度奮起を促したいところです。
 『「声を育てる」エクササイズ』(近藤直子、井口信昭共同執筆)の新刊も12月上旬に千早書房より出ます。日本声楽発声学会の教育部会でも一部PRさせて頂きました。25日の演奏会の弾みになればと思います。

 

平成22年1月

 2009年12月25日午前7時、まずまずのお天気です。NAOコーラスの事務所では今日の公演のための下準備が始まりました。車に表方のスタッフやサポーターの皆さんの仕事道具、プログラム、折込チラシ、看板用紙などを積み込み、後部には電子楽器(チェンバロ、オルガンの音色を担います)を運び込みます。ともかくも忘れ物、要注意です!
 既に公演会場の舞台では、ピアノの調律や合唱団用のひな壇、オーケストラピットの設置の作業が進められています。江戸川女子中学・高等学校シンフォニックオーケストラは朝から練習があるとのことでした。午前10時15分に到着したところ、本日の指揮者でもある佐野先生はもう舞台入りしていました。何人かの生徒さんも搬入口で作業をしています。楽屋ではパート練習が行なわれていました。
 70人の中・高校生のオーケストラは先日の三郷での合せから一気に仕上げてきた感じがしました。それに比して合唱は100余名です。そのためゲネプロでは伸びやかな響きのある歌声で、演奏の骨格を確かめる必要があります。何といっても会場は最大1500人を収容できる大ホールです。
 今回はクリスマスの公演。といっても欧米諸国とは文化が違います。ケーキやプレゼントなどのイベントはあっても、社会全体が平日と大きく変わるものではありません。ちらしやポスターを利用したPRに努めましたが、特にメディアで大きく紹介されるわけでもありません。観客をどこまで集められるのかの原点は、やはり日頃のコーラスの活動にあると考えます。
 午後1時には、表方スタッフが早々に会場入りしてくれました。また直接舞台には出ない生徒さんから、時間の許す限りお手伝いしますとの声がけもいただき心強く思いました。NAOコーラスグループの面々も集合時間よりも早めに集まり始めています。生徒さんたちとの初めての共演ということがあるのでしょう、会場内には爽やかな空気が漂っている感じがしました。そうした阿吽の呼吸があったためでしょうか、3時からのゲネプロでは一つの音楽をつくり出す熱気が舞台の隅々にまで立ち上っていたような気がします。
 午後6時30分、第1部の本番です。舞台から見る限り、懐の深さがあるホールの1階はほぼ満席状態でした。「クリスマスの夜にようこそ!」という気持ちが団員の表情からも窺うことが出来ました。果たして、目指すべきNАОコーラスらしい伸びのある豊な響きはつくれたでしょうか。『ハレルヤ』からはオーケストラとの共演で、聖しこの夜・もろびとこぞりて、とクリスマスにちなんだ曲目の演奏が続きました。「クリスマスらしい作品があり小学生の子供も楽しめました。ステキでした。ありがとうございます」「いつもと違い学生さんの演奏、コーラスとも晴れやかで美しく力強い感じがしました」(演奏後のアンケートから)
 休憩を入れて、いよいよ第2部のベートーヴェン『第九』です。今回は合唱団も第1楽章から舞台入りです。佐野直樹氏によるお腹の底からほとばしる力強いタクトが、生徒たちの熱演を冒頭より呼び起こします。さあ、100余名の合唱団、頑張れ!「大変感動的な第九でした」「若い皆さんがこんな素晴らしい演奏ができるなんて、とても感動しました」「特に合唱(第九)は迫力があり素晴らしかったです」「第九 コーラス、ソリスト、オケ、すべて良かったです」・・・アンケートでは感動という言葉を多く戴きました。
 今回の演奏会の目的をズバリ察していただいたメッセージも幾つかありました。「中高生とのコラボレーションがめずらしく楽しめました」「中学・高校なのに、オーケストラをやるなんてすごいなと思いました」「中高生オーケストラの純粋な響きと合唱が心を動かしました。これからも是非続けて下さい」「クリスマスにちなんだ名曲と第九というプログラミングも素敵でした。とても聴きごたえのあるものでした」「年の瀬らしい気分になったと共に、この一年を振り返り充実した年末年始を過せそうな気持ち。素晴らしい演奏と合唱に力を戴きました」
 NAOコーラスグループ10周年にふさわしい演奏会になりました。ひとえに皆様のご協力、ご支援の賜物と深く感謝いたします。どうぞ、良いお年をお迎え下さいませ。

 

平成22年2月

 2010年も早一ヶ月が経ちました。今冬は全国的に本格的な寒さとなったようです。家の前の枇杷の木にはメジロが何羽か毎日やって来ます。プランターの水仙(西欧種?)の黄色いラッパが目を楽しませます。その傍らで福寿草が陽だまりに一輪咲いています。春の球根たちも頑張って芽を地中から覗かせています。
 昨年12月中旬にすみだリバーサイドホールにて「国技館すみだ第九を歌う会」主催による、ベートーヴェン作曲 祝典劇『献堂式』の中からの1曲(合唱とソプラノ独唱 WoO.98)を試演会で指揮しました。当日は「第26回国技館第九コンサート」の恒例の「歌い納め」のセレモニーがあった関係で、来賓の墨田区長をはじめ大勢の皆様がお出でになりました。何でも2011年7月の「東京スカイツリー」地デジ供用を祝賀して、同年に開催する「第27回国技館第九コンサート」の第1部で、本邦初演となる同曲全曲の演奏を行うとのことです。そのための練習の指導者の一人として、昨年の8月から参画しています。
 初物の宿命なのでしょうか、祝典劇『献堂式』もコーラス用の楽譜を用意するため随分とご苦労があったようです。また、国内の演奏CDも絶版になっているとのことで、本当に手探り状態での練習となりました。それでも、試演会で無事に演奏を果たすことが出来て嬉しく思っています。
 本年前半は、2月中旬に沖縄の「第九」の演奏会にNAOコーラスグループ有志で参加します。3月「声を育てるエクササイズ」の第5回研究発表会、4月の合宿を経て、ゴールデンウウィークには既に海外演奏旅行の皆様と合同練習しているモーツァルトの「レクイエム」をもって、アムステルダム・コンセルトへボウ公演に参加します。また、6月には、モーツァルト室内管弦楽団の第50回定期演奏会で同曲の共演も控えています。
 足立区においては歓喜の演Vol.10や足立区合唱連盟の30周年の記念事業がスタートします。並行して『献堂式』の練習も続いています。一見日程だけが先行しているようにも見えますが、本質を見失うことなく、一つ一つのきちんとした演奏を心掛けていきたいと思っています。
 「呼吸の本質を辿っていくと、完成された息の深さなどというものは有り得ないことが分かります。それは、その折々につくり出され、多少の残響はあるにしても消えていく声と同様の運命にあるからです」(2009年12月刊行『「声を育てる」エクササイズ』より)

 

平成22年3月

 那覇空港に到着したのがお昼少し前。出迎えの現地添乗員T氏の「今日は寒いですね」にビックリ。2月の東京の最高気温はせいぜい10℃前後。20℃近くありそうな陽気に誘われて、県庁前の広場で一本の満開の桜を背景に記念撮影をしました。
 2月14日が旧暦のお正月とのことです。前日ながら那覇市の公設市場でも鏡餅を並べているお店がありました。早速、オリオンビールで乾杯し、チャンプル、島らっきょう、ミミガー、グルクン、ソーキそばなど沖縄料理に舌鼓。そして一時でしたが思い思いに国際通りを散策し、専用バスでホテルに向いました。
 この日の夜7時から古島の教育福祉会館のホールでリハーサルがありました。今回の演奏旅行は昨年4月12日の大変好評を博した「天地創造」の指揮者、大勝秀也先生とのご縁がきっかけです。沖縄ベートーヴェン協会主催による「第九」の演奏会への参加者をNAOコーラスグループ内で募りました。最終的に29名の有志によるグループが出来上がり、東京での練習を経て2月13日の午前9時に羽田空港を出発しました。
 リハーサル会場には、思っていた以上に演奏者が集まっていました。80人編成による沖縄交響楽団、地元沖縄のメンバーを中心に宮古島や鹿児島、東京のNAOコーラスグループなどの特別編成による沖縄第九合唱団260人の初顔合わせです。御世話をしてくださいました地元コーラスの普久原さんから、沖縄でも「声」はとても大事なテーマになっていると聞いて、当方の新刊「声を育てるエクササイズ」も随分話題となりました。
 演奏会当日の午前、雨の予報も退け、10~11時FM21のスタジオでの生番組「ヒロのクラシックは友達」に、大勝先生とご一緒に出演させていただきました。親しみをもった渋い語り口のパーソナリティー下里明弘氏の構成で、間違いなく世界一多く沖縄で第九を演奏されている大勝先生が、持ち前の歯切れの良い重厚なトーンで第九をはじめ音楽全般についてお話されました。
 沖縄では管弦楽付き合唱作品の演奏の機会が少ないとのことで、はるばる東京からも参加する今回の第九の大合唱の醍醐味や、合唱指揮者と指揮者の役割の違いや、そうした指導を受けてコーラスする際の心構えや喜びを話す機会が出演者それぞれにありました(その頃、ホテルのNAOコーラスの面々は、実況を聞こうとラジオを入手すべく奔走していたとの話を後で聞きました)。
 沖縄コンベンションセンター(宜野湾市)は復帰10周年の記念事業の一環として設立された大規模施設で、演奏会場となる劇場棟(固定席1709)は1990年に新設されたとのことです。今回の大勝秀也氏指揮による「第九」は、かなりの評判になると予測をしていましたが、実際に当日は1階・2階共満席でした。 
 足元から押し寄せるオーケストラの響きと天上から降り注がれるコーラスの力強い音色は、まさに沖縄ならではの温かさとパワーに溢れる素晴らしい「第九」でした。終演後の拍手はいつまでも鳴り止みません。参加して良かったとつくづく思いました。翌日共催をされた琉球新報の朝刊でも、社会面の真ん中で此の度の演奏会の成功を写真入りで大きく取り上げていました。
 大勝先生から来年「メサイア」の演奏をNAOコーラスグループで行う予定の話がラジオの生番組で、ポロッと出てしまったのにはビックリでしたが、とても楽しい沖縄演奏旅行となりました。

 

平成22年4月

 3月18日(木)午後5時より、ティアラ江東小ホールにて「呼吸法による 声を育てるエクササイズ」の第5回研究発表会を開催しました。今回は19名の研究生による伴奏付独唱です。8ヶ月程の研究期間を経ての発表会です。出演者は勿論、指導や企画に携わるもの、伴奏者も含め様々な人生が凝縮されての舞台だったかと興奮冷めやらぬ一日となりました。
 当日のプログラムの挨拶文にもそのあたりの経緯を記しました。
 「声を育てるエクササイズのレッスンはグループで行っております。通常の個人レッスンでは先生と一対一になりますが、ここでは第三者が聴講しています。自分自身のレッスンでは気がつかないことも、仲間のレッスンから自分自身のことに改めて気がつかされることも多くあります。また、人前に出た時その人の思いとこだわりが、呼吸を浅くしてしまい全身の感覚に集中できない原因になっている事もしばしばです。『わかっちゃいるけ~ど、やめられな~い』のも人間の性。5年の年月を経て、最近はそれもみ~んな含めて変化の過程を楽しむことが少しずつ出来るようになってきているようです。今日も一つ一つの感覚を大切に、しっかりと地に足を着けて舞台での時間を楽しんでくださることでしょう」
 初回から参加している研究生の多くは、自身の「身体の声」と率直に向き合うことが出来るようになってきたようです。歌の場合、頭で分かっている自分の「声」と第三者の感性とが一致しない場面に出くわすことはよくあります。歌い手はプレッシャーにも負けないぐらいに楽しく歌っているのですが、聴き手が割りとクールだったりする、そんな混沌とした曖昧で厄介な状態があります。そんな時でも、実際に『呼吸と声』の関わりから次第に明らかになってくる自分自身の現実を、研究生たちは身体感覚を通して受け入れることが出来るようになりつつあります。
 このような過程を経て「声」に落ち着きが出てくれば、音楽作品への取り組みにもゆとりが生まれて、人に聞いていただける歌の世界が更に楽しめるはずです。既に研究生の中でもそのような境地でもって活動されている方もいます。また、エクササイズをバネに飛躍しようとのお話も伺ったりします。いろいろな場で活躍されるのは、とても良い機会だと考えます。
 『呼吸と声』を結び付ける研究は今現在も続いています。音声教育学Atem-Tonus-Tonのマリア・ヘッラーさんや米山文明先生の普及活動は世界にまで及び、より多くの人々に影響を与えています。私たちも先駆者の精神を汲んで、微力ながらもレッスンの深化を遂げていければと思っています。
 4月から第6期目に入ります。研究生としてだけでなく一般のレッスンも受付けていますので、『呼吸と声』のエクササイズからどうぞ今のご自身の状態を知る良い機会にしていただければと思います

 

平成22年5月

 4月10-11日と那須・大田原市内の施設にてNAOコーラスグループの合宿を実施しました。今回はモーツァルトの「レクイエム」の強化合宿です。5月初旬に日蘭交流合唱団として、アムステルダムにある世界的なコンサートホール<コンセルトヘボウ>での同曲の演奏会に参加される、有志の皆さんにも合流していただきました。この企画は公演ツアーで定評のある(株)ラテーザにより運営されており、近藤直子インフォメーションも国内の練習などで協力しています。
 東京の千鳥ヶ淵の桜は散り始めているのに、大田原市内の桜は未だ蕾がいっぱいでした。そういえば、2月中旬に「第九」演奏会で行った沖縄では、桜が既に満開でずいぶんと驚いたことを思い出します。今年は日本列島の奥行きを、桜を通して肌身で感じる良い機会となりました。
 さて、合宿の曲目であるモーツァルトの「レクイエム」は、「モツレク」と呼ばれるほどに数多く演奏されている作品の一つです。その点でベートーヴェンの「第九」と同様の傾向がアマチュアコーラスでは見受けられます。クラシックでも耳慣れたポピュラーな曲は、その内容をどれだけ歌っているかが重要となります。特に多くの人が知っている曲はごまかしが利きません。歌い手自身何を歌っているのかが曖昧になると、途端にハーモニーのバランスも崩れて音楽が活きてこなくなります。そのためにも合宿では中身を充実させるようにメニューを組み立てました。
 一方で、人によっては映画「アマデウス」の強烈なイメージや、W.A.モーツァルトの未完成の遺稿作品ということで難しさや戸惑いがあるようです。以前にザルツブルクの教会で、死者のためのミサ曲としてモーツァルトの「レクイエム」の演奏を聞く機会がありました。楽譜にある曲目が順次、司祭の語らいの合間に演奏されていきます。あらためてこの音楽の意味合いと言うものに触れたような気がしました。
 NAOコーラスグループでは、モーツァルトの「レクイエム」を8月1日(日)新宿文化センターの大ホールでヴィヴァルディの「グローリア」と共に演奏します。それに先立つ6月13日(日)には晴海の第一生命ホールにて、モーツァルト室内管弦楽団の第50回定期演奏会でも同曲の合唱として出演します。
 昨年の10周年記念公演「天地創造」の演奏以来、音楽を通しての結び付きに幅が出てきたように思います。たとえコーラスであっても、日々新たに展開する生身の体を楽器としている歌い手にとって、<呼吸と声>との結び付きの実践に躊躇する暇はありません。更なる人生に輝きを与えるためにも自身への働きかけは必要です。音楽は時間芸術、その一瞬一瞬の繊細な喜びの感覚が命です!

 
平成22年6月

 スキポール国際空港に到着し、兎も角びっくりしたのは背が高くしかも敏捷に行き交うオランダの人々の姿でした。エイヤフィヤトラヨークトル氷河での火山の影響で揺れるヨーロッパでしたが、アムステルダムは新緑の季節を迎えていました。チューリップ観光の名所であるキューケンホフ公園にも、大勢の人々が真っ盛りの花々に声を弾ませていました。
 滞在3日目の4月30日は「クイーンズ・デー」、文字通り女王様の誕生日を祝した祭日です。ちなみにベアトリクス女王の誕生日は1月31日。とても気候が悪い時期だそうで、即位の際に母親のユリアナ前女王の誕生日を「クイーンズ・デー」と宣言し市民から歓迎されたそうです。街中に入るとオレンジ・カラーが溢れ出て、日本の<蚤の市>のようなフリーマーケットが公共の道路や広場などいたる所で開かれ、プーといったラッパ音が方々から聞こえてきます。大きな人々の群れに押し流されてしまいそうでしたが、覚悟を決めて目的地を定めると、ちょうど縁日で子供が大人の足元を滑りぬけていくように、どうにか辿り着けることが分かりました。アンネフランクの隠れ家・レンブラントの家・ゴッホ美術館など、参加者それぞれ目的の場所に訪れることが出来て、演奏前の自由な時間を満喫できたようです。
 今回、私たちと共演の現地合唱団、ベルゲン・オプ・ゾーム・コアの皆さんとは、ツヴォレ・オデオン・デ・シュピーゲルの前夜祭演奏会で顔合わせを致しました。こちらの片言の英語にも友好的に応じていただき、またNAO(なお)コーラスグループでは恒例の手作りのお土産にも(歓喜の演・田中さん、大城さんの多大な協力もあり)感激してくれました。
 5月2日、いよいよコンセルトヘボウでの本番です。数日前にクルト・マズア指揮によるシューベルト交響曲第9番「ザ・グレイト」などを聴いた同じ舞台です。天上が高く四方八方に広がる空間の響きから生まれる音色は、音楽の包容力を感じさせます。コーラスにとっては会場が広くなると、ついつい前へと声を張り上げてしまう傾向にあり、身体全体を使った響きのあるハーモニーをつくりあげられるかが重要となります。
 第1部はアンナ・フェドローヴァさんのピアノコンチェルトなど。休憩を挟み、いよいよ舞台です。両サイドよりそれぞれ赤い絨毯の階段を下りて入場。日本人合唱団が前列です。一階はほぼ満席に見えました。リアトシンスキー・キエフ楽団が入りチューニング後、マエストロ、ヤローエン・ヴァイエリンク氏の挨拶。さっとIntroitusの一音が鳴ります。Requiem・・・バス・テノール・アルト・ソプラノと音色が深く厚く会場に満ちていきます。天上にモーツァルトの影を見たような気分です。
 終曲 quia pius es.マエストロがタクトを振り終えます・・・一瞬の静寂の後に一斉に拍手が湧き起こりました。カーテンコールではヤローエン氏がコーラスで歌っていた近藤直子を呼びに来て、もっとも即に見つけ出せずに手間取ったようでしたが、コンセルトヘボウの総立ちのお客様にお応えすることが出来たのは(近藤直子インフォメーションHP写真参照)、NAOコーラスグループ&ジャパン・モーツァルト合唱団(企画―株式会社ラテーザ)の代表として嬉しいかぎりでした。
 また、終演後に日本の合唱団全員にデルフトの小皿と本日のソリストの方のCDをお返しとしていただきました。ピアノのアンナさん、ナターリャ(S)さん、エカテリーナ(A)さん、アレックス(T)さん、ジュリアン(B)さん、ありがとうございました。

 

平成22年7

 6月13日(日)、当初心配された雨もお天気が味方してくれたせいか持ち直し、午後2時よりモーツァルト室内管弦楽団(以下MCO)の演奏会が、勝どきの第一生命ホールにおいて開催されました。アマチュアながら現在48名おられる精鋭の皆さん方の長年の活動を経て、このたび50回目の記念すべき演奏会を迎えられました。当方もアマチュアの合唱団で昨年に10周年を迎えたばかりです。一人ひとりの音楽に対する真摯な姿勢によって継続されていく点では、共感すべきことも多かったと思います。毎回のオーケストラとの練習では、本当に楽しい贅沢な時間を過ごさせていただきました。
 この記念演奏会の指揮は、MCOの演奏会では何度か共演されている横島勝人氏です。合唱団では初めてでしたが、非常に温かみのある情熱溢れる指導に、団員のやる気も自然と引き出されていました。また、ウイットに富んだ誉め言葉の折々に投げ掛けられるさりげないご指摘は、ずばり本質を突いていてドキッとさせられることしばしです。
 演目はシューベルトの交響曲第7番のロ短調「未完成」とモーツァルトの「レクイエム」のカップリングです。昨年も押し詰まった頃にMCOとの打合せがあり、コーラスとの共演が初めてとお聞きし、さっと緊張が走ったのを覚えています。もともとは、コンセルトヘボウで御世話になったラテーザの遠藤さんからの打診がきっかけで、昨年4月の当方の周年記念公演「天地創造」を鑑賞され気に入られ?また海外公演がモツレクだったことから、今回の話を社長径由でいただくことが出来たようです。
 公演の当日、700席余りのホールが、1・2階ともほぼいっぱいに埋め尽くされていました。第一部での盛大な拍手に気後れしまいと、舞台袖では合唱団がリラックスを心がけて準備しています。その周囲には演奏を終えたばかりのMCOの皆さんの温かい空気から、本番への手応えを感じ取りました。演奏会は大成功でした。ソリストの皆さんも実力通りの完成度の高い演奏をされ、アンコールではモーツァルト晩年の作品アヴェヴェルム・コルプスをコーラスと共に歌われました。
 オーケストラは合唱とのバランスを見ながらの緊張感ある、しかも強弱をふんだんに使った奏法を、ここ数日の合せのなかで調整され本番では堂々と演奏されました。コーラスもマエストロの要求に応えるべく、張りのあるピアニシモや美しく響きのあるハーモニーを随所でつくり上げることができたかと思います。
 アマチュアの音楽愛好家がつくり上げる、このような演奏会に共演することが叶い、本当に感謝申し上げます。次回は、いよいよ8月1日の私たちの本番です。ヴィヴァルディ「グローリア」も加わり、NAOコーラスグループとしては正念場に立たされたモーツァルトの「レクイエム」となりました。

 

平成22年8月

 8月1日(日)NAOコーラスグループ第13回演奏会を、新宿文化センター大ホールにて開催致しました。連日の猛暑でお客様に足を運んでいただけるか気掛かりでした。早朝から舞台裏では本番に向けての入念なチェックが続けられます。コーラスにとっては一人ひとりの音楽に対する真摯な姿勢が試された時間ともいえます。
 演目はヴィヴァルディ「グローリア」とモーツァルトの「レクイエム」です。アントニオ・ヴィヴァルディの本格的な研究は最近のことで、後期バロックの時代に活躍した作曲家でしたが、晩年の消息の不確かさもあって、しばし音楽史のなかでは埋もれた存在になっていました。ただ当時ではヴァイオリンを中心に様々な楽器によるソロ・コンチェルトの作品を多数作曲し、その技法はJ.S.バッハらにも影響を与えたほどの卓越したものでした。ヴァイオリン協奏曲集のなかの『四季』は日本でもお馴染みです。声楽曲では「グローリア」「スタバート マーテル」が有名です。
 またW.A.モーツァルトの「レクイエム」は、コンセルトヘボウでの演奏会やMCOさんの50回記念公演に参加させていただき、舞台での経験という点では大きなパワーを得たかと思います。しかし、指揮者が変われば曲想もガラリと違ったものとなり、演奏の醍醐味や面白さが味わえます。
 指揮の稲田先生はハイドン作曲「四季」で共演した信頼ある指揮者です。合わせの初日から容赦のない注文がコーラスにありました。真っ先に指摘されたのは、ずっと課題となっているピッチの問題です。息の勢いが落ちると途端に音楽が沈みこみます。東京シンフォニックアンサンブルとの合わせでも、小節ごとのかなり細部に至るまで指示がありました。練習を重ねていくうちに、指揮者の設計図が段々形になり、戸惑いを見せていたコーラスも次第にその奥行きに惹かれていった感じがします。ソリストを交えた合わせでも同様の状況が最後まで続きました。妥協を許さない姿勢に納得です。GPでホールいっぱいの響きを確かめ、ようやく演奏の態勢が生まれたように思います。
 いよいよ開場です。舞台袖で待機したところに、お客様の入場が途切れないとの嬉しい情報も入り、5分押しのスタートとなりました。テンポ感のある「グローリア」の第一音が響き渡ります。コーラスは滑らかによく歌い切りました。ソリストの皆さんはさすがにホールを熟知しています。オーボエやオルガンの音色に合わせた実力通りの完成度の高い演奏がありました。洗練された音楽の心地よさに大きな拍手がありました。
 休憩後はモーツァルト「レクイエム」の演奏です。曲を追うごとに指揮者の感じがいつもと違うと感じた団員も多かったようです。打ち上げでその謎は解けました。演奏の最中に滅多にないモーツァルトの神秘な空間と出会えたというお話をいただきました。アンケートでもいくつかそのような感想がありました。至上の演奏会に立ち会えたことを誇りに思います。
 アマチュアの合唱愛好家とプロの演奏家がつくり上げる、NAOコーラスグループの第13回の演奏会も盛会のうちに終えることが出来ました。コーラスもピッチの課題はあったものの、少しは声が育ってきたかなという感じがしました。年は経て行きますが、音楽の感性に際限はありません。そのバランスをどのように取り演奏につなげるかが次回の宿題です。

 
平成22年9月

 地域的な周年の話題を2つお伝えします。
 一つは足立区合唱連盟の活動についてです。1980年に第1回の合唱祭が開催されてから、本年で30回目を迎えます。創立30周年という節目を迎え、昨年に実行委員会が立ち上がり、連盟加盟団体からのアンケートの結果も参考に周年の事業がスタートしました。
 その第一弾は2010年7月19日(月・祝)にギャラクシティ 西新井文化ホールにて開催の「海の日ジョイントコンサートVol.10」です。30周年記念事業なので、例年とは装いを変えての舞台です。題して<大中 恩作品展>。大中先生は「いぬのおまわりさん」や「サッちゃん」などの子どもの歌の作曲家としてもよく知られており、現在も多岐にわたりご活躍されています。このたびは連盟の理事長である田口芳子先生との縁もあって共演の機会を得ることが叶いました。
 足立区合唱連盟では加盟団体はもとより区内を中心に一般公募し、期間限定の「30周年記念合唱団」の結成をはかりました。その結果、107名の合唱好きが集いました。また、大中先生は今回の演奏会のために、自作を編曲して混声3部の作品を作られました。30周年記念合唱団との演奏が初演となります。
 当日のプログラムや舞台で、大中先生が「一度練習に参加してみて、本当に集まって来られた団員一人一人が、素晴らしい自覚を持っていらっしゃるのがひしひしと感じられ、『これは、やり甲斐がある』と確認出来たのは何よりでした」との思いを語っていただき、とても誇らしい気持ちになりました。演奏会は大成功で満席の客席から拍手が鳴りやみません。その模様は足立のケーブルテレビでも放映され、今もってその余韻に浸っています。
 もう一つはここでも何度か紹介した「歓喜の演」という民間の文化的な活動母体です。もともとは近藤直子らが提唱して立ち上げられたものですが、目指すは演劇・音楽などのコラボレーション活動により、広く区民と一体となった芸術文化の新機軸を打ち立てることにありました。そのきっかけになった1999年の「三曲(箏・三弦・尺八)を主とした和楽器」による「第九」は、NAOコーラスグループも一役買い大成功を収めた舞台となり、今でも語り草となっています。
 「歓喜の演」の活動も今年は10周年を迎え、北原白秋という日本を代表する詩人を取り上げ、合唱、狂言、群読、童の声の大コラボレーションで一つの舞台を創作いたします。もちろん世界初演です。2011年1月16日が本番で、この9月4日には公開講座と称して、北原白秋についての講演と一部演奏(池辺晋一郎編曲「ひたすらに・・・白秋」より)があります。
 周年行事は本当におめでたいことです。その道のりは決して平坦なものではないでしょう。そこに継続的に参加し地道な活動(毎週の練習、宣伝や集客の努力、協賛広告や資金集めなど)があってはじめて歴史が刻まれている事をとても強く感じています。そして歴史は常に新しいものを加えながら進んでいきます。新しいものによって与えられる大きな刺激と培ってきたこれまでの気品が結びついた時の喜びは大きな飛躍となって現れます。
 NAOコーラスグループも昨年10周年を迎え、今まさに次なる歴史の方角に向かって一歩を踏み出しました。角度は少しずつ開いていくものです。毎回の練習を大切に歩んで行きたいと思います。

 

平成22年10月

 今回は私ごとのお話です。近藤直子インフォメーションの井口さんが、或る日、生後間もない赤ちゃん猫をNAOコーラスの事務所でもある我が家に連れてきました。そして一生懸命にその経緯を説明されます。何でも小学校の交通ボランティアをしていたら、登校途上の児童が捨て猫に気が付き可哀想だから学校に連れて来たとのこと。ミャーミャー鳴く赤ちゃん猫を差し出された学校の主事さんが、弱った表情で「校庭には色んな猫が勝手に歩っているわけだし、飼うわけには・・・」。そこで、皆の目が井口さんに注がれていると感じるや、猫を飼ったことがある人を知っていると口を滑らしたらしいのです。
 それが我が家であることは一目瞭然です。名前は「チャッピー」(どういう由来だか、分かりません)。結局、事務所内で私が面倒を看るはめになりました。以前にも傷ついた猫を何匹か面倒をみたことはあります。でも生き物には命の限りがあります。随分とためらったのですが、目の前にある小さな命を前にして後に引けなくなりました。
 幸い「チャッピー」は捨てられた後遺症もなく、日増しに大きくなりました。とてもヤンチャな気質で、座敷猫になる様子もなく外に出たがります。いわゆるどこにでもいる日本猫の雑種です。感心なのは今時の猫には珍しく、様々な獲物を捕まえ(蛇を持ってきたときはさすがの私も驚きましたが)意気揚々と見せ、周囲をくまなくパトロールし、時間になると食事に戻ってきて睡眠をとるという何とも勝って気ままな、しかしその 本能に従った規則正しい日課を身につけていたことです。
仕事から帰ってくると、どうやってエンジンの音を聞き分けるのか、駐車場に出迎えます。一応飼い猫としての自覚もあったようです。ただ、負けん気が強くてよく喧嘩をします。自分のテリトリーに入ろうとする猫がいると、唸り声を上げ威嚇しそれでも去らないと取っ組み合いが始まります。格闘家のごとく立ち向かい、相手が諦めるまで引き下がりません。小さい頃に去勢をしましたが、その性分はおさまらず、随分と大怪我をしました。おかげで獣医さんとは顔見知りになりました。
 この夏は生態系にも色々な影響を与えた猛暑でした。あれから5年経ちすっかり成長した「チャッピー」でしたが、どうもいつもと様子が違います。食事をしていませんでした。見た目にも体力が落ちていました。病院の診断では菌が脊髄にまで及んでしまっているとのことで、おそらくは猫同士の喧嘩の際に傷ついたことが遠因となったのかもしれません。
 今、命というテーマが環境的にも大きな課題として立ち塞がっているような気がします。何も動物だけのことではありません。人間にも同様の運命が見え隠れしています。そうした不安から、[人間いつかは死ぬ]というごく当たり前の宿命を、先取りし過ぎて方向性を見失ったりもします。コーラスやエクササイズの中でも、老い先長くないのだからと志半ばで、自分の好きに歌いたいと離れていく方がいらっしゃいます。体力や能力に衰えを感じたとしても、世代を超えた知恵はそこから本領が発揮されるものと思っていただけに残念です。私の周りには音楽自体に触れ合うことが初めてでも、年齢に関係なく発声も歌もレヴェルアップされる方が少なくありません。それなりに為せば成るという、人生の先達に脱帽です。
 さて、チャッピーの死は厳粛に受け止めなければならない事実でした。最後まで生きる事に一生懸命だった純真な魂は、まだまだやり遂げなければいけないことを教えてくれた命でもありました。様々な変化に思い巡らすお彼岸となりました。

 
平成22年11月

 足立区合唱連盟創立30周年記念事業も、7月の「海のジョイントコンサート」の<大中恩作品展>と10月の「第30回足立区合唱祭」及び「創立30周年記念式典」をもって無事終了しました。
 思い起こせば、準備に丸2年かけた記念事業でした。その始まりは実行委員会の立ち上げからで、世話役のプロモートもあって事業の運営が始動しました。合唱連盟発足当時の状況を知っている人が現理事に少なく、古くから所属する団の方の助けを借りて少しずつ歴史を辿って行くことになりました。
 こうして編成された18名の実行委員の記憶を辿りつつ、事務局長が縁ある人を訪ねて演奏会の情報や資料となるものを収集し、また理事長が合唱連盟にご尽力をいただいた方々とお会いする機会が生まれ、色々なことが少しずつ見えてくるようになりました。
 一方で、連盟の通常の活動スケジュールもあります。その整合性をはかりつつ創立30周年記念にふさわしい事業を考え、上記の事業の骨子が固まりました。<大中恩作品展>は田口理事長の幅広い音楽活動からうまれたプログラムです。作曲家自身の著名な作品を、自ら指導・演奏という貴重な機会が得られました。
 更に、合唱連盟30年の歩みにご尽力を賜った皆様にも感謝状を贈りたいとの実行委員の強い思いがあり、記念式典の開催が具体的に見えてきました。合唱連盟らしい趣向もということで、式典の前後に加盟団体の指揮者有志の協力を得て、<オープニング>かつ<クロージング>の各コンサートを演奏することで合意が見られました。
 平成22年10月17日、秋めいた陽気のもと会場である西新井文化ホールは大勢の方で賑わいをみせました。午前11時から午後4時までは第30回足立区合唱祭です。今回は中学校や高校の参加グループも含めて31団体の出演があり、それぞれの思いを込めた演奏に場内から温かい拍手が送られました。2000部用意したプログラムも残部僅少です。
 午後4時30分からは、いよいよ創立30周年の記念式典です。アナウンサーの堀江慶子さんの司会でオープニングコンサートの幕が上がりました。加盟合唱団の有志や一般公募で集まった105名が1回限りの舞台に臨みました。この記念となる演奏の指揮は連盟副理事長である私の役目で、オペラやミュージカルで馴染みの曲を大いに楽しみました。
 引き続き式典の開催です。これまで足立区では、あまり合唱連盟の歴史が広報されることもなく伝えられて来なかったように思います。今回の感謝状(表彰楯)の贈呈式では功労者11名の方(故 相良文明氏を除く)のメッセージがそれぞれプログラムに載り、また何人かの方の謝辞からもその歴史を垣間見ることが出来たのではないかと思います。
 クロージングコンサートでは場内の全員合唱で、組曲「わが街に」より「Ⅴ.友ありてこそ」・足立区歌「わがまち足立」を湊晋吾先生指揮、足立吹奏楽団の演奏で高らかに歌い上げました。また、その後の祝賀会では世話役の井口さんの司会で、冷めやらぬ式典の余韻をもって、駆けつけていただいた近藤やよい区長のご祝辞も頂き、約150名の参加者のもとで大いに盛り上がりました。締めは薬師神先生の指揮で<ふるさと>を全員合唱し、秋の夜の宴を後にしました。

 
平成22年12月

 恒例の合宿が目前に迫った10月最後の練習日。季節外れの台風14号(チャバ)の進路が気になります。「メサイア」の譜読みは<アーメンコーラス>の手前まで進み、翌週の合宿会場での再会を約束し、それぞれに家路につきました。お陰さまで合宿会場となった那須・大田原は11月2―3日の両日とも快晴に恵まれました。
 後世の作曲家に大きな影響を与えた、ヘンデルの「メサイア」は今日まで世界中で演奏され続けているオラトリオ作品です。それだけに個々に歌う機会は多いようで、馴れ合いのちょっと油断したコーラスに陥ってしまったりすることがあるようです。例えば地域の合唱祭などで「ハレルヤコーラス」はよく演奏されます。ところが、のびのびと楽しく歌おうとしているコーラスの姿とは裏腹に、音楽的な肝心なことを押さえていないため「何でそうなるの?」といったことが起こっています。
 歌うことの原点に立ち返ることでその理由が見えてきます。合宿の翌日でしたが「呼吸と声の実践」という講義を受け持つ機会に恵まれました。岐阜聖徳学園大学の加藤晴子先生からゲスト講師としてのお話をいただき、「声を育てるエクササイズ」の共同執筆者の井口さんともども合宿終了後に、車と新幹線を乗り継ぎ岐阜羽島まで移動しました。
 当日は90分の講義を2コマ受け持ちました。今回のテーマは「呼吸と声」です。いつものエクササイズを取り入れ互いに共鳴する声を経験することが目的です。既に「声を育てる~」の本の内容や、姿勢や息を取り入れたウォーミング・アップも日ごろの授業で取り入れられているとのことでしたので、即内容に入れる恵まれた環境にありました。
 本来ならば、ある程度の授業のコマ数をもって継続的に消化するカリキュラムでしたが、今回は「呼吸」の深さをつくり出し「声」との結びつきをはかることで得られる身体感覚を、実践的な授業のなかで体験してもらえればと位置付けました。
 実際、参加された学生さんからは、「普段声を出すときに自分がいかに力を入れているかが分った」「坐骨の位置の移動で姿勢が変わるのにはびっくりした」「今まではお腹から声を出すと思っていたが、身体全体を使って出すんだなあと思った」「自分の体・内面に意識を向けたことで、身体のつくりの素晴らしさや生きているという実感を持つことが出来たので、とても貴重な体験となった」・・・などとても参考となるコメントを多々戴きました。
 こうした率直な若い世代の感性はとても心強く思います。NAOコーラスグループの練習でも毎回短時間ですが呼吸を意識したウォーミング・アップを取り入れています。「暖簾に腕押し」と思うこともありますが、日々年齢に応じた「声」のメンテナンスは不可欠です。まして演奏は瞬間の音と身体のバランス感覚が命で、馴れ合いや油断は命取りになるでしょう。
 「メサイア」を初めて歌う方にとって、この度の合宿はかなり強行スケジュールだったと思います。ただ目的は曲と向き合う歌い手の姿勢であり、音符や歌詞の一つ一つに込められた作品の魂を身体感覚でとらえる素直さにあります。そこを経ることでもう一つ視界が広がることでしょう。この先も2011年4月の本番に向けて一歩、また一歩と新しい世界に踏み込んでいきたいと思います。

 

平成23年1月

 「声を育てるエクササイズ」の第6回研究発表会を、平成22年12月9日(木)、ティアラ江東小ホールにて開催いたしました。平日午後5時からの開演にもかかわらず、60名を超すお客様にお越しいただきました。
 今回は独唱の発表が16名、また初めての試みでアンサンブルを総勢20名にて演奏しました。回数を重ねるごとに、お客様にはこの演奏会の趣旨をご理解戴き、当日の研究生への温かなエールに感謝しております。今期は本年の4月より月2回のペースでエクササイズ(その内1回が伴奏合わせ)を展開しました。研究発表会のための曲目の合わせは7月頃からなので、難易度の高い曲、初めての曲を選択された方は、かなり苦労があったことと思います。
 元々声楽の学習が目的のエクササイズではありません。呼吸から声にいたる道筋を身に付けることが基本にあります。そこから、それぞれの表現に結びつけるための応用があり、ここでは歌うことを題材にしています。必ずしも音楽の専門的な学習や実践の経験がなくても、現実に研究生としてエクササイズで育ちつつある声で、歌に結び付けられればとチャレンジしています。
 そうはいっても、音楽的な要素である音程やリズムについては、頭脳とのかかわりをより円滑に出来るようなレッスンが必要です。約8ヵ月、発表の曲を歌うことよりも基礎的なことにほとんどを費やされた方もいました。どうしても咽喉もとで音を作ってしまう、あるいは腹筋で固めて発声にもっていくことで音程が下がり気味になったり、またブレスの余裕がないためにリズムや拍数への応用がはかれなかったりなどの現象が起きています。
 息の深さをつくり出し、そのもとで発声にもっていく身体感覚は意外と難しいものがあるようです。特に身体上のどこかに遠因があって発声に影響が出てきたりするものなのですが、それがどこか見出せずに苦労をされたりします。いずれにしましても生身の楽器ですから、その都度のエクササイズによるチェックは欠かせないと痛感します。
 一方、心身の固さがほぐれてくれば声にも柔軟性が出てきます。それは響きにもつながり外部の音とも混ざりあう声になります。コーラスにおいては一番の基本です。俗に言う“そば鳴りの声”は周囲の音と混ざり合うことが出来ないので、突出した声として全体的には違和感の印象を聞く人に与えてしまいます。今回アンサンブルを取り入れたのは、いわゆるハーモニーの可能な声、つまり身体の響きに即した声の柔らかさを作り、共鳴を体験することが目的でした。
 発表会後の懇親会では、個々の課題への反省がしきりとあるにもかかわらず、確実に一つ一つの舞台(修羅場?)を 経験してきた研究生の力強さがひしひしと話しの中から伝わってきます。初めてのカノン(輪唱)も単に自分のパートを歌うだけではなく、お互いを聞きあい、ハーモニーを楽しめるかがポイントでしたが、時間を重ねるとともになんとか乗り切りました。この底力をもって2011年4月24日(日)の「メサイア」の演奏会につなげていきたいものです。

 

平成23年2月

 2011年の本格的なスタートは、1月8日(土)午後5時30分から新宿文化センターの小ホールで行いました「メサイア」の試演会からでした。合唱曲を中心に指揮者の語りを加え、ピアノと電子チェンバロを交えた演奏会です。今回のグループの構成は本番とは若干異なり、特に男声は少人数でしたがよく頑張りました。未だ発展途上の段階なので、ごく内輪の方を対象にお誘いさせていただきました。お客様を前にしての舞台はとても大切な経験で、独りよがりにならずに学ぶべきことが多く見出せるのが利点です。
 「声を育てるエクササイズ」の研究生の発表会でもそうでしたが、個々の課題への反省がしきりと出てくるのは当然で、音楽作品と向き合う意思がそのまま演奏に現れてしまうものです。例えば楽譜にかじりついていれば、あるがままに映し出され、また調子の外れた音があれば、そのまま耳に入って来ます。自分勝手な演奏には容赦のない現実があることに気付かされます。それを肌身で感じることで次のステップが見えて来ます。
 その点、足立区内で実施している「歓喜の演」の取り組みには興味深いものがあります。毎回その公演のためだけに公募されたアマチュアの皆さんの舞台で、ジャンルの異なる芸術文化の作品を協働して作り上げていく点に特長があります。今回は10周年でもあり、北原白秋を題材に演出された台本に、狂言や群読、子どもの声そしてコーラスとがコラボレーションする斬新な企画となりました。個々のキャラクターのコンビネーションを変えながら演じていく力と、コーラスのように80名程の集団で一つの表現をつくり出す力量とが、面白いコントラストを描き舞台が演出されていきます。
 チケットは昨年10月に、発売早々約2週間で完売となりました。それだけにきちんとした舞台を作らねばと、実行委員会の不安もよぎります。狂言とコーラスという組み合わせだけでも奇妙な感じがします。一つ方向性を失うと、バラバラになりかねません。また、出演者の皆さんの意思がそのまま反映してしまう設定なので、微妙なさじ加減が必要となります。本年1月16日の公演では、舞台の進行一つとっても人数の多いコーラスはドタバタにならないよう努めました。舞台さんは勿論、スタッフの頑張りと出演者全員の自覚でもって乗り切れたと思います。
 バロック音楽の中でも、「メサイア」はその輝きを失わずに世界中で演奏されている作品の一つです。ハレルヤと聞くだけでメロディーが出てくる方も多いでしょう。誰しもがよく知っている音楽の演奏とは、それだけで一定のレベルが期待され誤魔化しが効かないところがあります。NAOコーラスグループの演奏会ではプロとの共演が多くあり、依存心が強くなればなる程にすぐに見透かされてしまいます。独りよがりにならない、依りかからない演奏者としての自覚を持つことが大切です。そのためにも初心に帰る必要があります。今さらこんなこと聞けないと悩まずに、例えば身近にある「声を育てるエクササイズ」や「音楽基礎講座」を大いに活用して、自分の癖や弱点を早く見つけ出し対処すべきです。

 

平成23年3月

 2月12日(土)来る第14回演奏会「メサイア」の指揮者である、大勝秀也先生との最初の合わせが新宿文化センターでありました。一時、雪の予報もありましたが、さほど天気の崩れもなく風の冷たい夜となりました。この1月に同会場で試演会を行なったためか、いつもより団員たちの様子も和やかに落ち着いているように見受けられます。指揮者合せは合唱の1曲目から始まりました。開始早々にアルトの「glory」に注文が付きました。子音と母音の入りのタイミングが遅れるため「g」が曖昧になり、続く「l」も完全に遅れてしまいます。ああ、いつもの課題だと血圧が上がりそうでしたが、そこは大勝先生、ユーモアを交えつつ絶妙なタイミングで各パートの弱点の補強を試みます。「メサイア」への演奏は、これからが正念場であり音楽への深みも増すところです。
 その翌々日より、演奏会の課題への新たな取り組みを始めました。会場は南越谷公民館で、午後6時30分のスタートです。いつにも増して熱気を帯びた時間でしたが、あっという間に通り過ぎていきます。ふと窓越しに目を向けると、何やら白いものがチラつくのが見えました。階下を見ると暗闇のビオトープや駐車場は雪景色に変わっていました。
 数々の宿題はありましたが、一先ず練習を終え帰り支度にかかります。駐車場に向かいがてら、運転者の井口さんは空を見上げて「雪道は慣れていないんだよね~」とキッパリ言い切ります。同乗の伴奏者の杉原さんと顔を見合わせ「?!」。幸い傍にNAOコーラス事務所の近所に住む、団員の奥井さん(運転歴も長く雪道も大丈夫と聞いていました)が練習に参加されていたので、無理やり助手席に座っていただくよう同行をお願いしました。
 旧日光街道の白銀の世界を、車はゆっくりとした速度で移動します。いつになく饒舌な女性3人と運転手。「ほら、前の車もゆっくり」「こういう時は車間を開けて」「ハンドルがとられたら、とられた方に切るんですよ」…そんな声もどこ吹く風で雪は段々積もってきます。車内はいつもより賑やかにリラックスを心がけ、その努力のかいもあって杉原さんを自宅付近まで送り届け、さらに坂道など危ない個所をひたすら迂回し、また轍の少ない大通りを慎重に選び、何とか足立区まで無事にたどり着くことが出来たのは喜ぶべき快挙でした。
 後日「国技館すみだ第九を歌う会」のベートーヴェン作曲「献堂式」の練習会場でNAOの団員の何人かと顔を合せました。皆さん夜間の雪道を徒歩や自転車、あるいは公共の交通機関を利用して、無事に帰られたと伺い安心しました。ご高齢の方も少なくないのですが、流石に皆さん達者です。演奏会への十分な活力を確信しました。
 本筋に戻ります。張りと伸びのある歌声を導くためには、呼吸の深さをつくり出す働きかけが必要で、様々な指導の会場でもその折々にコーラスに取り入れています。心身のリラックスを含めた呼吸の感覚が養われていくことで、音程やリズム、反射的なブレスなど音楽上の諸問題に道が開かれるからです。子音と母音の課題も実は、身体の準備が出来ていないことに起因していたりします。昨年刊行した「声を育てるエクササイズ」では、その辺のこともテーマにしており一読されることをお勧めしています。

 
平成23年4月

 東北関東大震災に被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。また、一日も早い復興を願ってやみません。
 平成23年3月11日(金)午後2時46分頃に、建物がきしみ横とも縦ともつかない大きな揺れを感じました。地震です。火を消し玄関の引き戸を開けて外へ飛び出るや地面が波打ち、周囲の建物、電線、樹木も揺らいでいます。付近の高速道路からは何か固いものがぶつかるようなドンドンという音が2度、3度聞こえてきます。
 微かな振動を残していましたが、ともかく事務所(といっても2階建てモルタル住居の1階部分)に戻ります。幸いにも停電にもならずパソコンの電源とラジオのスイッチは入りました。携帯電話の方はプップップッ・・とつながらない状態が続きます。ラジオのニュースでは震源地は三陸沖の太平洋とのことです。津波の危険を繰り返し伝えています。海岸には近寄らないように、高い所へ避難して下さい、そのような内容です。こちらでも小刻みな振動から即に大きな揺れにつながり、またこの事務所は地面の動きによく反応するため、留まる気持ち以前に先に外へと足が勝手に動きます。
 ああ!!家の昔作業場だった土間の外壁がゆっくりとずれ落ちているのに気付きました。昔の作りなので溝のついたトタン板に鋼をはりコンクリートを絡ませた重い外壁で、上下2枚をビスで鉄骨に留めてありました。揺れに対応できず、ビスが飛んでしまったようです。下の壁につけてあったポストに引っかかり、かろうじて落下はしませんでした。
 近所の人も外に出て来ます。異口同音に恐ろしさを語ります。一体何が起こっているのだろうとの不安を隠せません。揺れも落ち着いたのを見はらかって、2階の自分の部屋に行くや書棚にあった楽譜や書籍、CDなどがすっかり落ちて足の踏み場もありません。テレビでは東北の海岸に起きつつある津波の情報を克明に伝えています。ただ、こちらでも緊急地震速報のたびに避難しようと、おちおち画面に見入っていられません。
 時間の経過とともにこの地震の被害の大きさが足元にまで及んでくるようでした。東京都心部では交通が完全に麻痺してしまい、多数の人が帰宅もままならない様子でした。夕刻になり先の外壁に電線が通っており極めて危険なので、東電に連絡し近所の工務店さんに頼んで、壁の一部をこわし何とか応急の処置だけはしておきました。余震は続いています。携帯は相変わらず不通で、人の安否も気になります。親族、友人、合唱団、音楽関係者、地域・・・気ばかりが焦ります。それにしても、人の絆を引き裂くような大津波の報道に戦慄をおぼえます。
 原子力発電所の破損による避難や放射能漏れも含めて、今日これまでにない局面に私たちは遭遇しています。音楽も含めて一つ一つの行為に、神経を尖らせるような日々になっているような気がします。それでも古今東西、人間は幾度となく困難と直面しても、自由や博愛、正義を貫いてきたように思えます。芸術活動も人の志によって受け継がれていくものと信じています。その灯を消すことなく力強い活動をNAOコーラスグループも継続していきましょう。

 
平成23年5月

 NAOコーラスグループ第14回演奏会「メサイア」は、無事にまた感動をもって終える事が出来ました。深く感謝申し上げます。当日新宿文化センターへ15名程のお客様が行かれたり、チケットの引き換えでの難しさがあったりなど、大変な状況の中での開催となりました。それでも、いざ演奏が始まるや活き活きとした皆様方の表情に救われる思いがしました。演奏者の昂揚とした姿、場内の溢れんばかりの熱気を感じ取られた方も多かったのではないかと思います。
 吉田尚美さんをはじめ、表方スタッフの皆さん本当にご苦労様でした。この場を借りて御礼申し上げます。また、東日本大震災の義援金の募金も、江戸川区総合文化センター立ち会いのもと同日に開封し155,615円が集まりました。復旧への一助になればと思います。
 なお、今演奏会直後にアンケートをお願いしました。下記に一部ではありますがご紹介したいと思います。きわめて不透明さが増す今日ですが、今後もNAOコーラスグループの活動に一層のご支援をいただければ幸いです。
演奏会後のアンケートより
「地震によるアクシデントにもかかわらず、本日、演奏会できた事、本当によろこばしく思います」
「ソロ4名と合唱団120人が心をひとつに演奏され、その願いは東北の方々にも届いたと思います。(略)余震が続くという東京へ上京するのが少々気が重たかったのですが、力強い演奏をお聞きして、明るい希望や自信が湧いてきた様に感じます」
「皆様一同がクリスチャンのように思われました。(略)合唱団にシニヤの方が多数おられましたが、そのエネルギーに驚き!!」
「合唱は力強く、涙が出る程よかった。各独唱者のアリアも、個性あふれる内容で素晴らしかった」
「46のアリアの時には東北の津波(略)あとの情景が目に浮かびました。こういう時期だけに、歌のことば、内容と今の日本がダブりました」
「オケは特に音色のやわらかな心にしみる心地よい音が心に響き続け感動でした。ソプラノのソロとコーラスの最後は感動で、声も出ない位でした」
「大勝先生の作り出す音楽が、心にしみる美しい世界だと思いました。最後のアーメンは涙が出ました。被災地にも届くといいですね!」
「メサイア全曲を通して生で聞いたのは初めてでしたが、大変素晴らしかったです」
「この時期に、メサイアを聴き感慨深く、私はクリスチャンですが、ヘンデルの魂は、魂を揺り動かします」
「41曲に入り、レクイエムの響きにぞくぞくっ。これぞミサ曲の音だと思いました」
「ソリストも合唱も演奏もすばらしかったです。チェンバロの音色が心に残りました」
「歌とアンサンブルのかけあいが素敵で、また合唱のパートの間のやりとりが美しいと感じました。1番から47番までの異なる表情の豊かさに心躍りました。ハレルヤのトランペットの澄んだ音色が心に届きました」
「46-ソプラノ、チェンバロ、チェロ、ヴァイオリン素晴らしかったですそして最終章 感動しました!!」
「(略)字幕の配慮もあり、よくわかりました。こんな時だからこそ、音楽や文化は大切ですよね。ありがとうございました」
「とてもよかったです。この演奏会が被災地にとどいたら良いのに・・・・・」
「すばらしかった。圧倒されました。団員の方の努力はいかほどだったでしょうか。おつかれ様でした」
「洗練された響き、久しぶりに聴かせて頂き感動しました」
「毎年、年に1回愉しみにしています。今年は特に良かったと思います」
「大曲をありがとうございました。最後に感動を。男声コーラス少人数で素晴らしい。アルトさん肉を食べて、ラマーズ法で母音しっかり」
「ちょっとたいくつだったけど たのしー!!」
「すごいきれいな歌声だった。ばん奏もすごい!!」
「すきな曲、39のHallelujah!」……

 

平成23年6月

 来年1月の演奏曲目はW.A.モーツァルト作曲の「ミサ曲ハ短調 KV.427」です。1783年、ザルツブルクにある聖ペトロ教会にて初演。その作品をめぐっては、当時の関係者の手紙等から背景が明らかにされており、コンスタンツェとの結婚に深く関わった作品といわれています。未完のミサ曲で終わっているのも、そうした経緯からなのでしょうか。
 さて、5月GW明けからスタートした「大ミサ曲」ですが、未だ2曲ほどの譜読みを終えたところです。合唱団の編成上、ソプラノI IIと分れる曲目、あるいは2部合唱になっているものは後にしました。練習のなかで気付かれた方も多かったと思いますが、この作品は半音階の動きが随所に見受けられます。♯♭と五線譜上に表れる臨時記号をきちんと頭に入れ、半音や全音の音程をしっかりとって繊細なハーモニーをイメージすることが大切です。
 今回の練習は参加方法が3通りあり、当合唱団のメンバーはもちろん全員参加、そこに賛助していただける団員及び10月のザルツブルクの演奏会<企画(株)ラテーザ>に参加の皆様との合同練習がベースとなります。どうぞこの機会に多くの方々にお声掛けしていただければと思います。
 私どもでは毎月エクササイズの教室や音楽基礎講座を企画しています。発声上での諸問題、ブレスや高低音などで悩まれている方には、全身を使って「呼吸の深さをつくり出す」声のためのエクササイズをお勧めしています。また、リズムや拍子のとり方、楽譜の見方などの基礎を実践的に楽しく学ぶ、音楽基礎講座も合わせて開設しています。一つの音楽作品に取り組むことで、様々な音楽上の課題に直面することはよくあります。その克服のために必要なのは、心身のメンテナンスです。なぜならコーラスは生身の楽器の集合体だからです。この度の練習では、こうしたリフレッシュを大いに活用していただきたいと思います。

 
平成23年7月

 東日本大震災の余波は、原子力発電の在り方も含めて依然として続いています。そして、これまで日常生活の何でもない活動が改めて見直される契機にもなっています。4月、会場変更という高いハードルを超えて実施にこぎ着けた、NAOコーラスグループ第14回演奏会「メサイア」は大好評で終える事が出来ました。その余韻に浸っているところ、変更を余儀なくされた会場から利用団体宛で文書が届きました。
 「阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災などで被災した公立ホール10所の聞取り調査及び弁護士2名の見解等に基づき、大ホールの利用中止は、自然災害による不可抗力であり、利用者はもちろん」所管する行政や指定管理者の「責に帰すべき事由がないため、利用料金以外の催事の中止に伴い発生した一切の諸費用については、補償をすることができないとの判断に至りました」
 このような内容です。現実には変更による会場費用の割増やチケットの振替作業に伴う経費など、多々出費があったのですが応じていただけないものと上記の文書から読み取りました。また、地震発生後約3週間して(その間、様々な公演はされていたのですが)、「壁面の剥落の可能性が否定できない」「利用者の安全を確保する」との理由で大ホールの利用が中止されているため、なぜ地震直後に徹底した点検が出来なかったのかの素朴な疑問を呈したのですが、今のところお応えいただいておりません。
 アマチュアの文化活動では本番だけでなく頻度のある練習が必要とされます。そのためには資金や設備などの理由で公共の施設の利用は欠かせません。今回の震災では「計画停電」などハードの面をはじめ、こうした活動の制約が様々に起きました。とても考えさせられる事態です。幸いにもコーラスに集う皆さんの(被災された方もいらっしゃいます)、音楽に対しての真摯な姿に励まされているのが私たちの現実のように思えます。

 

平成23年8月

 7月18日(祝)、ギャラクシティ西新井文化ホールにて、足立区合唱連盟主催、足立区共催の「海の日ジョイントコンサート」に出演しました。昨年同連盟創立30周の節目を迎えましたが、本年は学生の部の出演も14団体と倍増し、しかも一般の部との同日開催であったため大変賑やかな一日となりました。この10月よりリニューアル工事に入る同会場とも、しばしお別れの思い出のコンサートとなりました。
 ゲネプロの一部を1階最後列で聞いていました。この場所は響きやすい2階と違い音が途中で落ちやすく、効果的に届いて来ないことがあります。それは出演の多少に関わらず、また観客で席がうまっているほどに、声や歌詞がハッキリと後ろまで聞こえにくくなってくるので、舞台上での真のパワーが必要となります。
遠くに声が届かない原因の一つに音の不揃いがあります。つまり同声、混声に関わらずパートの中での音程がピッタリはまらないとそうなり易いのです。ところが普段の練習では、個々に分れて歌ってもらうと合せる事が出来るのに、いざパートごとに、かつ全体で歌うとバランスを崩しやすくなるのですから不思議です。
 頭の中にしっかりと歌が入っていれば、指揮者と呼吸を合わせ、気持ち良く音楽に入れます。しかし、どこかに心配事(例えば依存したり、気負ったり)があると音(声・歌)に集中出来ず、心身の準備、すなわち楽器の状態が間に合わないまま発声するので、本人の思いとはかけ離れたハーモニーにはまらない声に変質してしまったりするようです。当然、お客様にはコーラスが不揃いに聞こえてしまうことでしょう。
 本番ではグループ編成が小さくてもしっかりした響きのある歌声や歌詞が届いてくると、思わずその可能性に拍手したくなります。場内の空気もとても和やかなものに変化するのに気付きます。一般の部ではそうした未来を感じさせる演奏をお届けすることが、とても大切なことだと感じました。
 モーツァルト作曲「ミサ曲ハ短調 KV. 427」からKYRIEとGLORIAの演奏、練習途上ながら良く頑張りました。前日のリハーサルや折り込みのお手伝いなど、結構忙しいスケジュールでしたが本当にお疲れ様でした。

 

平成23年9月

 8月18日(木)午後5時からティアラ江東小ホールで「声を育てるエクササイズ」研究生の発表会がありました。勿論、歌唱力を競う催しではありません。呼吸の深さから得られる<声>を用い、音楽を通し表現と結び付ける試みです。観客の皆さんからこの発表会の観賞の仕方が、ここに来てようやく見えて来ましたとの嬉しいお言葉を戴いております。少しずつではありますが、個々の研究生の成果が出始めホッとしています。
 今回の研究発表会に音声医学博士 米山文明先生より励ましのお言葉を頂戴しましたので、プログラムの冒頭でご紹介させていただきました。私たちの活動にとり、とても大切な内容でしたのでHP上でもアップ致します。

 『声を育てる』発表会 第7回おめでとうございます。
近藤直子先生を中心にして、熱心に声の追及を続けておられる皆様の姿勢にいつも敬服しております。過去何回か拝聴しておりますが、最近の実力のほどは知りません。時々頂く案内状で合唱曲の発表会もかなり回数を重ねておられ、外国遠征にも行かれていることも聴いています。
合唱をうまくやるためには、当然ながら個人個人の声づくりが不可欠です。しかし一人ひとりがうまければ合唱がうまくゆくとは限りません。発声の基本的レベルが共通し、共用できないと、一人の技術だけが如何にうまくても、全体のバランスをくずしたら、合唱としては成立しないことは皆様十分ご承知だと思います。
つまり共通の発声基盤が安定していないと音の高低、強弱、持続、音色(ことばも含め)までも乱れてしまいます。『言うは易く、行いは難し』ですから、簡単に出来ることではありませんが、将来の目標は高くもって、一人ひとりの皆様が努力し、前進してゆくことを大いに楽しんで下さい。
世界的な名歌手に歌がうまくなる秘訣を尋ねますと、ほとんどすべての人が「忍耐と努力」だと言います(グルベローヴァしかリ、ルードヴィッヒしかり)。皆様がひとつひとつの土台を積み重ねて、大きなピラミッドの頂点を目指してゆかれますことを期待しております。
 
平成23年10月
 本年は地震、津波、台風・・・と自然の猛威に慄くことが実に多くありました。加えて原子力発電所の事故とまさにダブルパンチの日々です。とはいえ、そう容易く中断するわけにいかないのが人生です。NAOコーラスグループの合宿も予定通り、9月24-25日に大田原市内のふれあいの丘で行いました。
 モーツァルトの「ミサ曲ハ短調」が今回の曲目。以前、この作品は半音階を伴う繊細なハーモニーがポイントになるので、音程を大切にしつつ和音の動きを感じてと記しました。実際メリスマのなかにある転調へと連なる一瞬の音は歌唱的にも際立つところです。ただし難所でありしかも2重合唱はNAOにとって初めての経験です。
 初日前半に練習した感謝の意を高らかに歌い上げる「Hosanna in excelsis!」。皆さん楽譜から外れまいと必死に、首を上下に振って盛んにリズムをとろうとしますが、喜びを表現しきれずにメリスマで時差が生じてしまい、かつ半音階の音程に苦しみ全体がモゴモゴし出し、折角のフーガの旋律の横の流れも何が何だか分らない様相を呈し始めます。視界には俯き加減に目が点となり口が開いたまま、或いは噤んだままの人たちが入ってきます。
 演奏が始まれば途中で音楽を止める事が出来ないのは周知の通り。ともかくしっかりとテンポを保ち、流れに乗って進んでいくほかありません。「どこかでキッカケをつかんで」と、顔で笑って背中に冷や汗の練習でした。ただ不思議なのは残り数小節になると途端に全体のハーモニーが落ち着き始め、調子よくピアノ伴奏にのって、声高らかに歌い上げる粘りのパワーには、いつもの事ながら感心します。
 やはり皆さん安心出来れば深い声で歌えるのです。そのためには1にも2にも練習 Übung macht den Meister<練習が名人をつくる(独の諺)>です。まだまだこれからです。高い山も一歩一歩諦めずに登れば必ず頂上の景色が見えてくるでしょう。228年前にザルツブルグの聖ペトロ教会で初演された、W.A.モーツァルトの未完の大ミサ曲に果敢に挑んだ合宿。国内外の公演の本番に向けて、楽しく高らかに歌い上げていきましょう!
 

平成23年11月

 近藤直子と行く海外演奏旅行、前回に引き続き株式会社ラテーザの企画に近藤直子インフォメーションが協力し実施されました。演奏会場は2005年以来のザルツブルクで、モーツァルト作曲「大ミサ曲ハ短調 KV427」を、当地最大の教会の聖ルーベルト大聖堂(ドーム)にて初めて歌いました。指揮はヤーノス・ツィフラ氏です。
 19世紀に始まったモーツアルト生誕100年の流れをくんだ夏のザルツブルク音楽祭は有名ですが、今回の「マジック・モーメンツ モーツァルト」は、世界各国の合唱団と大聖堂の音楽監督とで演奏会をつくり上げる音楽祭とのことです。勿論、ドームの管弦楽や合唱団も加わります。
 高さ72メートルの丸天井を有する大聖堂では、残響が6~7秒程あり、それを踏まえての演奏が不可欠です。
 歌っている方はさほど違和感は無いのですが、祭壇から離れた場所ではパイプオルガンのような音の重なり合いが起こります。「大ミサ曲」ではメリスマは勿論のこと、二分音符などの長い音も残響を活かして、息を効果的に使う歌い方をする必要がありました。発音の瞬間に集中し後は息の流れに任せる歌い方です。
 ドームでの演奏を知り尽くしている音楽監督のもとインターナショナルの各演奏者は見事にまとまりました。モーツァルトも洗礼を受けたという大聖堂は大勢の観客で満たされ、フレスコ画で彩られた教会内にその音楽が鳴り響きます。「Kyrie eleison」のハーモニーが幾重にも幻想的に連なります。日本をはじめ団体参加ではメキシコ、アルゼンチン、ドイツ、また個人参加ではノルウエー、フランス、スウエーデン、それに地元のメンバーを加えた8カ国からなる200余名のコーラスです。これらの文化を融合し、フレッシュなソリストも交え重層なモーツァルトのミサ曲を演奏しきったマエストロには絶大なる拍手が巻き起こりました。
 素晴らしい公演と歴史を色濃く残したザルツブルクの旧市街(世界遺産)に堪能した5日間となりました。その後もザルツカンマーグートやリンツ、ウイーンへと足を延ばし英気を養いました。次なる目標は2012年1月の文京シビック大ホールでのロイヤルチェンバーオーケストラとの共演です。本場の舞台を踏んだことでの成果を十二分に発揮したいものです。

 

平成23年12月

 足立の江北地区の荒川と五色桜にまつわるエピソードの一端をご紹介します。桜と言えば日本各地で古来より慣れ親しまれてきた樹木です。本来的に変異して種類を増やす特徴をもった植物とかで、園芸としても品種改良が進み例えばソメイヨシノなど様々な桜が、今日でも私たちの目を楽しませてくれています。
 来年はかつての東京市からワシントンD.C.に寄贈の、ポトマック河畔に植樹された桜が100周年を迎えます。そのルーツは明治19年の南足立郡にかかる旧荒川の堤(熊谷堤)に植樹された桜の苗木にありました。発端は前年の荒川の氾濫でした。流域に住む清水謙吾氏(後の江北村初代村長、東京府会議員)らが堤の補修の一環として桜の列植を提唱し、資金をかき集め労力を注いだ地域住民の手による事業が後の名勝地を生み出します。
 植樹された苗木は巣鴨の種樹家(植木家)の高木孫右衛門から仕入れたもので、この方は幕末の荒廃した江戸の大名屋敷などにあった桜の保存に努めていたとのことです。前出の清水氏とは旧知の間柄だったことから話が進捗して、由緒ある桜(「約78種3225本」)の出荷の道が開けたわけです。
 折しも本年は荒川放水路の開削事業(明治末期着工~昭和5年完成)から100年といいます。荒川は秩父山地の甲武信ヶ岳より、流域に埼玉県や東京都をもった173kmの東京湾に注ぐ一級河川です。ただし古くには幾重にも川筋を変化させながら氾濫を繰り返すことで、流域の人々にとっては水害との凌ぎ合いの歴史がありました。
 列植から10余年の歳月を経て江北一帯の約四粁(キロ)にも及ぶ堤の桜は見頃を迎え、あたかも五色に彩られた並木には各地より大勢の人々が花見に訪れ賑わいを見せました。ところが、明治43年の荒川(現隅田川)を含む水害は東京府をはじめ甚大な被害(「死者369名、浸水家屋27万戸」)を広範囲にもたらします。結果、時の政府は国家事業として「荒川放水路」の建設に着手します。下流の岩淵水門から東京湾までの22kmが対象となりました。用地の買収や苦難の開削工事など、ここから五色桜も含めて景色は一変して今日に至ります。
 という経緯から、現在五色桜に関わるNPO法人の理事でもある井口信昭提唱の学習会に、かつての熊谷堤に居住しているという不思議な廻り合わせで近藤直子も参加しています。

 
平成24年1月

 『Atem-Tonus-Ton(アーテム・トーヌス・トーン)』とは、「呼吸(Atem)からどのようにして音(Ton)に導くか、呼吸と発声を結ぶその道程がトーヌス(Tonus)」で、「身体の緊張する部位と弛緩する部位のバランスを作って、良い発声を可能とする状態を作っていく作業」(「米山文明 呼吸と発声研究所」より)を言い表しています。私どもの<声を育てるエクササイズ>もこのメトードを基本に実践しています。
 一般的に呼吸というと<肺呼吸>を、声といえば<声帯>の機能をイメージしてしまうことが多いのですが、どちらも御存じの通り常識的な身体の働きなので、何かトラブルにでも遭遇しない限り格別意識されないことが多いようです。ところがコーラスを始めとして歌うという行為に直面すると、ブレスも声もかなり具体的な身体の感覚として、注意が向けられ意識されるようになります。例えば長いフレーズを安定させて歌おうとすれば平常時に行なっている呼吸や声の出し方では、直ぐに行き詰ってしまう経験がおありかと思います。
 <声を育てるエクササイズ>では、そうした課題を根本的に解決するために、骨格をベースにして足から頭の先まで身体に働きかけて得られる息の深さを体感し、その身体感覚から声につなげていくエクササイズを習慣づけています。声帯に息が通過することで原音が作られ、その原音は喉頭を含め身体全体の振動と共鳴により声となって響きます。身体の空間や振動がどのように活かされるかで様々な音色が作られます。
 しかしこれまでの実践から分って来たのは、このような身体感覚を声に結び付けるのはそんなに容易ではないという事実です。身体の内面に働きかけることは、その人自身の内面や人生とも深く関わっていて一筋縄では行かないからです。私たちの身体は気持ちや考え方の影響を無意識のうちに大きく受けているのです。特に現代社会においては、物事の捉え方が身体の感覚よりも思考力や意識の強さで対処する傾向が多く見受けられます。
 本来は自然であるはずの呼吸と声なのですが、いざ意識的に使おうとするとなかなか素直にはいってくれない現実があります。しかし、ふとしたことから本当に気持ちの良い呼吸を通じて本来の自分の声に出会ったとき、これまでの生き方や世界観までが変わってしまうパワーに気付かされることでしょう。
 西欧では祈りのシーズンでもある11月が終わろうとする頃でした。ヨーロッパより大変残念な知らせが届きました。このAtem-Tonus-Tonという独自のメトードを開発された、恩師Maria Höller Zangenfeind(マリア・ヘラ―氏)が急逝されたとの訃報でした。未だ信じられない思いで一杯です。なんとか私たちはこの悲しみを乗り越えて、マリア先生の偉業の研究普及活動に努めたいと強く感じています。

 

平成24年2月

 1月28日土曜日。今日はW.A.モーツァルト作曲「ハ短調ミサ」(大ミサ曲)の演奏会当日です。東京の朝の気温は0度で、週の前半に降った雪がまだ路地の片隅に凍っています。お天気には恵まれましたが日中も6度程にしか上がらないとかで、時折冷たい風が吹き抜けます。事務所から会場へ向かおうと仕度を済ませた頃に、グラグラと揺れが起こりました。震源は富士五湖周辺とのことです。
 今回はロイヤルチェンバーオーケストラの第81回定期演奏会(指揮 堤俊作氏)に共演いたしました。昨年5月から練習を始め海外演奏や団内試演会を経て今日を迎えました。公演会場となる文京シビック大ホールは、東京ドームに隣接しており、まさに都心。交通の混乱もなく無事午前9時前には到着。オーケストラのスタッフの皆さんも会場入りして準備に余念がありません。136名の合唱団出演者も予定通り集まって来ました。
 NAOコーラスグループには、ちょっと壁にぶつかると戸惑い萎縮してしまうという傾向があります。「大ミサ曲」のような機微に富んだ作品では、様々な曲想を大胆に歌い分けたいところ、迷いがあるとどうしても平坦となってコーラスに物足りなさを感じさせてしまいます。その点では本番前の2日間のオーケストラとの合わせのなかで、楽器一つ一つのフレッシュで切れ味のある音色に触れ、またマエストロの意をよく汲んだテンポ感のある演奏と共演することで、個々の合唱団員の迷いも払拭出来たのではないかと思います。
 直前までのダメだしを経て、いざ舞台です。第1部はモーツァルトが9歳で書いたという「交響曲第4番」ニ長調です。ホール内は1000人を超すお客様で満たされたためでしょうか、本演奏ではGPの時とは異なる新たな響きになっていることに気付きました。いよいよ合唱団の入場です。マエストロと息を合わせた演奏がどこまで出来るか、いつもながらハラハラドキドキの瞬間を迎えます。
 「Kyrie」のシャープなオーケストラの前奏に、コーラスのハーモニーが重なり厚みを増し盛り上がりを見せます。淡々とした揺るぎのないタクトから、ソリストたちの渾身の歌声が生まれます。合唱も持ち前の柔らかな響きが随所で見られ、全体との一体感も出来てまずは一安心。やはり本番の集中力は宝物です。
 演奏会後、各方面の方からお褒めの言葉をいただき、胸をなでおろしました。なかでも恩師の米山文明、章子両先生が楽屋裏まで訪ねてくださり「良かったよ」とお声をかけていただけたのは何よりでした。マエストロを始めロイヤルチェンバーオーケストラの皆様、事務局の出村様、村本様、音楽評論家の上月様、本当にいろいろな方の努力に支えられた中身の濃い演奏会となりました。貴重な経験をさせて頂いたことに感謝します。
 もちろん、今回初挑戦であったモーツァルトの8声のハーモニーに立ち向かった、NAOコーラスグループの皆さんにも、あらためて惜しみのない拍手を送りたいと思います。

 

平成24年3月

 縁あって「国技館すみだ第九を歌う会」の前事務局長から、日本では初演となるベートーヴェン作曲「献堂式」の指導者の一人としてお話をいただいたのは、2009年の春だったかと記憶しています。「東京スカイツリー」の完成のお祝いも含めて、この祝典劇を「国技館第九コンサート」の第1部で演奏したいというご意向でした。その結果、全曲を第26回~28回の3回に分けシリーズ化しての演奏となりました。同年9月から練習を始め、12月にはすみだリバーサイドホールで恒例の「歌い納め」セレモニーの前に、試演会形式で第5曲目をピアノ伴奏で指揮したのを思い出します。
 序曲と9曲の劇音楽からなる「献堂式」は、1822年ウイーンのヨーゼフシュタット劇場の柿落としで公演されました(昨年10月に現地に行く機会があり、現在でもそのモダンな建物では現代劇が上演されていました。ただし、ベートーヴェンの作品が関わっていたことや、初演時のモニュメントを見出すことは出来ませんでした)。ちなみに、この2年後に「交響曲第9番―合唱付き」がケルントナートーア劇場で初演され大成功を収めます。
 「第28回国技館5000人の第九コンサート」の第1部では「献堂式」の最後の2曲が演奏されシリーズが完結されます。私の指導する練習会場でも平日の昼間ながら毎回100名程の皆さんが集まり、第九とは異なるドイツ語の歌詞の発音と伴奏譜のないパート譜に果敢に挑み、数少ない演奏CDを楽器店で探し求めたりして、2年6カ月の歳月を費やしいよいよ終演です。第28回の「第九」につなぐ祝典劇の響きを期待しています。

 

平成24年4月

 「原子力発電所の破損による避難や放射能漏れも含めて、今日これまでにない局面に私たちは遭遇しています。音楽も含めて一つ一つの行為に、神経を尖らせるような日々になっているような気がします。それでも古今東西、人間は幾度となく困難と直面しても、自由や博愛、正義を貫いてきたように思えます。芸術活動も人の志によって受け継がれていくものと信じています。その灯を消すことなく力強い活動をNAOコーラスグループも継続していきましょう」。
 上記は近藤直子インフォメーションの昨年3月末のお便りです。計画停電のため足立区をはじめ公共施設の利用が逼迫し、店頭では食糧品や飲料水などが品薄状態となり、またガソリンスタンドに車の長い列が出来、テレビのCMや番組あるいは催し物が軒並み自粛されていたのが、緊急地震速報と共にあった1年前の東京地方の状況ではなかったかと思い起こします。
 未だ落ち着きを取り戻せないでいる日本列島ですが、NAOコーラスでは本年1月の「大ミサ曲」の共演も好評裏のうちに終演しました。現在は海外演奏(10月)及び第15回公演(11月)に向け、ドヴォルザーク作曲「スターバト・マーテル」の練習を本格化させています。そんな折、「呼吸法による 声を育てるエクササイズ」ワークショップをグループ内で開催しました。心身のリラックス、呼吸の深さ、声との結びつき、歌への応用を骨格に実践しました。呼吸と声の取り組みは決して一過性のものではなく、日々更新されていくべき内容を含んでいると確信しています。これを機にこの営みが生活の一部分になっていることを再認識して頂ければ幸いです。私たちのハーモニーもここから生み出され、かつ聞く人に感動を与える♪愛の泉♪となれればステキですね。

 

平成24年4月(2)

 4月1日(日)越谷サンシティホール 大ホールにて「歓喜の演Vol.11その2」合唱の演奏会が開催されました。いつもの西新井文化ホールが改装中で沿線の越谷にての公演でしたが、1000人を超すお客さまに足を運んでいただけました。主催者及び参加者は勿論のこと、NAOコーラスグループを始め合唱連盟などお手伝いの皆様方の助力を得て、充実した環境づくりが出来たことにあらためて感謝申し上げます。
 今回「第九」は指揮に佐野直樹先生を迎え、江戸川女子中学・高等学校シンフォニックオーケストラとの共演となりました。第1部の「ふるさとの四季」(近藤直子指揮)でもその水準の高さをもった演奏に、公募による大人の合唱団も随分と気持よく歌うことが出来たのではないかと思います。第2部の「第九」では「und der Cherub steht vor Gott」のところで思わぬ拍手が起こり、場内の演奏への高揚を感じずにはおれませんでした。終演後の「ブラボー」の連呼もまさに真骨頂です。
 4月8日(日)江北地域学習センターで所属するNPO団体の「第3回学習会」(井口信昭担当)を開催しました。風は冷たいものの陽ざしがあり桜日和となりました。今回のテーマは「五色桜と地域の文化活動を体験」です。資料説明、大型紙芝居、地元のお話、日本舞踊、民謡、コーラスなど盛りだくさんの内容に、会場は地域の方々も含め大勢で賑わいました。桜散策では、ふるさと桜(八重なので未だ蕾)の並木を抜けて、旧熊谷堤跡(この近辺にしか面影が残っていない!)へ到着。「五色桜を復活する会」が植樹した彩色豊かな桜が見頃を迎えています。遠くにスカイツリーも見えて、充実した一時を過ごしていただけたのではないかと思います。
 4月14日(土)雨天のなか、「歓喜の演」合唱団有志の一行は秩父へバスハイク。イチゴ狩りはとても甘く、法善寺の枝垂れ桜はしっとりと、樹齢あるソメイヨシノの数キロに及び咲き誇るトンネルを抜け、碧き荒川上流の長瀞の岩畳を眺め、おきりこみうどんに舌鼓し、音楽寺で合唱団の祈願をし、無事に足立へ戻りました。

 

平成24年5月

 「呼吸法による 声を育てるエクササイズ」の第8回研究発表会(5月開催)に寄せて、米山文明先生(音声医学博士)より励ましのメッセージを頂くことが叶いました。上記プログラムに掲載します。NAOコーラスグループにとっても大変勇気づけられるもので、その一部をご紹介させていただきます。

「...(略)... 少しずつの進歩は目立ちにくく、地味なもので、自分自身では中々確認し難いと思いますが、大きな発展はその僅かな進歩の積み重ねが行われて始めて生まれるものです。現代最高のソプラノE.グルベローヴァが自身で語っておりますが、彼女のウィーンオペラのデビュー曲『ナクソス島のアリアドネ』(R.シュトラウス)の終末に歌われる超難曲〝ツェルビネッタのアリア〟(3点Fis)でカール・ベームのオーディションを受ける前に7年間毎日同じところを練習していたそうです。その忍耐と努力の積み重ねがあってはじめてあの大歌手が生れたのだと思います。
先日私は皆様の合唱団が参加したコンサート モーツァルト〝大ミサ曲〟をシビックホールで拝聴し、その進歩の程に驚きました。聞くところによりますと、ザルツブルク、ライプツィヒの聖ニコライ教会その他海外演奏にも何回か出かけられている由、皆様の熱意と努力に敬服しております。今後 皆様が益々研鑽を積まれ、より一層レベルの高い合唱団に育ってゆかれるのを熱望し、楽しみにしております」
 

平成24年5月(2)

 この5月4日(金・祝)にティアラ江東・小ホールにて、第8回「声を育てるエクササイズ」の研究発表会を開催しました。参加メンバー24名が独唱にアンサンブルにと日頃の成果を発揮します。GW真っ只中でしたが80名程の皆様にご来場頂き、研究生へ温かいエールを送っていただきました。
 一週間前に別会場でリハーサルを行いました。研究生それぞれが観客にかつ歌い手となって本番に備えます。いつものレッスンとは異なり緊張しやすい環境でしたが、伴奏者とのコンタクトを旨くとってくれればと期待しました。大抵は人前で歌うというだけで頭の中が真っ白になったり、あるいは声も上ずってしまうとか、呼吸法のレッスンで培ってきたものが中々応用出来ません。米山先生のコメントにもありましたが、これだけは繰り返し練習し地力を付けるほかないのかなと実感しているので、研究発表会は参加者にとってとても大切な機会だと思っています。
 習い事ではよく見られる光景で、何だかんだと様になるまでは集中力にも凄いものがあり飛躍もしますが、本当の道標はその後に見えてきたりします。スランプや停滞は順風満帆の中でも起き得ます。発足当時からの研究生は既にその域に入っているようで、レッスン中でも心身の状態に納得がいくか否かで〝表現の落差〟がはっきりと見えます。
 さて、当日の舞台ではいつもながら様々なドラマがあったようですが、アンケート欄のメッセージも含め、皆様方の一言に研究生もどんなにか勇気づけられたことでしょう。「素晴しい発声、皆さんじょうずです。身体から声を出している様がみえました」「回を重ねる毎に歌い方が楽になったように見えます。唱に表情がみえました。すてき!!」「いつもと違う皆さんのソロの声をきかせて頂きました。ドレスもすてきで、楽しく、すばらしかったです」「息をかんじました」「日頃のエクササイズの成果がうかがえて大変参考になりました」「呼吸を皆であわせながらうたうことが、こちらにもかんじられた」ほか、同趣旨のお言葉を沢山頂戴しております。本当に有り難うございました。今後ともより一層の研鑽を積み、活動を発展させていきたいと思います。御支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

 

平成24年6月

 ホームページ上では、第8回「声を育てるエクササイズ」研究発表会の模様をお便りや写真でお伝えしていますが、インターネットの環境をお持ちでない方もいらっしゃいますので後日談です。
 ティアラ江東・小ホールでの発表会の翌週に研究生有志で軽井沢にある、音大の研修センターにて1泊2日の合宿を行いました。晴天に恵まれましたが、2カ月ほど前に戻ったような陽気で肌寒く、浅間山にも雪渓らしきものが見えました。合宿場は学生向きに簡素に営まれており、その分、若返った感じです。エクササイズの合間に皆さんと今回の発表会の四方山話をしました。舞台で歌うことの難しさ、また歌いきった達成感は掛け替えのない経験です。聞き手の感性に応えようとする演奏への、身を削るような集中力はきっと地力になっているはずです。
 何よりも嬉しかったのは、ご来客いただいた皆様が研究生の歌の旨い下手といった品定めではなく、何に取り組んでいるかをしっかり理解されていた点です。息遣い、リラックス、歌の表情、ハーモニーなど日頃のエクササイズの内容に踏み込まれた感想を多くいただきました。きっと、わがことのように舞台上の研究生を見守っていただいたのではと推察します。
 さて、コーラスに目を転じます。当グループも発足して13年になります。振り返れば、育児や仕事から少し余裕が出来てコーラスを始めた方が、介護や孫の世話に追われる昨今です。当のご本人もじわじわと年令の影響を受け始めています。病も決して他人ごとではなくなっており、余生という言葉の意味合いが異なってきているような気がします。
 立ち位置で物の見方は変わるものですが、呼吸―声―歌―音楽の取り組みをライフワークにしている私たちの歩みは、皆さんの人生に一石を投じるものと確信しています。どうぞ、今を大切に♪声♪を育み、本番を目指しコーラスしていきましょう。

 

平成24年7月

 NPO法人あだち学習支援ボランティア「楽学の会」、足立区生涯学習センター、足立区教育委員会共催による、平成24年度「あだち区民大学塾講座」、「近藤直子と楽しく学ぶ~こころに響く歌声~」が、6月8、15、22日の3週にわたって、足立区生涯学習センター4階講堂で行われました。その際の「講座を終えて」のコメントを抜粋します。
 募集定員は100名。区広報の数行の告知で集客出来るのかしらと危ぶまれましたが、お陰さまで関係各位のPRが功を奏し満席となりました。さて、初回は<呼吸の仕組みと発声の仕組み>からスタートしました。「声を出すことで大事なことが2つあります」とお聞きすると、しばしシーンとした場内から、「声帯」という声が幾つかありました。もう一つは何でしょう?どうやら、ピンとこなかった様子です。声帯に<呼吸>が通るという身体の機能は、無意識で行われていることが多く、当たり前になっているためでしょうか。
 第1回の講座終了後のアンケートでは、出席者の3分の2の方からお応えをいただきました。「『声』を意識する、こんな講座はじめてで、楽しかった」と複数あり、「歌の基本は呼吸から 身体のしくみから、わからないことばかり」だったようで、ただし、歌にとってこんなにも「呼吸が大切だったことを知る」良い機会になったとの感想も多く寄せられました。
 2回目では少し専門的な部位を交えてのエクササイズにチャレンジしていただきました。私の指導するコーラスの皆さんにはお馴染みの「座骨」と「骨盤底」です。声帯を通過する息が深められるほどに「声」の質量も変化します。その息の深さをどうつくり出すか、また声との結び付きをどうはかっていくかは、「Atem―Tonus―Ton(呼吸から声を導くための具体的なメソード)」の主題でもあります。私たちが講座の内容を企画制作するにあたり、研究普及の成果を指導面で活かす、またとない機会でもあります。
 最終回、音程や響きをテーマにするにあたり、歌うためのちょっとした方向性を示しました。ちょうど、アスリートたちの体力づくりと同様に、〝ゆるみ〟からもたらされる骨格をベースにした身体のスペースづくりは、声を出すために不可欠なボディー・ワークです。延べ6時間のエクササイズの講座では、参加者の心身の劇的な変化は望めるはずもありませんが、実践を通し歌う為に必要な<呼吸と声>の身体感覚を養うことの大切さを見出していただければ、今回の目的は果たせたかと思います。

 

平成24年8月

 恒例の合宿を七夕にかけ実施しました。あいにくの雨模様の天気で、しかもJRの在来線のポイント故障による大幅な運行の遅れも有り、いつになく慌ただしい初日となりました。直行及び新幹線を利用された方々は、前泊のゴルフ組も含めて昼下がりの集合に何とか間に合いました。
 練習の合間、3時のおやつに、「八溝カレーパン」の差し入れを、合宿場のスタッフの方の解説入りで配布。そこへ5時間近く電車内で過ごしたり、ルートを変えたりして合流した11名の皆さんが到着。俄然、賑やかになりました。
 9月15日、サンシティ越谷市民ホール・小ホールでの「ワンコインコンサート」(試演会)も決まり、ドヴォルザーク作曲の「スターバトマーテル」の練習も熱を帯びてきました。10月の海外演奏、11月18日ティアラ江東・大ホールの本番に向け、一つ一つの弱点を克服していくための合宿でもあります。何しろ今曲は女性指揮者(近藤)にとり、スケールが大きいだけでなくエネルギッシュな作品でもあり、コーラスには普段の練習から自律した積極的な音楽づくりを求めています。 
 総勢60余名(日帰り参加も含む)の合宿、初日の懇親会ではサプライズの話もあって盛り上がりっぱなしでした。もっとも近藤直子インフォメーション(井口)は憮然としていましたが…仕方ありません!? (詳細は参加者にお聞きください)。
13世紀に書かれた「スターバトマーテル」の詩には、多くの作曲家が曲をつけています。ドヴォルザーク夫妻も立て続けに子どもを亡くすという不幸に直面し、いかばかりかの思いでこの詩と向き合ったのでしょうか。「悲しみの聖母」に託す音色の数々が脳裏をよぎります。合宿最終日、「肉体が滅びようとも、その魂には、天国の栄光が与えられますように」 「御心のままに」。参加者の地力を込めたハーモニーが、大田原「ふれあいの丘」の会場いっぱいに響き渡りました。この心構え、持続させましょう!

 

平成24年9月

 今夏も「声」を使うプロフェッショナルな方々との「声を育てるエクササイズ」の講座がありました。当然ながら、中身の濃い内容となりました。例えば役者さんであれば、身体の動作の基本的なことは身に付けています。そうした舞台の現実を把握したうえで、呼吸を介し声に結び付ける身体感覚とどう向き合うかが課題になります。その点は流石にプロで、ポイントを見逃しません。身体の状態を微妙に変化させながら、呼吸をからめた試行錯誤が続きます。
 一般のレッスンでは、参加者が目で見て得る情報への依存心が強いため、形つまり指導者の動作を見て真似ようとする傾向があります。確かにそれも一つのアプローチですが、同時に、形につながるための身体感覚が必要となります。ここでいう身体感覚が、「呼吸」をベースに置いていることは自明の理です。その意識が不十分なまま形だけ真似て結果を得ようとすると、逆に身体を筋肉などで固めてしまうといった方向性の異なる動きになります。
 今流なのか周囲を見渡すと、何事も最初にマニュアルがあって然るべき結果をつくり出そうと焦るのか、同じような内容のサービスを受ける事があります。なぜその内容になるのかという個々のモチベーションが実感出来ないコピー現象です。例えて言うならばプロのソリストの素晴しい歌唱を真似て、声を出すことにばかり精進する様なものです。でも本来は歌が上手になりたいという心身の状態があるはずです。そのためには何が必要なのかを考えるべきです。歌うための手前にあるものは何か、そう自分の心身という楽器があり、そのメンテナンスを怠る事は出来ません。
 猛暑の最中でしたが、舞台俳優さんたちとのレッスンでは、「呼吸と声」のつながりの身体感覚について、「以前の発声練習でしっくりこなかったことが、このレッスンで手掛かりをつかめた」「座骨がこんなにもパワーがあるのを実感した」「引き出しを増やしていきたいです」などのコメントをいただきました。このメトードの奥行の深さと研究普及活動の手応えを感じた一瞬でした。

 

平成24年10月

 9月15日(土)、サンシティ越谷市民ホールの小ホールで行われたワンコインコンサートは、舞台に立つ者にとって真剣な本番でしか得ることのできない、掛替えのない経験の場になりました。
 立て続けに3人の幼子を亡くすという不幸に見まわれたドヴォルザーク夫妻の悲しみは如何ばかりだったか、13世紀の作品「Stabat Mater」の原詩に、夫妻の心情が音楽として吐露されているのを感じずにはおれません。曲初の「御ひとり子」イエスの受難に佇む「聖母」の描写から、以後「fac, ut tecum lugeam」(あなたと共に悲しませて下さい)に象徴される祈願のコーラスが繰り返され、悲痛にも似た想いが全編を覆います。
 今回はピアノと電子楽器の伴奏で、合せの時間も限られた中でのオーケストレーションに、多忙極まりない伴奏者お二人には大変なお骨折りをかけました。有り難うございます。また、演奏に花を添えてくださったフレッシュなソリストの皆様にも感謝です。今後の活躍が益々期待されます。
 当日は3連休の初日だったので、お客様の入りが心配されましたが、NAOコーラスグループの底力でしょうか大勢の皆さんが会場にお見えになりました。現在療養休団中の松元 寛さんも応援に駆けつけられました。「途中休憩の入らない90分の大曲でしたが、あ、もう最終曲なのという感じで、長さは全然気にならなかった」と、演奏後の食事会で松元さんらしい元気なコメントをいただきました。一日も早く、また舞台でご一緒できる日をお待ちしております。
 震災や未だに止まぬ戦禍などで大切な人を失った方々の痛みを癒すことは、並大抵のことではありません。しかし、人と人とが一緒にいることの大切さを、この曲は教えてくれているように思います。私達の演奏がその発端になれば幸いです。いよいよ、有志によるプラハでの演奏を経て、11月の本番を迎えます(残席あり、お早めに)。これからの個々の頑張りが成果に直結します。体調の管理に万全を期して、練習にご参加下さい。

 

平成24年11月

 10月18日~25日にかけて「NAOコーラス&フレンズ 2012海外公演ツアー」が実施されました。チェコ・プラハのスメタナホール演奏会を中心に(A)、またパリまで足を延ばした(B)2コースによるツアー(株式会社ラテーザ企画、近藤直子インフォメーション企画協力)です。演奏曲目は、アントニン・ドヴォジャーク(現地発音)作曲「スターバト・マーテル」。
 ところがBコースではエール・フランスのフライトが成田で4時間20分の遅れを生じ、結局総勢67名が揃ったのは、19日のプラハ市内のレストランの昼食時となりました。オーケストラ合わせが直後に控えていたので、息つく暇もない日程でしたが、参加者の皆さん(失礼ながら、決して若くないとは思われますが)とても元気なのには敬服しました。
 その感動はオケ合せに結び付いていきます。まず、チェコ・プラハ管弦楽団、とても深みのある音色に心地よさを覚えました。次に現地のコーラス、こちらも全身からほとばしる声がステキです。力みのない自然体の発声は直ぐに 練習場(国立劇場のリハーサル室)の空間をハーモニーで包みました。私どもが研究普及している「声を育てるエクササイズ」で目指す声に相通じるものです。
 そして、ソリスト。皆、国立オペラ座で活躍されている実力派揃いでした。バスのズデネク・プレさんはその巨体を活かし会場くまなく声を響かせ、圧倒されました。近くオペラ公演で来日されるとか。勿論、ヤン・ムラ―チェクさんの寛大な指揮は、音楽全体を柔らかく包み込みオケと合唱のコミュニケーション能力を高めました。
 20日の午前中、市内観光出来なかったBコースの参加者は約6kmの徒歩での行程を終えその持久力をもって、なんとスメタナホール(プラハ市民会館内)での本番に臨みました。私たちの知り合いがいないプラハで本当にお客様に来ていただけるのか半信半疑でしたが、舞台に入場するや雄に1000人を超す観客に目を見張りました。ほぼ、満席です。
 13世紀の作品「Stabat Mater」の原詩に、立て続けに3人の幼子を亡くしたドヴォジャーク夫妻の心情が音楽として吐露されているのを感じずにはおれない今曲が、いよいよ演奏されます。前半の4曲は観客も日本人合唱団に興味をそそられている様子が見てとれました。休憩後の6曲目、男声合唱を歌いきると思わぬ拍手が起こりました。以後、毎曲にこの現象は続きました。大成功です。終曲、ちょっとしたテンポのズレが一時全体で生じましたが、何とか演奏家の総力を挙げて切り抜けて、マエストロのタクトが下ろされました。しばしの間を置いて拍手喝采。更に後方の列よりスタンディング・オベーションが前方へと広がりました。
 合唱指揮、近藤直子もカーテンコールで呼ばれ、皆様の代表として前方でお辞儀をさせて頂きました。本当に難曲を乗り越えて頑張りました。おめでとうございます。関係各位はもとより、この演奏会のためにスメタナホールにお集まり頂きました全ての人に感謝いたします。

 

平成24年12月

 11月18日ティアラこうとう大ホールでの「スターバト・マーテル」(ドヴォルザーク)本演奏会のプログラム挨拶文の冒頭に、恩師 米山文明先生(音声医学博士)の励ましのメッセージ を、一部引用させていただきました。「少しずつの進歩は、「地味なもの」でありながら「その積み重ねこそが「大きな発展」につながるという趣旨のものです。NAOコーラスグループは、このメッセージをベースに、団員と共に大小さまざまな積み重ねを9カ月に渡り続けました。そして、そこで得た全ての経験が一人一人の血肉となり、本演奏に結び付くと確信をもって舞台に上がりました。
 演奏会後、「ふつうに歌われていることに感心しました」「いつもより合唱のひびきが良かった」「ドヴォルザークの気持ちが、ハーモニー、リズム、メロディを通じて良く伝わってきました」「長い曲を大勢の合唱団で、よくまとめてあると思いました」・・・こうした内容の感想やアンケートを多数頂戴しております。
ともかく感謝、感謝の連続の演奏会でした。コンサートミストレス小口佳子様をはじめ、東京シンフォニックアンサンブル(代表 佐野直樹氏)の36名の皆様、ソリストの先生方、合唱団が一体感を持つことのできた公演だったと感じています。
 果たしてどこまで、人と人とが一緒にいることの大切さを、また少しでも生きる勇気や人のぬくもりを皆様にお届け出来たかは分かりませんが、ホールを包み込む全ての音色はまさしくそこに生きる人そのものだったと思います。実は、直前まで練習に参加しながら、体調を崩されたりして舞台に上がれなかった団員も数名いらっしゃいます。合唱活動が生きものであるのは、こうした一人一人の人生がその中に凝縮されているからに他なりません。
 本年9月のサンシティ越谷市民ホールでの「ワンコイン・コンサート」で闘病中にもかかわらず、応援に駆けつけ、エールを送っていただいた休団中の松元 寛様が、本演奏会前日の17日にご逝去されました。とても残念でした…
 演奏会後に団員にその旨お伝えし、全員で黙とうを捧げました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

平成25年1月

 本年は、1月28日に文京シビック大ホールにてロイヤルチェンバーオーケストラ第81回定期演奏会(指揮 堤俊作氏)と共演することから始まりました。曲目はW.A.モーツァルト作曲「ハ短調ミサ」(大ミサ曲)です。2か月前にザルツブルクの大聖堂(ドーム)で、有志のメンバーと共にインターナショナルの合唱団に参加し、同曲を演奏しました。本場の舞台の臨場感を体験し、この度の演奏にも役立てたのではないかと思います。
 2月に入り、第15回演奏会に向けて、ドヴォルザークの「スターバト・マーテル」の練習を開始しました。今回は2回ほど「声を育てるエクササイズ」のワークショップを取り入れました。この内容は、Atem-Tonus-Tonというメトードに基づいています。昨年11月に急逝されたMaria Höller Zangenfeind(マリア・ヘラ―氏)と、音声医学博士 米山文明先生との共同研究によって開発されたメトードです。発声にとって呼吸との関わりがどれ程重要であるか、改めてコンセンサスをはかりました。さらに、5月には当団員が主体の研究生による「第8回研究発表会」を実施し、上記のエクササイズの成果を独唱形式で聞いて頂きました。
 6月「第32回新宿合唱祭」へ参加、7月は大田原市内の「ふれあいの丘」で合同合宿、更に9月サンシティ越谷市民ホールの小ホールで「ワンコインコンサート」に力を注ぎ、10月「第32回足立区合唱祭」に出演、そして同月20日には(株)ラテーザの企画に参画し、ドヴォルザークの故郷でもあるチェコのスメタナホールにおいて、プラハのオーケストラ及び合唱団と共演を果たしました。このように、皆さんとの大小様々な活動の進捗がコーラス全体の血肉となり、11月18日の第15回演奏会「スターバト・マーテル」の感動に結び付いたものと確信します。
 演奏会後にいただいたコメントで「ふつうに歌われていた」という趣旨のものがありました。妙に力んだ所を聞き手に感じさせなかったとすれば、大変結構なことです。その土台は身体感覚の修練にあります。プログラムにも記しましたが、一回一回の練習はとても大事です。お互いがハーモニーの中にいることで触発しあい、それぞれの歌声を培う大きな役割を果たしているからです。NAOコーラスグループで歌っていると楽しい、是非ともそうした合唱団でありたいと願っています。
 それでは、来年も頑張りましょう。よいお年を!

 

平成25年2月

 2013年1月12日、新宿文化センター小ホールにて「声を育てるエクササイズ第9回研究発表会」を開催しました。当日のプログラムの冒頭に音声医学博士 米山文明先生のコメントを掲載しましたので、その一部分をご紹介させていただきます。もちろん、先生の言わんとする事が、私どもの本年の目標であることは一目瞭然です。頑張りましょう!

 先日(2012年11月18日)私は皆様の第15回記念演奏会でドヴォルザークの“スターバト・マーテル”を拝聴しました。全体の声のバランスがよく統一されていて大変楽しく聴かせて頂きました。これは皆様のたゆまぬ熱意と努力とともに、近藤先生および協力関係者の方々のご指導の結果だと感じました。やはり呼吸と発声の連動の基本が出来ている人が多いということの証(あかし)です。
 以前、私が指揮者の故若杉弘さんから聴いた話ですが、彼がドイツのケルンオーケストラを指揮していた頃「弦楽器群(おもに第1、第2バイオリン)の音の出し始め(Einsatz)の音を揃えるために、呼吸のサインを出してから音出しをするとうまくゆく」ということでした。
 コーラスでもオーケストラでも最初の音と終りの音はとかく不揃いになる傾向があります。一人で歌う時でも一般に歌いだしの音(Einsatz)と終りの音 (Aussatz)は比較的不安定になるのが通例です。「呼吸」のとりかたの技術が決め手になるわけです。これは各種スポーツなどでも同様です。例えば角力の仕切り立ち上がりの一瞬のタイミングが勝敗を分けますし、陸上競技、水泳などのスタートの瞬間も同様です(息の取りかたのタイミングが左右します)。
 歌唱の恒常部分でも、音の変動(高さ、強さ)を一定に維持するためには“息のささえ”が必須なのは当然です。皆様の歌唱の向上は呼吸の扱いかたの向上と共に歩んでゆくと言ってもよいでしょう。名歌手クリスト・ルードヴィヒが日本で最後の公開レッスンで述べた「歌がうまくなるために最も大切なことは努力と忍耐です」というのは金言です。
 末梢のこまかい発声技術の巧拙よりも、一人ひとりの体全体で作る音、つまり体壁振動をうまく利用して、息から声に効率よく結びつけてつくる声の根幹部分の音(通奏低音?)を持たないとコーラス全員の声の集合音は不安定になってしまいます。
 

平成25年3月

 椿や枇杷などの花蜜にメジロが足しげく通います。朝霜も緩み始め、草木の新芽が吹き出しました。
 以前に、このお便りの中で紹介させていただいた五色桜の続編です。明治後半に盛りを迎えた、江戸末期の大名屋敷にルーツを持つ、江北の五色棚引く桜の数々は現在では全滅したと聞きます。ただ、かつて五色桜で賑わったとされる堤は、400メートル程の一般道路として僅かにその名残を残しています。
 地元の方の努力で堤跡の一部に桜が新たに植えられて、今では開花時期には遠くにスカイツリーを眺めながら楽しむことが出来ます。また、この付近は「江北桜並木整備」の工事が進捗し、その最中に「熊の木圦」の遺構が出現し話題となりました。放水路建設前(明治末に着工)の旧荒川とこの水門が結ばれていて、堀の水路が造られていたそうです。
 その堀のあったとされる窪地を、地元では「神領堀」と呼んでいます。NPO法人「五色桜の会」の「学習会」では、この由来をテーマにして、安藤理事より資料説明していただきました。
 「神領」という言葉は文字通り神社の領地で、江北地区の村々は「東叡山寛永寺管轄の領地」だったそうです。上野の寛永寺は徳川将軍家の祈祷を受け持ち、菩提寺なので、「徳川直轄領」としての役割を果たしてきたと考えられます。そうです、江戸時代、足立は将軍家の直轄領として、新田開発による農業生産地の役割を担っていたのです。
 さて、歴史的ミステリーに興味はつきないのですが、五色桜由来の旧荒川堤の道は「神領堀緑道」として、この3月完成予定とのことです。足立の新名所になるかも知れませんね。

 

平成25年4月

 3月、東京では一足早く咲き出した桜も、なんと下旬には吹雪いていました。もっとも、八重桜はこれからが本番です。
 昨年11月下旬より第16回演奏会に向けて活動が始まりました。今回の曲目はNAO(なお)コーラスでは初めてとなる、ガブリエル・フォーレ作曲「レクイエム」とアントニン・ドヴォルザーク作曲「テ・デウム」の2曲です。
 ガブリエル・フォーレ(1845-1924)の「レクイエム」は幾度となく版を重ねています。1888年の初版では Introitus and Kyrie, Sanctus, Pie Jesu, Agnus Dei, In Paradisum の5つからなる構成で、同年1月のパリのマドレーヌ寺院においての初演は、フォーレ自身の指揮で行われました。
 その後も「レクイエム」には加筆があり、バリトンの独唱が入る Libera me及び Offertoriumは、第2版になって組み込まれます。更に、当初より10余年を経て第3版の総譜が世に出ます。これについては、出版社の意向が随分と取り沙汰されています。それにしても、それぞれの部分の作曲が必ずしも同時期ではなかったことなど、フォーレと作品「レクイエム」の背景に興味が注がれます。
 さて、今演奏会に向けては「ペータース版」を用いて練習しています。パートCDとの合せではチェックが必要な箇所が幾つかありました。本番までに整合性をつけたいと思います。同曲の旋律には転調が多く、現代につながる曲想が強くイメージされます。その意味ではNAOコーラスの毎回の練習も、新鮮な思いで取り組めているのではと実感します。
 一方の「テ・デウム」ですが、日本では馴染みが少し薄いようです。ただし、小曲ながらオーケストレーションは大きく、前回プラハへ行った際に現地では「よく、演奏されている曲」と伺いました。
 ドヴォルザークが渡米にあたり、アメリカ発見400年行事の新曲の依頼を受け作曲されたもので、「テ・デウム」とは神への讃歌を表わしています。ともかくも、ダイナミックな音楽が魅力的です。毎回のコーラスでも新天地への思いが感じられ、とても勇気づけられます。

 

平成25年5月

 先日、ちょっとした縁があって、104歳のご婦人と言葉を交わす機会がありました。昭和で換算すれば今年は88年に相当するので、お生まれは明治末ということになります。昭和の中ごろに「(降る雪や)明治は遠くなりにけり」という言葉が流行ったのを記憶していますが、お見受けしたところ多少足腰の自由が利かない様子ながら、ご健在でおられるのは喜ばしいかぎりです。
 実際の会話は息子さん(といっても、昭和ひとケタの生まれです)に連れ添うようにして行われました。私たちが直接お声掛けしても直ちに反応を示されるのは稀で、むしろ息子さんの声に誘われるようにお話しを伺うことが出来ました。うまく話しのきっかけが出来ると、例えばご結婚に際して、生まれ育った地から一時間ほど歩いて嫁いで来たとか、当日の式の情景とかを、張りのあるしっかりした声で話されます。
 なかでも興味深かったのは、かつて4月の初旬には一重の桜が花盛りを迎えお花見されたことや、同月の20日過ぎには八重が咲きほころぶのを憶えておられたことでした。その桜とは荒川の「五色桜」を云うもので、時期的には明治末期から始まった河川下流の改修工事が進捗し、「放水路」が現実のものとして現れた頃を指すものと思われます。そのため、お花見などでご覧になられていたのは、改修工事の伐採から免れた旧熊谷堤にあった「五色桜」の一部(「名勝荒川堤櫻」の指定を受ける)でなかったかと推測されます。
 何かを思い起こそうとしているのか、時折額に片手を当てられるご婦人の様子を、温かく見守る息子さんの献身的な姿から、代々受け継がれていく「家」の風土にズシリとしたものを感じました。
 海外演奏に行くたびに思うのですが、西欧では旧市街と新市街とが上手にバランスをとりながら生活圏を確保しているように見えます。ところが、身近である東京の街並みを見回してみると、色々なものがプツンプツンと途切れてしまう風潮にあるのは非常に残念です。今回の出来ごとから、歴史でも文化でも、そのつながりを大切にしていく活動のなかで、独創性も生れてくるものではないかと考えさせられました。

 

平成25年6月

 GW明けの11日―12日にかけ、大田原市内の「ふれあいの丘」にて恒例の合宿を行いました。桜や水芭蕉の見頃も過ぎて、新緑の爽やかな頃となりました。初日は昼前より雨が降り出しました。集合までにちょっとした時間があったので、近郊の「道の駅」で一服、「与一伝承館」を見学しました。からくり人形に仕立てた法師が、琵琶を掻きならし「平家物語」を語ります。ジャーンと撥で弦を弾く表情と音声(吹き替え)に、口をポカーンと開けている鑑賞者がいました。
 「与一」こと「那須与一」のエピソードは、史実はともかく広く知られています。源平の海戦の睨みあいの最中に、一艘の小舟が波間に現れます。舳先には竿が立てられその先端に扇が括られています。その後には女房が控え、浜辺で対峙する源氏に対し、射て見よと言わんばかりに手招きします。陸地の大将は弓に優れた武者を家来に抜擢させます。それが「下野の国の住人で、太郎・那須資高の子の那須与一宗高」です。若干二十歳の小兵の与一は、命じられた任務に対し射損じた場合を想定し辞退します。返答に激怒した源義経は 出来ないなら「鎌倉に帰れ」と告げます。覚悟を決めた若武者は波風に立ち向かい、「南無八幡大菩薩、さらに、わが生国・下野の神明・日光権現、宇都宮、那須温泉大明神よ、願わくば、あの扇の真ん中を射させたまえ(略)」と退路を断ち念じます。
 館の舞台では、「からくり人形風ロボット」と「三面ワイドスリーン」の映像とを融合させて、「屋島の合戦」の一コマを演出します。いつしか、与一の放つ鏑矢が入江にヴォーンと唸り、射ぬかれた扇が夕陽に染まりながらヒラヒラと落ちて、波間に漂うシーンが脳裏を過ぎります。機械仕掛けの寸劇ながら、なかなか精巧なものだと感心しました。
 合宿の2日目は朝から晴れて近隣を散歩しました。眼下に見える水田の方から経の音が聞こえます。寺の境内まで下ると、50代目の住職とお話が出来ました。那須一族とも関わる「下野三金剛」の一つで、この地に建立して400年が経つそうです。土地の風土の一端と触れ合えた気がしました。練習も躍動感をもって無事終えられたのは何よりでした。

平成25年7月

 第33回新宿合唱祭に出演しました。今回は8分という限られた時間でしたので、ドヴォルザーク作曲の「テ・デウム」の1曲目だけの演奏となりました。なお同作品は、国内で演奏される機会が少ないようなので、初めて耳にされる方も多かったのではないかと思います。
 アントニン・ドヴォルザークは、「ナショナル音楽院」創設者「サーバー夫人」の強い要望により、結果的に同校の院長として1892年から3年間アメリカに滞在します。以前のお便りでも触れましたが、渡米を前にして「アメリカ発見四百年祭」の祝典に向けて作曲の依頼があり、直前までかけて書き上げたのが「テ・デウム」でした。それにしても、ロンドンへは「スターバト・マーテル」の演奏で大成功を収めて以来、度々訪れているものの、ニューヨークの町は全くもって未知な世界であったはずです。だとすれば、祝典曲「テ・デウム」には、彼自身の新大陸への憧憬が多分に込められていたのではなかったかと推測します。余談ですが、ご存知の「交響曲第九番 新世界」もアメリカ滞在の2年目には完成しており、1893年12月16日、カーネギーホールで初演され大盛況を博すのでした。
 さて、7月15日、西新井文化ホールで開催の「海の日ジョイントコンサート」(足立区合唱連盟主催)の「一般の部」で、「テ・デウム」の全曲を演奏します。冒頭からティンパニーの力強いリズムで演奏が始まり、高揚感のなかコーラスの讃歌が厚みを持ち、曲が展開していきます。もっとも今コンサートではピアノの連弾の伴奏により、オーケストレーションを表現します。ピアニストのお二人には随分と難題を強いてしまいましたが、その演奏も聞かせどころです。
 もちろんコーラスには、大海原を超えて新天地に臨む人々の強い意志を感じさせる歌声を、ホール一杯に響かせる役割があります(譜面に噛り付いていたのでは、間に合いません)。いずれ「新世界」にも通じていく新大陸の風を少しでも届けられるよう、日頃の成果を存分に発揮したいと思います。

 

平成25年8月

 7月15日、気温35℃という炎天下のなか、西新井文化ホールで「海の日ジョイントコンサート」(足立区合唱連盟主催)が行われました。午後12時30分より「学生の部」がスタートしました。今回は開場前からかなりの方が並ばれて、立ち見が出るほどの盛況ぶりです(もっとも学生席が用意されていた経緯もありますが)。
 「一般の部」は午後5時からの開催です。残念ながらこちらは空席が目立ちました。NAOコーラスグループは休憩を挟んだ3番目の出演です。演目はドヴォルザーク作曲の「テ・デウム」で、今回はピアノ連弾によるオーケストレーションに、ソリストを交え、90余名のコーラスで臨みました。10月にオーケストラとの本番が控えており、ドヴォルザークの新天地に馳せる思いに、また一歩、近づけたのではないかと手応えを感じています。
 そして、8月3日は竹の塚地域学習センターと共催による「チャリティ―コンサート」です。ガブリエル・フォーレ作曲の「レクイエム」がメインです。聞くところによると、センターに「お葬式の歌なんでしょ」と問い合わせがあったとのこと。
 確かにミサの一つとして「レクイエム」はあります。しかし、同曲は人々の死生観に新たなイメージを吹き込む曲想なので、今風に言えば癒しの音楽に相通じるものがあります。西洋の文化でもあり、そのへんのところを上手くお伝え下さいとお願いしました。
 実際、この甘美で幻想的な転調の多い曲想にどこまで踏み込めるか、毎回のコーラスで問われています。度重なる練習でも、発声やアンサンブル上のモヤモヤに陥る現象がしばし起こっています。それを乗り越えるためには、新たな呼吸を呼び起こし、また素早く頭の切り替えを行い、響きの伴った声にする技術が必要です。
 いずれにしても、コーラスは多くの歌声と共につくりあげる音楽です。一人一人の声が交わり、方向性をもった音色を生み出すという行為は、決して独りでは得られない営みです。更に和声が触発し合って、つくり出されるハーモニーは、コーラスの醍醐味と言えます。フォーレの「レクイエム」の演奏では、そうした力量が常に問われている気がします。

 

平成25年9月

 今夏は酷暑続きで、随分と体調には気を使われたのではないかと思います。折しも体調を崩された方は、じっくりと、元気を取り戻すべく頑張って下さい。
 7月15日・西新井文化ホール「海の日ジョイントコンサート」(足立区合唱連盟主催)や、8月3日・竹の塚地域学習センターと共催による「チャリティ―コンサート」と、10月の本番を前にした演奏を無事終了することが出来ました。
 アントニン・ドヴォルザーク作曲「テ・デウム」とガブリエル・フォーレ作曲の「レクイエム」、対照的な曲想ではありますが、それぞれにコーラスの深層を感じさせる大切なものが秘められている気がします。本番ではオーケストラが入ることで、そのことが、より一層際立つものと確信しています。
 ちょうど8月の中頃にかけて、「声を育てるエクササイズ 3日間集中レッスン」(文化庁、「児演協」主催)の講師として企画も含め参画しました。対象は「児童青少年演劇実演家及び関係者」ということで、第一線で活躍される舞台俳優さんたちとのエクササイズです。
 「舞台俳優にとって無理のない発声、しかも観客の心に届く発声は不可欠なものだが、それを専門的に学ぶ機会は少ない」との状況のもと、エクササイズはスタートしました。実際、「呼吸」の深さをつくり出すためには、心身のリラックスが必要です。でもそれは、筋力主体のボディワークとは少々異なります。むしろ、心身を緩めることで立ちあがる「呼吸」を利用し、他方で同時につくり出されているスペースでもって「声」との接点が出来、響きへの応用がはかれます。
 その点、日頃から自身の内面への集中力を強く身に付けている俳優さんたちです。その感性は鋭く、エクササイズの要領も直ぐに把握され、「芝居も歌も踊りも、みんな同じかな」といった感想にも合点がいきます。そうなのです。「発声」の土台は心身のメカニズムに依っており、そんなに人(指導者も含め)によって変わることもないはずです。
 要は様々な表現に際して、それをどう応用していくかが問われているのです。コーラスも同様で、一人一人の「声」で全体の響きをつくり出していることの実感は勿論ですが、毎回のNAO(なお)のレッスンやエクササイズで、実は内省の深みを得ていることにも気が付いてほしいと思います。

 

平成25年10月

 本年9月21日に西新井文化ホール(900席)にて、「歓喜の演Vol.12合唱団」(区民公募)の公演がありました。このお便りでも何度かご紹介をさせて頂いている団体の活動です。今回の演目はオペレッタ「こうもり」です。
 地域市民を母体にしたオペレッタの公演は、近隣の地域をみても決して珍しくなくなってきていますが、足立区では必ずしもそうなっていません。例えば、「歓喜の演」の主要な公演会場となるギャラクシティのホールには、オーケストラピットがありません。本格的なオペラやオペレッタの公演となると実現性が乏しいのが現状です。
 そのため、上記のような公演を立案する場合には、予算や舞台形状などの諸課題をクリア―する算段が必要であり、合せて一般の公募による募集ともなれば、ソリストが中心の演目に、どれだけ理解や関心を示して応募してもらえるかが、あらかじめリサーチ出来ていなければなりません。
 いずれにしても、市民が主体となる活動には、個人の力量と協働のコンセンサスがないと、折角の話も具体的に進展しないのが普通です。その点「歓喜の演」では母体となる実行委員会が機能しており、コラボレーションに理解のある人たちが揃っているので、議論はあるものの今日に至るまで、それなりの実績を残せているのが強みです。
 ともあれ、合唱団の提案に対して、施設利用については役所も協働しましょうとの意向から、運営の資金面での遣り繰りと、プロの活動家への働き掛けのプランをもって、念願のオペレッタの公演に向けてスタートしました。また、公募をかけるにあたって、継続の参加者から手応えを掴めたのも、大きな手掛かりとなりました。
 さて、当日は残暑ながら8割弱のお客様に足を運んでいただきました。プロのソリスト陣ですが、主役級に若手を抜擢した配役ながら、がっちりした演出のもとベテランとの息が旨く合い、大いに観客席の笑いを誘ったようです。2幕に合唱団が自前の衣装で登場するや、「ワ―」といったどよめきが館内を走ったのは、舞台上でも良く聞こえました。さらに指揮者、オーケストラがソリストやコーラスの背後で演奏するという舞台構成は、今でも巷の語り草となっています。
 終演後の感想では、オーケストラを交えてのオペレッタを初めて目にしたという方も多かったようです。今回のようにスケールを伴ったプロジェクトを、各方面からの協力を得て実現出来たのは実りのあることだと思います。実際には、様々な反省点も出ましたが、また一つ、市民活動の足跡を残せたという点ではホッとしているところです。

 

平成25年11月

 2013年10月6日、新宿文化センター大ホールにて、NAOコーラスグループ第16回演奏会が無事終了致しました。
 何か、とても大事なことを終えてホッとしている、そんな気分です。「スターバート・マーテル」の公演が昨年の11月でしたので、新曲2曲を10カ月程で本番を迎えました。両曲目ともに暗譜で臨まれた方(参加者の自由裁量)がいて、いつになく参加者の積極的な姿勢が見えた演奏会となりました。
 特にドヴォルザークの「テ・デウム」は演奏自体が稀で、またオーケストラの編成も大きく冒頭から世界がパッと広がる曲想のため、コーラスの基礎が余程しっかりしていないと、声量も含めて音楽がサッともっていかれてしまいます。20分程の演奏ですから油断すると、楽しむ余裕もなく「Alleluja」が来てしまいます。そんな懸念があったのですが、さすがNAOコーラスの面々、舞台に上がれば堂々としたもので(素晴しい!)、まずは本番が一番良かったと思います。

「テ・デウム、初めて聞きましたがドボルザークらしい壮大な曲、演奏はすばらしかった」(アンケートより、以下省略)
「少ない男声パートが大健闘していました。声の出が柔らかくとてもきれいでした」

 フォーレの「レクイエム」は愛好家も多いので、観客の皆さんの耳が肥えており非常に演奏に気を使います。一音一音に生命の力強さと尊厳が彩られているので、その研ぎ澄まされた感性をもって歌にもっていかないと演奏が散逸してしまいます。とりわけコーラスでは、それがハーモニーとして表れるので、その良し悪しが直ぐに分ってしまいます。

「レクイエム すばらしかったです。(省略)大好きな曲ですからー」
「フォーレのレクイエムは、本当に素晴しいものでした。様々な想い出を胸に聞かせて下さいました」

 公演の度にアンケートの記入のお願いをしていますが、演奏会の臨場感を率直に寄せていただけることが多いので、とても参考になり感謝しています。昨今は都内だけでも同日の演奏会の数が非常に多くなっているのが現実です。そのため、集客に苦労している話をよく耳にします。当グループの公演でも状況は同じで、「今後、足を運びたいと思います」「次回も期待します」とのエールに応えられるよう、これからも「僅かな進歩」を目標に、その努力を積み重ねてご期待に添う演奏をつくりあげていきたいと思います。

「コーラス演奏会は初めてです。とても声のひびきが良く心がいやされました」
「コーラス団員の一員になり あの仲間に入り、あのふん囲気に浸りたくなる程、良かったです」

  ありがとうございました。

 

平成25年12月

 「第16回NAOコーラスグループ演奏会」プログラム挨拶文より抜粋
 昨年11月に「スターバト・マーテル(悲しみの聖母)」を演奏致しましたが、実をいうと当初は別の明るい曲目の演奏を予定しておりました。しかし3月11日の震災が起き、どうしてもその曲を演奏する気持ちになれず、ドヴォルザークの「悲しみの聖母」に導かれました。
 また個人的には、同年に急逝された恩師マリア先生を偲ぶ曲ともなりました。
 ここに来て合唱団の高齢化が進み、ご家族が、またご本人の訃報にまで直面する事も残念ながらある様な状況です。それだけに、合唱の練習に元気な顔で来て下さると、本当に嬉しく安堵します。
 人はみな、生まれ、そして息を引き取るその日まで精一杯命を燃やしています。本日の演奏曲でもあります「Te Deum(神への賛歌)」は、悲しみを乗り越えたドヴォルザークが、アメリカでの新しい出発に際して書き下ろした、新天地への期待と敬意にあふれた力強い傑作です。
(中略)
 さて、以前に恩師であります音声医学博士の米山文明先生から下記のような励ましのメッセージをいただきました。
 「少しずつの進歩は目立ちにくく、地味なもので、自分自身では中々確認し難いと思いますが、大きな発展はその僅かな進歩の積み重ねが行われて初めて生まれるものです」
 私たちは、この言葉に勇気を頂き、本演奏会に際しましても同様の精神で臨んで参りました。
 今回は、A・ドヴォルザークの「テ・デウム」とG・フォーレの「レクイエム」という異色の組み合わせによる演奏会となりましたが、この2つの作品のように悲しみを乗り越え、自らを開放して力強く前に進んでいきたいと思っております。

 

平成25年12月(2)

 この11月22日午後8時(現地時間)パリのマドレーヌ寺院にて フォーレ作曲「レクイエム」の演奏会にNAOコーラスグループ(有志)が参加しました。旅行会社の企画で合唱団の編成の基盤は、日本での募集に集っていただいたメンバーにあります。
 演奏会場となるマドレーヌ寺院ですが、元々は聖堂として建築されるものでした。ただ、18世紀の革命時期には様々な用途で使用されており、またナポレオン1世の時代になってからもフランス軍の栄光を讃えようと目的が変更されます。彼が失脚した後の1842年に、マグダラのマリアを守護聖人とするカトリック教会として、古代ギリシア神殿風の寺院はようやく完成し今日に至ります。
 建物内部は石造りですから、ちょっとした音でも響きます。今回は教会にあるオルガンでの演奏となりました。
 フォーレはこの教会のオルガ二ストとして活動していました。どんな思いで「レクイエム」を作曲し、また初演したのか興味は尽きません。いずれにしても、いわゆる3大「レクイエム」それぞれに特長があるのですが、フォーレについては、やはり<教会>が大きなテーマになっていたような気がします。
 さて、パリではボジョレーヌーボーが解禁されて、いよいよクリスマスに向けてのイルミネーションが点灯される季節となりました。最高気温が5℃くらいなので、中途半端な寒さでない分、暖房が入っている所との服装の差がハッキリしています。そのため、そんなにブルブル震えるようなことはありません。
 驚いたのは、演奏会場のマドレーヌ寺院の内部の補修があって、何とクレーン車が祭壇の少し脇に停まっていました。これで、ひょっとして本番?更に祭壇の手すりにも白地のカバーが掛けられ、見た目も印象が良くありません。主催者側に交渉してもらい、正面に見えるカバーは撤去していただきました。
 総勢35名でのコーラスとなりましたが、指揮者のLaurant Austryさんは、とても誠実な方でともかく、この演奏は自分が一手に引き受けるから、どんなことがあっても指揮を見逃さないようにとの意志がはっきりと伝わってきました。終わってみたら拍手が鳴りやまず、全然予定していなかった Cantique de Jean Racine(ジャン・ラシーヌの讃歌)のアンコールがありました。Merci beaucoup !

 

平成26年1月

 12月15日(日)新宿文化センターの小ホールにて声を育てるエクササイズの「第10回研究発表会」を開催しました。今回は数々の国際的なコンクールに入賞され、ご活躍中の小林寿和子氏(ATT指導者)をお招きしての大変有意義な発表会となりました。
 また、私たちの日頃の活動に多大な影響をいただいています、音声医学博士 米山 文明先生よりこの度も貴重な励ましのお言葉を頂きました。大変恐縮ながら、演奏会の前に舞台上にて代読させていただきました。以下、その全文を掲載させていただきます。

 第10回研究発表会おめでとうございます。
 今回もまた私の変りばえのしないことばを申し上げて恐縮です。それに引きかえ、皆様の“うたごえ”の進歩、発展は着実に向上の一歩をたどっておられるのを拝聴していて欣快に耐えません。
 先日行われたフォーレの「レクイエム」とドヴォルザークの「テ・デウム」は小生入院中で拝聴できませんでしたが、ソリストとして参加した坂本知亜紀さんからの便りによると「コーラス全体の響きが、気張らず、力まず、大変まとまっていて、コーラスのメンバー一人ひとりの『呼吸と発声』の基本技術が声の根底にあるのが感じられ、ソリストとしても大変歌いやすかった」と言っておりました。ただ、フォーレとドヴォルザークと若干傾向の違う曲を同じコンサートで歌ったことがなかったので、最初は少し戸惑いましたがすぐに馴れました、とのことでした。
 皆様の歌唱力が少しずつでも進化している証拠だと思います。彼女の歌唱力はフランスものは特別ですが、ほかの分野のものと含め、現在の日本で考え得る最高レベルの歌手だと小生は評価しています。コーラスの皆様も彼女と同じステージで協演できたことは大きな収穫だったと思います。ソリストとコーラスがたがいに競い合い、たすけ合ってはじめて立派な演奏が成り立つ筈です。
 「呼吸と発声」を学んでおられる皆様に、思いついたエピソードを一つ紹介します。これは音楽のことではなく、最近ブームのサッカーの話です。
 「日本のサッカーが世界で勝つためにはクリエイティブな選手が必要である。それは試合の中で、今何をしなければならないかを常に自分で考えて、その考えたことを即座に実践できる選手である」。「指導者は試合でも、練習でも、状況を与えることができるだけである。その状況の中で、その選手がどういう動きをするかは選手自身にかかっている。コーチに言われた通り動く選手は自分で考えていないから、少しでも状況が変ると対応できなくなる。時には失敗を恐れてはならない」。
 この話の選手の個人、個人をコーラスの一人ひとりのメンバーに、コーチを指揮者、あるいは発声指導者に、試合を演奏会に置きかえてみますと、皆様一人ひとりのメンバーの役割と、曲全体をまとめて何を表現するかを構成する指揮者の役割分担と同じ関係が成り立つと思います。
 日頃練習し、学んでいることがとっさの場合、頭で考えてから行動するのではなく、瞬間的、反射的に対応できるようになってはじめて、自分自身の身についたということです。それには長い時間と経験のつみ重ねが必要です。
 本日歌われる皆様のたゆまぬ精進と忍耐を期待して、次回を楽しみにしております。

 

平成26年2月

 この度の演奏曲目の、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとルートヴィヒ・ヴァン・.ベートーヴェンは共に18世紀後半の生まれです。14年の年齢差があるのですが、本やインターネットで調べてみると、1787年にこの二人が急接近していることが分ります。
 ベートーヴェンは1770年12月の生まれなので、今風に言えばちょうど思春期まっ只中です。一方モーツァルトはこの年の秋にオペラ「ドン・ジョヴァンニ」を作曲しており、脂がのった30代を迎えています。
 場所は音楽の都ヴィーン、ライン河流域のボンで暮らしていたベートーヴェンが単身で旅を企てます。一説によれば活躍中のモーツァルトに師事してもらおうとの志を抱いていたらしいのですが、定かではありません。
 ただ、伝説というのは、そうあったら面白いなという憶測を持ち合せているのでしょう。さて、時空を超えてモーツァルトの住まい、ピアノ(チェンバロ?)に向き合うベートーヴェン、主題を与えられ当時の流儀であった即興演奏を披露します。はじめは、素っ気なかったこの天才も、その演奏を聞くや否や、後々この青年は世の中で活躍するであろうと予言めくのでした。
 それから4年後の12月にモーツアルトは『レクイエム』の作曲途上で亡くなります。亨年35歳。そして、1807年、ベートーヴェンの『ミサ曲ハ長調』が書き上げられます。数えてみれば、37歳の頃の作品ということになります。何となく廻り合わせの妙を感じる二人ではあります。

 

平成26年3月

 東京の東北、足立の地に土曜の午前4時頃から降り出した雪は、パウダー状のしっかりしたものでした。積もるかも知れないと思い、車での移動は控えて楽譜や配布物などの荷物をカートに入れ、公共の交通機関を使って練習会場に向かいました。まだ運行に乱れもなく、車内は大学入試なのか若い人の姿が目立ちます。
 歌曲などの練習が終わり、夕刻には帰路につきました。交通量のある道路は路面が濡れる程度でしたが、歩道や人気のない所では数センチの積雪です。このまま降り続いたらとの予感に、明日の事が気になります。NPO法人「五色桜の会」の第6回学習会の開催が午前10時からでした。
 今回のテーマは「五色桜とハナミズキ」。一見、不思議な結びつきに見えますが、実は明治42~44年に東京市より、ワシントンのポトマック河畔へ桜樹の寄贈した返礼として、大正4年に米国政府よりハナミズキが贈られたのでした。この樹木、「水木」と同じ科に属し日本の「やまぼうし」とよく似ています。原産地は北アメリカながら、今では街路樹など色々な場所で見かけることが出来ます。
 然るべき資料を作成し準備万端でいたところ、日曜の朝になっても雪は止む気配がなく、脛辺りまで白い壁が出現しています。交通機関も昨夜からの影響が残り、開催が危ぶまれました。都バスに乗り何とか会場に着くと、施設は開いていたのでホッとしました。数名の理事が既に待機されていて、「やりましょう」と開設に向け活動を始めます。次第に関係者も含めて30名強の方々が集まり、定刻より5分遅れて、2014年2月16日の学習会を始めることが出来ました。皆さんの熱意に本当に感謝です。
 19世紀の後半に突如現れ、60余年程で消滅してしまったといわれる「五色桜」、その伝説は足立の地で「里帰り桜」として、再び息を吹き返し今日を迎えています。

 

平成26年4月

 恒例の合宿を3月中旬に大田原市の「ふれあいの丘」にて行いました。いつもなら譜読みの最終段階を見据えて実施するのですが、今回は公開リハーサル(関係者を対象)を目前にしています。
 人前で歌うという行為は、演奏時のリアリティーでもって、音楽のコミュニケーションをはかることにつながります。今度の公開リハーサルの目的もそこにあり、私たちがどういう音楽づくりをしているのかを示す良い機会です(演奏者の自覚も含めて)。
 さて、合宿で躓いたのはベートーヴェンの「ミサ曲ハ長調」でした。歌詞はミサの通常文であり、これまでも「戴冠ミサ曲」(モーツァルト)、「聖チェチェーリアミサ」(グノー)、「テレーゼミサ」(ハイドン)で経験しています。また、モーツァルトなどの「レクイエム」(「死者のためのミサ曲」)でも、「Kyrie」「Sanctus」「Agnus Dei」など、同じ言葉が繰り返されています。
 それゆえ、歌詞の発音や意味での躓きというよりは、ベートーヴェンのオーケストレーションそのものに、コーラスが間に合っていない状況が見えました。本演目は「運命」や「田園」の交響曲に先立つ1807年に初演された中期の作品ですが、必ずしも成功ではなかった様です。むしろ時代を先取りした斬新な音楽に、周囲が理解出来なかったとも伝えられています。
 いずれにしても、「Gloria」や 「Credo」で見るように、リズムや転調などの起伏にとんだ展開が随所にあり、それを楽しみ、しかも明瞭なミサの言葉でアンサンブルをつくり上げるところまで、もっていかないと歌い切れません。ベートーヴェンの深い音楽づくりに、演奏が覚束ないというのが現実のようです。
 それをどう克服するかが合宿の課題になりました。その手掛かりは結局「声」に辿りつきました。個々の「声」を育むことは、とても大切なテーマなのです。NAOコーラスの練習では日頃から培っている感覚で、その自覚もあって「公開リハーサル」(良い演奏だが、聞き手が極少との評)も何とか乗り切れたようです。
 さあ、本番まであと一カ月です。若さと情熱で最善を尽くしましょう!

 

平成26年5月

ご挨拶
指揮・合唱指導 近藤直子
 本日は第17回NAOコーラスグループ演奏会に、ご来場頂きましてありがとうございます。
 今回はモーツァルトとベートーヴェンの30代半ばの作品を取り上げました。前者の『レクイエム(死者のためのミサ曲)』は古典派の最盛期1791年(35歳)に、後者の『ハ長調ミサ曲』は1807年(36歳)に書かれた作品で、どちらも既にロマン派への移行を感じさせる傑作です。
 W.A. Mozart (1756-1791)は、灰色の服を着た謎の男から作曲依頼の手紙を受け取ったことからあの有名な伝説が残ります。依頼主はヴィーンの「ヴァルゼック・フォン・シュトゥバハ伯爵」でしたが、熱心な音楽愛好家であった伯爵はその夫人の死を弔うミサで、自分の作品と偽って「レクイエム」を演奏することを企て、名前を伏せて作曲依頼をしたといわれています。
 Beethoven(1770-1827)は、ミサ曲を2曲残しています。後の最高傑作『ミサ・ソレムニス』と、その前兆となる今回の「ミサ曲」です。歌詞をドイツ語に翻訳するという構想を持ち合わせていたためでしょうか、生きた言葉として音楽とのつながりを密接に表現しています。しかし当時の時流を超えた表現は、聴衆には受け入れられませんでした。
 折しも1789年にフランス革命が勃発し、音楽も貴族から市民へと開放されていきます。Mozartのオペラには貴族の生活を風刺した題材も多く、Beethovenは若くしてシッラーの詩に共感し構想を練り続け「第九」へと展開していきます。そうして今、この偉大な作品を前にして思い抱くのは、人間にとり根本的で、しかも一番大切なものだけは時空を超えて残るという事実です。
 合唱団を取り巻く環境は決して順風とは言えません。様々な状況に直面していますが、あらゆる人間の知恵が「生きる力」になりますよう、演奏に向き合いたいと思います。本日の公演を迎えるにあたり、団員をはじめ、支えてくださるご家族、ご友人、ご来場の皆様方の温かいご支援に、改めて感謝申し上げます。
 

平成26年6月

 6月も今週で半ば、2014年も半年が過ぎようとしています。東京は梅雨入りで、豪雨もあったとか。
 5月17日(日)新宿文化センター大ホールでの、「NAOコーラスグループ第17回演奏会」も盛況の内に終演しました。今回は古典派の代表的な2人の作曲家の作品に取り組み、合唱団員は幾多の課題を乗り越え、本番では最善の演奏が出来たのではないかと自負しています。「むずかしい歌詞を感情こめて熱唱していた団員の努力に感激しました」「オケ、コーラス、ソロとも最高のバランス」(アンケートより一部抜粋)。
 その勢いをもってNAOコーラスグループの有志は、5月29日0時30分羽田よりイタリアのプーリア州の州都バーリ近郊のビトント市へと飛び立ちました。到着は現地時間で18時30頃(日本と7時間の時差)、気温は20度前後、石灰質の土地柄のせいか白い建物が目立ちます。中世ヨーロッパの特徴である城壁(現存しているのは、ごく一部)で括られた町らしく、周辺一帯はオリーブの木々に覆われています。
 この演奏旅行中、市内はお祭り真っ盛りとなり、大聖堂での演奏会はそのフィナーレを飾る演奏会でした。初日に町の広場で行われた公式セレモニーでは市長より私たちも紹介され、また、市内の中心部の通りを飾る、イルミネーションの点灯式に立ち会うことも出来ました。
 翌朝から早速マエストロと私たち合唱団との単独練習が2回あり、いつになく緊張した時間を経験しました。また、つい最近のこと、現地オーケストラの団員(女性)の関係者が交通事故に遭遇し亡くなられた、という話がありました。今回の演奏では、その追悼の意も込められていると聞かされました。
 演奏会当日は大勢の観客で教会内はいっぱいでした。ただの一度でも同じ演奏は無いと言い切るマエストロの、炎が風に舞うような自由なモーツァルト「レクイエム」のタクトが振られます。現地の3合唱団との共演で、祭壇内のスペースに100名を超す合唱団員が一丸となってハーモニーを響かせます。
 翌日、町を歩いていると『昨日の演奏会はブラーヴィだった!』と声をかけてくださる現地の人がたくさんいて、ビトントでの演奏会は大変好評だったことを肌で感じることが出来ました。中一日を置いて、アドリア海の濃紺の大海原と青い空に彩られたバーリの、州立大学内の回廊(野外)で同様のコンサートがありました。
会場は立ち見が出るほどの盛況ぶりです。四方を大学の施設で囲われ、頭上には数えられぬ程の燕が飛び交う最中、来賓のスピーチの後、宵にかけての野外演奏が開始されました。私たちの途切れぬ集中力もあってか、演奏しきるやスタンディングオベーションの拍手が沸き起こりました。
 期間中は天候にもめぐまれ、アルベロベッロのトゥルッリやカステル・デル・モンテなどの世界遺産巡り、アルタムーラとバーリ各合唱団との交流会、樹齢のある野生のオリーブ、オレッキエッティ、貴族の館を改装したB&B、トラエッタ、豊富な海産物、プーリア州のD.O.Cワインetc 様々な光景が目に浮かびます。
 合唱を通しての文化交流でしたが、その活動が次第に多次元的に深化していくという実感を得た、演奏旅行となりました。6月7日午後10時20分頃、無事に羽田空港に到着。どうやら外は雨模様です。

 

平成26年7月

 例年より1日遅れて東京地方も「梅雨明け」となりました。
 さて、「ドイツレクイエム」の練習もスタートして1カ月程が経過しました。前回は、モーツァルトとベートーヴェンの作品を取り上げました。今回は更に一つ時代が進み、音楽史的には「ロマン派」へと移行し、その中で「新古典派」と位置づけられるブラームスの作品に取り組みます。
 8月には本番指揮者を迎えて、第1回目の「講習会」を実施しますので楽しみにして下さい。また、同曲の一部をもって、10月12日(日)には足立区合唱祭への出演も予定しています。
 一方、来年3月の第18回の演奏会に向けて、ベートーヴェン作曲「交響曲第九番ニ短調―合唱付き」、大中恩先生の書き下ろし混声合唱組曲「五色桜」の練習も始まりました。若くしてシッラーの詩に共感し構想を練り続けたBeethovenの「第九」の初演が1824年、その頃の江戸(現東京)はといえば「異国船打払令」が出て、いよいよ末期へと時代が動き出します。
 そんな江戸の大名屋敷に由来をおく何十種類もの桜が、明治になっても生き残り「五色桜」として甦り、1912年にはアメリカのポトマック河畔の公園に寄贈されます。そして、時は巡り、発祥の地では消滅した五色の桜は、今日「里帰り桜」として再び脚光を浴び更に歌となり、今回、演奏の機会を得ました。

 

平成26年8月

 猛暑の8月、今年も何とか乗り切って(諸所あるでしょうが)、いよいよ暦は後半へと展開します。
 柴田慎平先生をお迎えしての「学習会」は如何でしたでしょうか。ブラームスの「ドイツレクイエム」の練習に際して、その曲想について「ああでもなく、こうでもなく…」と非常に分かり易く言い当てていらしたのが印象的でした。
 さて、本年秋以降の近藤先生関連の公演情報です。まず、9月28日(日)、午後12時より曳舟文化センターホールにて開演の「第54回墨田区合唱祭」の第1部に<東京ベートーヴェンクライス>の皆様が初出演します。曲目は「つゆのごとくに」他です。
 10月、当団も出演する「第34回 足立区合唱祭」が、12日(日)午後にギャラクシティで開催。そして、23日には「声を育てるエクササイズ」研究生の第11回研究発表会が“ティアラこうとう”の小ホールで午後5時30分よりあります。26名による独唱とアンサンブルの世界、お楽しみに。
 また、足立区で活動中の「歓喜の演 合唱団」<Vol.13>は、2015年1月10日(土)午後2時、西新井文化ホールに「東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団」を迎え、ヴェルディ作曲「レクイエム」を演奏します。それぞれの公演チラシが順次出来上っており、ご参照下さい。
 更に、同年3月28日(土)に同ホールでNAOコーラスグループの「第18回演奏会」があります。演目は、混声合唱組曲「五色桜」とベートーヴェンの『交響曲第9番二短調「合唱付」』です。

 

平成26年9月

 ホームページ上で「お便り」を始めたのは、2005年(平成17年)からです。「もともとは団員の皆様向けに毎月下旬に発信しているお便り」を、高度情報化時代に適応しようと模様替えしたのが始まりです。
 今更ながらアップしたものを見ると、一つ一つの公演をつくり上げるために大きなエネルギーを費やしているのが分かります。また、天候や交通などに見られる、不確定要素に左右されることも痛感します。
 特に2011年(平成23年)は激動の年だった事が思い起こされます。東日本大震災の余波で計画停電が実施され、一部の公共会場の使用が許可されないという状況に追い込まれました。そんな修羅場のなかでも合唱活動が継続出来たのは、参加団員の沈着冷静な行動と情熱のお陰だと感謝しています。
 当団では「個人情報保護」の観点から名簿を配布していません。あの大震災の際はどうしたのでしょうか。まずは、練習の有無や安否の確認など、意思の疎通をはかる必要がありました。そこで、練習時にお手伝いいただいている目ぼしい方々に、「連絡つくでしょうか」と打診しました。
 意外だったのは「あの人だったら、私、確認とれる」そうした会話が次第に広がりをみせたことにあります。結果的には個々の人のつながりによって、全員に連絡が行き届きました。普段の練習から仲間の輪がつくり出されていたのでした。まさしく、コーラスでのハーモニーづくりの本質に触れたような気がしました。

 

平成26年10月

 この秋はコンサートのラッシュでした。
 まず、9月28日、曳舟文化センターホールで行われた「第54回墨田区合唱祭」に、東京ベートーヴェンクライスの皆さんが初参加しました。歴史のある合唱団の中に入って、産声を上げた感じがしました。
演奏曲目の「芭蕉布」及び合唱組曲「二度とない人生だから」から「つゆのごとくに」を暗譜で歌い切ったのは随分と勇気のいることだったと思います。
 10月12日にはギャラクシティ西新井文化ホールで、足立区合唱連盟主催の「第34回合唱祭」に出演しました。恒例の事ですが、ブロックごとの出演団体による「交換メッセージ」でエールを交わしています。
 7団体の担当の方々からメッセージを頂きました。曲目はブラームスの「ドイツレクイエム」(抜粋)です。
「全体的に流れるような感じがとても良いと思います。曲が始まってからワンフレーズ歌い終るまでの部分の指揮がすばらしい」「よく響いていて聴いていて心地良かった」など多数お褒めの言葉を頂いています。
 10月23日、「声を育てるエクササイズ」の研究生による「第11回 研究発表会」を開催しました。朝方から雨模様でしたが、「ティアラこうとう」の小ホールに100名弱のお客様がいらっしゃいました。今回も色々と葛藤?を持ちこみながら舞台をこなしました。呼吸法の先生方もお見えになって、本当に客席の皆さまの温かなエールには頭が下がる思いです。
 舞台は、その時の全てが現われてしまう恐ろしさがあります。悲喜交々のなかで、オンリーワンの演奏は過ぎていくのですが、過信せず、かといって卑小せず、日頃の練習の大切さを思い起こす必要があります。

 

平成26年11月

 今秋は都会でも寒暖の差が大きいせいか、さくらや花水木、イチョウなどの紅葉が色鮮やかに見えます。そうした陽気のせいでしょうか、最近マスク姿の人を多く見かけます。合唱にとって「声」は命です。「息」も大きく関与しています。気管上のトラブルは絶対避けたいところです。
 ところが、忙しくなってくると、つい乾燥した場所に身を任せっぱなしだったりします。そんな折は、両手を合わせて鼻と口を包み込むようにして覆い、少し湿り気のある呼吸をするだけでも落ち着きます。普段から、うがいなどの心がけが大切だと思います。
 さて、皆さんご存じの「歓喜の演Vol.13合唱団」が、15か月の練習期間を経て、2015年1月10日(土)にギャラクシティ西新井文化ホールにてヴェルディ作曲「レクイエム」を公演します。とても楽しみです。
 そして同会場でのNAOコーラスグループの第18回の演奏会のチラシも出来上がりました。ホームページでも見ることが出来ます。足立区内の公共施設にも配布されますので、大いにPRしていきましょう。 

 

平成26年12月

 明けましておめでとうございます。
 今年の干支は「未(ひつじ)」、戦後70年の節目で、あの阪神・淡路大震災から20年が経ちました。ところで、早々から年賀ハガキの切手部分のデザインに話題が集まりました。前回(2003年)は、羊が編み物をしている絵柄でした。今回は(羊が)編み棒2本を片手に真新しい?マフラー着用の姿です。
 切手柄だけを見れば、多くの人に暦を感じさせそうです。当グループでも、その年の6月に確かグノー「聖チェチェーリアミサ」及びモーツァルト「ミサ・ブレヴィスK.275」の演奏をしました。12年後の今年は、3月に第18回(ベートーヴェン「第九」及び大中 恩「混声合唱組曲『五色桜』」)、9月に第19回(ブラームス「ドイツレクイエム」)の公演があります。
 手を変え品を変え、管弦楽付き合唱作品の演奏を継続している暦が、出来ているのかも知れませんね。周囲を見れば相も変わらずワイワイガヤガヤと騒々しい毎日です。新年早々、何やら楽しげな息が入って、鼻歌の一つでも♪出てきたらと思います。
 本年もどうぞ、よろしくお願いします。

 

平成27年1月

 「乙未(きのとひつじ)」、本年もよろしくお願いします。
 昨年の暮れから、インフルエンザが猛威を奮い、コンサート関係者は随分と神経を尖らせたのではないかとお察しします。もちろん、他人事ではありません。
 足立区の「歓喜の演Vol.13合唱団」は15か月もの練習期間を経て、ようやく2015年1月10日、ヴェルディ作曲「レクイエム」の公演を果たすことが出来ました。
 この模様については、ギャラクシティのFacebook(https://www.facebook.com/www.galaxcity.jp)で、見る事ができます(当HPでもマエストロとの貴重なスナップ写真をアップしました)。指導と演奏指揮の息のあった関わりがなければ、このような評価を得る事が出来なかったと確信しています。
 さて、朝晩の冷え込みに心身もガチガチになりますが、近所の五色桜の並木を通ると赤味がかった芽が、それぞれの木肌にツンと尖っています。思わず「江戸の大名屋敷に生れし桜…」の旋律に和むや、チッチチッチ(練習練習)とメジロが枝々を縫うように飛び去りました。
 NAOコーラスグループも3月に上記と同じ舞台で演奏(チラシを参照)します。崇高なベートーヴェンの「第九」の精神と「五色桜」の理想郷を、呼吸と「声」の絶妙なバランスで奏でるハーモニーでもって、楽しんでいただければと日々祈念しています。

 

平成27年2月

 立春(満月)の翌日は都心でも大雪との予報、渋谷にいましたが霙(みぞれ)交じりの雨で済みました。
夜空には8000年に一度という緑色したラヴジョイ彗星(C/2014 Q2)が現われ、肉眼でも見えると話題になっており、2月位までは星座で位置を確認しながら双眼鏡にて観測出来そうとのこと。
 14日、柴田慎平先生による「ドイツレクイエム」の第3回学習会。バレタインデ―のチョコが男声陣に配られていました(「頑張って」とのエールなのでしょうか)。ソリストも出揃い、楽しみです。
 混声合唱組曲「五色桜」の方も、オーケストラと近藤先生の合せがありました。江戸川女子中学・高等学校の皆さん、佐野先生の的確なご指導のもと、頼もしく感じました。ちょうど、「荒川の五色桜 復活進む」の新聞記事(2月11日付、読売新聞「江東版」朝刊)が掲載されており、臨場感も増してきました。
 「声を育てるエクササイズ」第12回研究発表会(6月27日)、前回同様「ティアラこうとう小ホール」です。「呼吸」を用いた発声法は「歌」だけでなく、日常生活のなかでも大いに役立てることが出来ます。リラックスもそうですが舞台などの集中力も、実は、ちょっとした息遣いで培われているのです。

 

平成27年3月

 第18回演奏会当日、東京の染井吉野も満開間近で、お花見日和となりました。
 ギャラクシティ西新井文化ホールの舞台には随分と出演していますが、単独の公演は今回が初めてです。またベートーヴェンの「第九」も足立区内では久しぶりだとか、また一般の合唱団と中高生オーケストラとの共演も珍しいようです。しかも混声合唱組曲「五色桜」のオーケストラ版の演奏が世界初演(会場CDに記録済)で、本当に話題が豊富な公演となりました(もっとも、区の広報やマスコミに取り上げられることはありませんでしたが)。
 とはいえ大勢のお客様(1階及び2階通路より手前は、ほぼ満席)に御越し頂き、割れんばかりの拍手に包まれたのは演奏者冥利に尽きます。また、作曲者の大中 恩先生も世界初演の本番に駆けつけて下さり、演奏直後に客席でのご紹介とさせていただきました。
 公演後のアンケートでは、オーケストラへの称賛が多数ありました、「学生とは思えない力を感じました」「江戸川女子中・高の演奏が立派でした」など、指導の佐野直樹先生をはじめ、同校の日頃の活動が素直に演奏に表れたものと深く感銘しました。
 「すべての人々は兄弟になる」、「友情と平和のしるしに桜(はな)を」とそれぞれを演奏し切るには、エネルギッシュな心身が要求されます。そのためには、それ相応の呼吸の深さを備えている必要があります。指揮者のタクトから作りだされる一体感のある音楽も、普段からの演奏者の土台があってこそ可能です。
 「幅広い年代との合唱、演奏ですばらしかったです」、何より世界初演もあった演奏会を無事やり遂げた充実感は、皆様と共有出来たのではないかと思います。

 

平成27年4月

 米山文明先生からの当団へのメッセージは、とても勇気づけられるものです。皆さまへの「お便り」でも抜粋し紹介させて頂きましたが、「呼吸」と「声」の核心部分は、時空を超え迫り来るものがあります。

「少しずつの進歩は目立ちにくく、地味なもので、自分自身では中々確認し難いと思いますが、大きな発展はその僅かな進歩の積み重ねが行われて始めて生まれるものです。
現代最高のソプラノE.グルベローヴァが自身で語っておりますが、彼女のウィーンオペラのデビュー曲『ナクソス島のアリアドネ』(R. シュトラウス)の終末に歌われる超難曲〝ツェルビネッタのアリア〟(3点Fis)でカール・ベームのオーディションを受ける前に7年間毎日同じところを練習していたそうです。その忍耐と努力の積み重ねがあってはじめてあの大歌手が生れたのだと思います」
【2012年5月】
「歌唱の恒常部分でも、音の変動(高さ、強さ)を一定に維持するためには“息のささえ”が必須なのは当然です。皆様の歌唱の向上は呼吸の扱いかたの向上と共に歩んでゆくと言ってもよいでしょう。
名歌手クリスト・ルードヴィヒが日本で最後の公開レッスンで述べた『歌がうまくなるために最も大切なことは努力と忍耐です』というのは金言です。末梢のこまかい発声技術の巧拙よりも、一人ひとりの体全体で作る音、つまり体壁振動をうまく利用して、息から声に効率よく結びつけてつくる声の根幹部分の音(通奏低音?)を持たないとコーラス全員の声の集合音は不安定になってしまいます」
【2013年2月】
「日頃練習し、学んでいることがとっさの場合、頭で考えてから行動するのではなく、瞬間的、反射的に対応できるようになってはじめて、自分自身の身についたということです。それには長い時間と経験のつみ重ねが必要です」
【2014年1月】


 
平成27年5月

 「呼吸法による 声を育てるエクササイズ 第12回研究発表会」を、2015年6月25日(木)の午後5時30分(開場5時10分)より「ティアラこうとう 小ホール」で開催します。
 今回も独唱に15名の研究生が臨みます。また、アンサンブルにも12名の皆さんがチャレンジします。
 第1回研究発表会は2007年4月28日でした。当時は、個々の「本来持っている声」を息から育み、歌にまで結びつける試みは勇気のいる事でした。研究生たちは客席50人程の会場で果敢に実践しました。
 「会場のお客様から大きな拍手をいただけたのは何よりの成果ではなかったかと思います。私にとっても、今回の研究生たちが発表会に向って様々な力をどんどん発揮していく姿に感動し、さらにホームグランドであるコーラスの中で、より生き生きと今まで以上にアンサンブルを楽しんでいる、成長ぶりを拝見するのは予想以上の大きな収穫だったと感じています」終演後の主催者のコメントです。
 その方針は今も変わらず、私たちのエクササイズでは、『Atem-Tonus-Ton』のメトードを活用しています。「呼吸(Atem)からどのようにして音(Ton)に導くか、呼吸と発声を結ぶその道程がトーヌス(Tonus)」で、「身体の緊張する部位と弛緩する部位のバランスを作って、良い発声を可能とする状態を作っていく(「米山文明 呼吸と発声研究所」より)ことを目的としています。
 2011年に急逝されたMaria Höller Zangenfeind(マリア・ヘラ―氏)と共同で長年研究に携わって来られた音声医学博士 米山文明先生が、この3月にご逝去されました。慎んでご冥福をお祈り申し上げます。

 
平成27年6月

 ブラームス作曲「ドイツレクイエム」も本公演に向けて佳境に入りましたが、昨年10月に足立区合唱祭で同作品の4曲目を演奏しました。また、本年の新宿区合唱祭で3曲目を演奏する機会に恵まれました。
 「die in deinem Hause wohnen」(あなたの家に住む)という天上の世界を賞賛しつつも、その手前には「daß ein Ende mit mir haben muß」(わが終わり)の絶対有限があります。この、人の世の終焉にどう向き合うかが今回の演奏のテーマでした。
 非常に卓越した心境にならないと、なかなか歌詞が入って来ないといった反面、コーラスのフーガでは、「Der Gerechten Seelen sind in Gottes Hand, und keine Qual rühret sie an.(正しい者の魂は神の御手にあって、いかなる苦しみも、それには触れ得ない)」という聖書の言葉が力強く繰り返されます。
 指揮者とのテンポが共有できないと、とても歌いきることの出来ない難所なので、暗譜に近い所まで向上させる必要があります。5月の春合宿でも、随分と労苦があったところです。今回はピアノの連弾で演奏に臨みました。子音の発声など言葉をもっと明瞭にとの課題もありましたが、難所は越えられたようです。
 さて、今後は7月に足立区の「海の日ジョイントコンサート」、8月の「合唱交歓 試演会」と続きます。9月の本番では字幕も用意され、啓示の込められた聖書の言葉にブラームスの心血注いだ音楽が、私たちの演奏によって甦ります。それを何処までお客様にお届け出来るか、これからが正念場です。頑張りましょう。

 

平成27年7月

 この6月25日に“ティアラこうとう 小ホール”で「呼吸法による 声を育てるエクササイズ」<第12回研究発表会>を開催しました。プログラムに掲載した挨拶文の一部を紹介します。

 去る3月31日、恩師である米山文明先生が90年の生涯を閉じられ、他界されました。先生は声を使うあらゆるジャンルの方々に信頼され、医師として演者を支えてこられました。日本声楽発声学会では12年間にわたり理事長として、日本の声楽家と声楽研究者、耳鼻咽喉科医を包括する研究を導き、その間にも多くのテレビ出演、音楽、医学雑誌、理論書、著作物、ビデオ制作など、精力的な執筆活動も続けておられました。
 故マリア・ヘッラー先生のAtem-Tonus-Ton(心と身体と呼吸のバランス)との出会いにより確信されたメトードの研究と科学的な証明は、先生が60年来暖めてこられた重要な研究と普及活動であります。
 今日はATTの研究生たちの晴れの発表会。レッスンでは私のサポートも少々ありますが、舞台では独り立ちです。自分を信じて、自分の内側と会話し、ホールの空間と一体になり、歌の思いをお客様に届けます。自ら行動を起こした人だけが体験できる素晴らしい時間です。感謝と喜びをもってお客様と一緒に過ごせますことを願っております。
 これからも米山先生、マリア先生の数々のお言葉を肝に銘じ、ゆっくりでも休むことなく歩み続けてまいります。そして私達を応援してくださるご来場の皆様に深謝申し上げます。
 

平成27年8月

 1986年の夏、私の留学生活が始まりました。ドイツは未だ東西に分断されており、激動の時代の最中にありました。留学先のハンブルクはドイツの北に位置し、この年の冬は零下15度~20度と、エルベ川の支流を堰き止め造られたアルスター湖も厚く凍結し、氷上ではクリスマスマーケットが立つ程でした。
 ただし毎年ではなく周期的で私の滞在中はたった1度の体験でした。近年は世界的に温暖化の傾向があり、湖も凍ることが珍しいようです。帰国後、何度かハンブルクを訪れましたが、いつ行っても懐かしい風景がしっかり残っており、大都市なのに緑の多い、何とも落ち着く場所です。
 そうです、ここはヨハネス・ブラームスの故郷です。留学当時ぶらりと立ち寄った記念館は、とても印象深く、まるでまだ彼が住んでいるかのような雰囲気でした。実際、建物の半分は音楽教室として使われていました。ご高齢のレディ3人が管理しているらしく、中庭でティタイム中でした。展示してあるグランドピアノを眺めていると、「弾いても結構よ、ブラームスも弾いたピアノですよ」と勧められたのには驚きました。
 NAOコーラスグループの演奏会のチラシに見る、両頬が濃いグレーの顎鬚に覆われた、一見厳めしいブラームスの肖像とは対照的に、「ドイツレクイエム」に取りかかっている30代半ばの彼の写真は、颯爽とした理知的なイケメンです。一生独身を通したブラームス。その人物像は無愛想とか皮肉屋とかの評もあるようですが、64年の生涯の幕を閉じた時、その葬儀には音楽関係者は元より、多くの人々が故人を偲んだとあります。亡骸はベートーヴェンやシューベルトの眠るウイーンの中央墓地に埋葬されています。
 人間味溢れるブラームスのこの傑作を、合唱、オーケストラ、ソリスト、指揮者が総力を挙げ演奏できる喜びを感じずには居られません。いよいよ本番です!

 

平成27年9月

 2015年9月27日(日)午後2時30分より、新宿文化センター大ホールにて「第19回NAOコーラスグループ」の演奏会が開催されました。早朝よりぐずつき気味の天気で、今演奏会チラシの背景にあるハンブルクの空模様を想い起しました。
「全曲通し素晴らしい!」
「とても整った合唱でした。心に入ってきました」
「字幕の配慮もされてて好感をもちました」
「良く頑張られ素晴しい演奏会でした。長い曲をまとめられ感動致しました」
「ブラームスの曲はなかなか聴けず、今回きけてよかった」
「ブラームスの音の豊かさを感じました」
「NAOコーラス、やわらかく心地良かった」 ……終演後のアンケート、感謝です。
 当日のプログラムより一部を抜粋し、御礼の言葉とさせていただきます。
 『悲しむ者は幸せである、その人は慰められるであろうから』『主に会って死する者は幸せである』と語る『ドイツレクイエム』の歌詞に接すると、米山先生と、もう一人の恩師故マリア先生がいつも傍にいらっしゃるような気がします。この作品には、そうした生きる者への力を与えてくれる何かを感じます。きっと団員の一人ひとり、またお客様にも同じように大切な人との深い思い出が、蘇って来ることではないでしょうか。
 私の全幅の信頼を寄せる演奏者と、また演奏者を大切に思ってくださっている多くのお客様と共に、今日この時間を過ごせますことを大変幸せに思います。本日の演奏を恩師 米山文明先生に捧げます。
 

平成27年10月

 <近藤直子インフォメーション>のホームページで、現在アップされているトピックスを少し補足します。10月2~3日にかけて、「声を育てるエクササイズ」の研究生有志による合宿を山梨県の小淵沢で行いました。八ヶ岳や南アルプスを望む標高881メートルの地点です。宿は駅から少し離れた、車で約8分の山間にあります。ご夫婦で営まれる漆喰の白壁のペンションで、天然木の床材のダイニングにはグランドピアノが置かれ、吹き抜けの天井に向って桧が一本聳えているのにはびっくり。朝夕の食事も豊富で、季節に富んだメニューに舌鼓です。
 「声を育てるエクササイズ」の特長は、心身の調和をはかりながらそれを声に反映させる呼吸のプロセスにあります。音楽的には歌唱への取り組みにニーズがあるようです。ただし、対象が生身の心身なのでリアルタイムのエクササイズが主体となります。唯一そこでの人の存在に染み込んだ経験こそが財産として活用されるわけです。
 2日目の午前は個別的なアンサンブルで、演奏&鑑賞に分かれて、表現の深みへとチャレンジしました。午後は、八ヶ岳南麓の清里高原へと出向き、今合宿の余韻を楽しみました。
 10月23日には、「中華街―元町散策と夕食会」の企画を実施しました。「ドイツレクイエム」の打ち上げで、バリトンのジョンハオさんに中華街のお勧めのお店を尋ねたことが発端です。今回は現地ガイドさんをお願いし、元町や関内の歴史、「JR石川町駅」の由来、また中華街の門の数(5か所ではない)など、幕末の黒船にまで遡りながら、約90分の行程での散策となりました。  
 そして極めつけは、何といっても老舗の中華料理店での夕食会。お勧めのメニューから「廿香化焼肉」「菜香脆皮鴨」(秘伝のタレ絶賛)「白灼猪肝」など、広東料理を十二分に堪能しました。

 

平成27年11月

 「ドイツレクイエム」の本番後の翌週、10月2~3日にかけて「声を育てるエクササイズ」の研究生有志による合宿を行い、同月中旬から、いよいよNAOコーラスグループの20回公演に向けて練習が始まりました。そして同月23日、有志による「中華街―元町散策」を実施し、夕食会にはバリトンのジョンハオさんとご一緒しました。
 11月3日、足立区内で文化芸術活動を続けている「歓喜の演」のVol.14の「狂言」の公演があり、その表方を務めました。また、同月22日、郡愛子先生の「40周年記念リサイタル」が東京芸術劇場のコンサートホールであり、「イタリア歌曲」のクラスの有志などで鑑賞。
 12月1日、足立区で活動する音楽集団「ブリランテ」の公演に、賛助出演。Christmasにちなんだ曲やヘンデル「ハレルヤコーラス」などを演奏。テナーの宮里直樹氏と夢の共演が叶い、当団としても有意義な時間を過ごせたかと思います。多忙な中、2、3回でしたがブリランテのメンバー、ピアニスト高関 麗氏との合せが出来て、当日の演奏に結実しました。
 そういう訳で、シューベルトの「ミサ曲5番」もこれから本格的な練習に入ります。一先ずは、年内は落ち着いてシューベルトに取り組みます。若干31歳という生涯ながら、ドイツ・リートをはじめ数多くの作品は今なお燦然と輝き、世界中で演奏されており、愛好家も多いと聞きます。今後、合宿、試演会、地域音楽祭などで練習成果を上げながら本番を迎えましょう。
 なお、「歓喜の演」で御一緒だった、脚本・演出家で役者である山下光治先生が11月24日、逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

平成27年12月

 12月26日、午後2時30分より足立区のギャラクシティ西新井文化ホールで、「歓喜の演Vol.14 合唱」のコンサートが開催されました。お天気にも恵まれ、大勢の来場がありました。公演も好評裏のうちに終了出来ました。下記は当日のプログラムの挨拶文(抜粋)です。

 インターネット、スマホ、ライン、私たちの生活は便利なものが日常化しています。そう考えると狂言の稽古も合唱の練習もなんと不便なことでしょう。全員で同じ時間に稽古場に集まり、毎回同じ様な練習を反復し、不経済この上ないように見えます。なのになぜ、人はここに集うのでしょうか?
 握手をした手から相手の気持ちが伝わるように、声を、音を肌で感じることを知っているからでしょう。そう、テレビを通じて世界各国どんな場所も見ることができますが、その場に実際に立つこととは全く別の次元です。その別次元の感触を私たちは練習の度に味わっているのです。
 どんな時代になっても忘れることのできない人間の大切な感覚を、これからの時代にも繋げていきたいと思います。
 舞台と客席とが一体となる今この時だけの時間と空間の贅沢を全身で味わっていただければ幸いです。

 来年もどうぞ、よろしくお願いします。良いお年を!
 

平成28年1月

 暖冬から一変して、厳しい寒さに戸惑うこの頃ですが、本年もどうぞよろしくお願いします。
 平成28年の干支は丙申(ひのえさる)とか。60の廻りで換算すると、前回は昭和31年(1956年)になります。遡れば、「もはや戦後ではない」が流行語になり、その年の12月18日には、国際連合の80番目の加盟国となりました。
 クラシック界では、ザルツブルク出身のヘルベルト・フォン・カラヤンが、前年のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督・常任指揮者の指名に続いて、ウィーン国立歌劇場の芸術監督に就任するという時代の趨勢を見ることが出来ます。
 また「♪新しい朝が来た~」と今でも馴染みの「ラジオ体操の歌」(藤浦洸作詞・藤山一郎作曲)の3代目の作品が発表されたのもこの年でした。ちなみに、2代目は昭和26年の発表で「大中 恩作曲」とあります。
 テレビ放送の開始は昭和28年です。暫くは街頭テレビが主流でした。お米が10キログラム700円未満と言われた頃にテレビ受像機は20万円前後と、まさに高嶺の花です。この年から一部の局でカラーテレビの実験放送が始まり、4年後(昭和35年)に実用化されます。
 南半球で初めての夏季オリンピック(第16回)がメルボルンで開催されたのは、1956年のことでした。世界情勢が混沌としていたために、ボイコットなど波乱含みの大会となりました。今年は、オリンピックイヤ―に当たり、8月にリオデジャネイロで迎えます。
 果たして大変な時代に直面していますが、人類の叡知が勝る事を願ってやみません。
 

平成28年2月

 随分前のことになりますが、「声を育てるエクササイズ」のレッスンの様子を取材させて欲しいとの要請が、地域のケーブルテレビからありました。やや暫くカメラが回っていました。後日、放映の知らせの電話があり、その際映像で紹介するのは難しいことが分かりましたとのコメントをいただきました。実際、数分程度の放映だったと記憶しています。
 また、7年前に「『声を育てる』エクササイズ」というタイトルの書籍を出版しました。受講者をサポートする視点で書かれたものです。最大の難関は、このエクササイズの本質が、呼吸、声にあり、それを実践する人の内面がテーマになった点です。
 映像でも、活字でも、何かを伝えるためには表現のように外に表す行為が必要で、その現象で客観的に捉えることが可能になります。しかし個人の内面となると、そうはいきません。例えば、喜怒哀楽の様な心理的なものであれば、自らの同様の動きから察して理解や共感が持てます。
 しかし、呼吸や声のエクササイズを実践してもらい、その瞬間に起こる感覚そのものを、傍で言い当てるのは容易ではありません。「坐骨の感じが分かりますか」という指導に対して、大方は「分かります」と表現します。ただし、どの程度の感じ方なのか、それだけでは分かりません。
 その後に「坐骨を感じながら、声を出してみましょう」と試します。この場合、声を出す意識が強いほどに、喉の筋肉にもっていかれてしまう傾向があります。目的となる全身を用いた響きの音というよりは、喉の近辺だけで発せられた強めの声が聞こえてくることが多いのです。
 コーラスの様に声でハーモニーを作り上げる音楽は、響きがとても重要です。その実践があり、音の共鳴を増幅させ音色が作品に反映されます。従って個々の内面への働きかけは外せません。坐骨など骨格の感覚と頭脳の柔軟さ、心身のつながりによる呼吸と声が音楽を生成するからです。
 

平成28年3月

 桜というと南から北上するイメージがあります。でも、今年は東京の開花が3月21日だったのに比し、四国や九州地方での便りはほとんど聞かれませんでした。
 足立区の江北では「五色桜」の名勝地だった歴史もあって、八重桜が街路樹になっています。ソメイヨシノの満開の時期を過ぎてからが、本格的な見頃を迎えます。例年、河津桜、おかめ桜、寒緋桜、陽光と先行して咲き始める品種を眺めながら、春の到来を待つのも趣があります。
 「五色桜」のルーツは旧荒川の土手に植樹された苗木にあり、そのルーツは江戸時代の上駒込村に居住していた高木孫右衛門へと辿りつきます。ソメイヨシノの染井村もこのエリアでした。17世紀の「明暦の大火」により、大名屋敷が郊外へと移転し、在住の人々との関わりが始まります。染井村では植木栽培をする農家が、大名屋敷の庭木の手入れをするようになり、「植木業」が確立していきます。
 孫右衛門の家系とされる高木家も17~18世紀にはこの地域に在住していた様子です。あの都内の観光スポット、しだれ桜で有名な六義園は、元々は柳沢吉保の下屋敷でした(明治になると財閥の岩崎弥太郎が所有)。実は、孫右衛門の屋敷がこの六義園の前にあったことが判明しています。現在ではマンションが建っているだけで、往時を偲ぶものは見当たりません。埋蔵された文化財が発掘されるに及び、歴史が紐解かれたのでした…乞うご期待!
 

平成28年4月

 連日、熊本の地震のニュースに釘付けになっています。4月14日夜遅くに起きた「震度7」の一報に、思わず5年前に遭遇した「東日本大震災」の記憶が甦りました。その少し前に、東京地方でも揺れがあり、不気味な感じがします。
 「震度7」とは、人が立っていられず、這わないと動けない状態で、建物だと亀裂ひび割れ、地面では地割れがあるとのことです。熊本の場合も一番エネルギーがあるものに遭遇したと思われたのですが、16日未明のマグニチュード7.3の本震には、不意を突かれた感があります。
 その後の余震も震度4~6クラスのものが連続して起きているのですから、居ても立ってもいられない様子かと思います。5年前の記憶では「緊急地震速報」のテロップがテレビで流れる度に、あるいは携帯で同様の知らせを受信する度に、ブルッと身構えていたのを覚えています。

 

平成28年5月

 5月5日(木・祝)に第13回「声を育てるエクササイズ」の研究発表会を開催いたしました。連休中でしたが、大勢の皆さまにおいで頂き、実りのある発表会となりました。途中で歌詞を飛ばしたりとか、今回も個々においては波乱万丈な舞台だったようです。
 ただ、目的としている個々の研究課題の方向性が見えた点は、大きな収穫でした。アンサンブルの皆さんも、「呼吸」と「声」というテーマに真摯に取り組み、聞きあいながら歌うという本質に迫ることが出来たのではないかと思います。下記に当日のプログラムの挨拶文を記しました。

 第13回研究発表会にご来場くださいまして誠に有り難うございます。
 この研究発表会の第1回目は2007年4月28日に50席ほどの音楽堂から始まりました。そのための練習を始めたのは2006年ですので丁度、10年目にあたります。第1回目から出演している第1期生は、当時より10歳、年を重ねているはずなのですが、声は若返るごとく今もなお発展しています。
 決して簡単ではない、継続することの大切さを研究生から身をもって教えられる日々です。これからも喉に負担をかけずに、理にかなったその人らしい声を得ることの出来るAtem -Tonus-Ton(心と身体と呼吸のバランス感覚)のメトードを多くの方に知っていただき、実践していただくために、研究生と共に努力していきたいと思います。

 

平成28年6月

 これまで、あまり気にしていなかったのですが、近藤直子インフォメーションのホームページを随分と沢山の方が利用されていたことが分かりました。このお便りもさることながらやはり、練習のスケジュールはホームページが、信頼がおけるとのお話が複数寄せられました。
 確かに紙ベースだと、変更や訂正があった場合、新しく出し直していました。ところが、前のものを保存されていることがあり、ふとした弾みで訂正前のものを見て、時間や会場を取り違えてしまうケースもあったとお聞きしました。
 現在、ホームページのURLをクリックすると「HTTP 403 エラーMicrosoft Edge はこのページにアクセスできません」等の表示が出てきます。これは、契約していたプロバイダーが吸収合併された際に、きちんとした対応をしなかったため打ち切られてしまったことによります。
 運も悪く、ずっとメールがセキュリティーの面で機能していなかったり、なんと吸収合併した会社がホームページの運営をしてなかったりと、すべてが後手に回っていたような気がします。
 現在ホームページはリニューアル中なので、仮のアドレスに一時移行しています。
http://www.ne.jp/asahi/naoko/information/
こちらの方でご覧になってください。ご不便をおかけし、すみません。

 

平成28年7月

 「海の日ジョイントコンサートVol.16」(足立区合唱連盟主催 足立区共催)が、718日に、ギャラクシティ 西新井文化ホールで実施されました。昼間が「学生の部」、薄暮から「一般の部」の2部構成の公演です。
 こども未来創造館のプラネタリウム、クライミングウォール、大型ネット遊具などの施設利用の方々と相俟って、ホール前は大勢の人で賑わいました。2000部程準備した公演プログラムもほとんどが出払ってしまったそうです。特に「学生の部」では出演の児童・生徒さんの一部も観客となり、一般のお客様と一体となって演奏を楽しまれました。
 後半の「一般の部」は合唱連盟の加盟団体の有志が出演します。演奏曲目は昼間のコンクールの課題曲や馴染みのある作品から、グッと西洋のクラシック調などへと趣が随分と変わります。熱気あふれんばかりの会場は、シックな佇まいとなりました(観客数が課題です)。
 当団ではシューベルト作曲「ミサ曲第5番」より抜粋しての演奏です。合宿でも難関だった「Gloria」のフーガも入っています。演奏直後に何人かのお客様から、大いに楽しめたとの感想を頂きました(演奏する方はそれどころではなかったかも知れませんが)。
 早世したシューベルト、20代後半にかけての作品で、ミサ曲ながらとてもエネルギッシュな感じを受けます。音楽上の高みを目指す試みが隠されているのかも知れません。9月の演奏会に向け、良い刺激となりました。
 なお、ホームページのサーバーの移転が完了しました。関係各位、ありがとうございます。新しいアドレスは、http://naokoinfo.com/です。今後ともご活用、お願い申し上げます。

 

平成28年8月

 残暑になってから、日本列島近海での台風の発生が多くなっているような気がします。
 さて、「声を育てるエクササイズ」を著してから7年の歳月が経ちました。その発行元の出版社も今はもうありません。また、エクササイズの礎である「Atem-Tonus-Ton」(以下ATT)の開発普及に多大な業績を残された、マリア・ヘッラー先生、米山文明先生もご逝去されました。
 その遺志を継いで、「呼吸と発声研究所」では今も多彩な活動を続けておられます。ATTの資格を得た指導に携わる先生方も全国で活躍中と伺っております。近藤直子インフォメーションでは10年前に研究生を募り、その後、研究発表会を定期的に開催し先頃13回を終えました。
 その研究生から最近になって、もし呼吸と声の関わりについて何もして来なかったらとの問いかけを、よく耳にします。自らの足跡を顧みるには、それ相応の歳月が必要で、更に自分と向き合い納得させるだけの境地が開拓されていなければ、素直な気持ちが出てこないと思います。
 ATTには、多分にそのような、自我も含め物事の本質を得んがためのパワーを触発する何かがありそうです。その意味では、もしそれに出会い実践して来なければとの、思いに駆り立てられても不思議はありません。むしろ次のステップに移行するサインが来ているのかも知れません。
 将来の「児童・青少年演劇」を担う有望な人たちに、「ボイストレーニング」の講師として数回の講座を持つ機会に恵まれました。どうなることやら、ちょうど舞台に上がる直前と一緒で、少し座骨でも回して姿勢を整えておこうかなとの心境です(後日談:初回は,大変好評でした?!)。

 

平成28年9月

 東京地方は9月に入り雨模様が続き、中秋の名月を見る機会も逸しました。
NAOコーラスグループの第20回公演の2日前には台風がかすめ、当日の朝も天気予報の傘マークは取れませんでした。
 ほぼ一年かけてシューベルト作曲「ミサ曲第5番変イ長調」の練習をしてきました。直前の管弦楽及びソリストとの合わせでは、音の集合体の中で自らが奏でる歌詞が、リズムやテンポの妙にのって展開する醍醐味を味わうことが出来ました。ただし、当日のGPでもそうでしたが、コーラスのピッチが下がったり、楽譜にしがみ付く姿があったり、ダメだしの度にカウントダウンの時間が割かれます。マイペースや依存癖は禁物で、音楽の中にいて、作品をつくり出す楽しみ(苦しみ?もありますが)に専念することが大事です。
 演奏後の恒例のアンケート紹介ですが、今回は「感動しました」という項目を入れて、皆様のご協力を仰ぎました。お蔭さまで、回答の60パーセントから「感動」の○印を頂くことが出来ました。勿論、「良かった」も多く、私たちの目指す演奏会の姿が実現出来、本当に嬉しいです。
 合唱団の高齢化も進み、家で転倒し怪我をされ、かつ病に倒れ練習はしたものの舞台に上がれなかった団員も何人かいます。さぞ、悔しい思いをされているのではと、胸が痛みます。しかし、この感動を受け取って頂ければ、また練習の場で再会を果たすことが出来るでしょう。
 20回の演奏会、団員の皆さんからのご厚意で、指揮者用の新着スーツのお披露目を果たせました。ありがとうございます。また、感動の音楽を奏でて頂きました東京シンフォニックアンサンブル、ソリストの皆様にも改めて御礼申し上げます。
 直前に疲労で喉を傷めた○○さん、乗り切れて良かったですね(呵々)。さあ、次回に向けて、スタートしましょう。

 

平成28年10月

 第36回足立区合唱祭も盛況のうちに終了しました。25団体、5時間(休憩含)のプログラムで、出演者・観客を合わせると1600人余りの人が西新井文化ホールに行き来しました。昨今、地域の合唱祭で一般客の来場が多いのは稀のようで、足立区合唱連盟は健闘していると思います。
 一方、地域では少子高齢化で、まず町会の運動会が出来なくなり、次いで子供会や敬老会の存続が危ぶまれる話も聞きます。地域で活動する合唱団にもこの余波がきており、止む無く解散されるケースが出てくるようになりました。連盟では一早く「海の日ジョイントコンサート」として学生の部を企画し、若い力と共に歩む活動を開拓しており、その需要度は益々増して来ているようです。
 さて、肝心なNAOコーラスグループの演奏ですが、9月に本番があったためか、この合唱祭での出演者は3分の2に留まりました。出演合唱団による交換メッセージが幾つか届いています。
 「人数が多いので重厚さが充分に伝わってきました。感動しました」「心に響く歌声でとても良かったです。声に張りがありすてきでした」「高音と低音のハーモニーがやわらかく流れるようにひびいてきました」「少数の男声でもよく声がひびき、きれいに聞こえ心地良く楽しめました」etc
 演奏曲目は「ラシーヌ賛歌」「Ave verum corpus」の2曲でしたが、第20回演奏会と同様のメッセージを頂くことが出来てホッとしています。
 次回は、2017年の9月にジョン・ラター作曲「レクイエム」ほかの演奏が決まっています。早速、練習が始まりました。複雑なアンサンブルの中にも、美しいハーモニーを存分に楽しめるのではないかと思います。一緒にコーラス出来る方を募集していますので、お声がけをよろしくお願いします。初心者、大歓迎です。全身を用いた効率の良い発声で、良質な音楽をつくりましょう。

 

平成28年11月

 11月9日(水)、東京足立の朝、木枯らしを思わせる突風にあいました。近所の五色桜の並木も週ごとに紅葉の割合を増やし、24日には何とみぞれ交じりの雪にしっとりと濡れるのでした。
本年3月に「五色桜」のルーツが、明治19年の旧荒川下流の一部土手に堤植された78種の里ザクラの苗木にあり、当時の江北村戸長であった清水謙吾を通じて駒込の植木師 高木孫右衛門に辿り着くことを、このお便りの中で記したかと思います。
 「NPO法人五色桜の会」では、上記の経緯を掘り下げようと11月12日に「第8回学習会」を開きました(講師:安藤 寿氏)。会場は竹下桟橋近郊の島嶼会館。学習会の後は昼食をはさんで、孫右衛門が桜を収集した大名屋敷でも最古の一つ旧芝離宮恩賜庭園を、ボランティア・ガイドさんを交えて散策しました。
 江戸湾(現東京湾)の開拓地には、江戸幕府当時の大名庭園跡が幾つか残されています。築地の東京都中央卸売市場の壁に「浴恩園跡」のプレートがあります。松平定信の下屋敷があった所です。明治以後は海軍の用地となり市場内の魚河岸水神神社には「海軍御旗」がありました。
 それに隣接しているのは、やはり湿地帯を埋め立て徳川将軍家の別邸とした場所で、「浜御殿」と呼ばれていました。後に皇室に所管が移り「浜離宮」と改名されます。「芝離宮」も、同様に17世紀の後半には、老中・大久保忠朝が拝領した上屋敷に「楽寿園」として造園されており、明治期に皇室の所管となり大正期の昭和天皇御成婚を記念し、東京市に下賜され今日に至ります。
 いずれも、湾の海水を引き込んだ汐入の池を中心とした回遊式の庭園で、五色桜のルーツとなる各種の桜も植樹されていました。これら桜の枝を収集し保護育成にあたった孫右衛門は、駒込伝中の植木屋から、明治期にかけて園芸界の発展に寄与することになります(乞うご期待)。

 

平成28年12月

 「児童・青少年演劇のための しばいの大学」が本年6月に開講し、ボイストレーニングの講師として招聘され、9月~12月にかけ4回の講座を受け持ちました。7名程の年間受講生及びその都度の参加者に180分のワークで臨みました。
 受講生の中には、学校や保育園などに勤めている方もいます。講座には、劇作講座、戯曲研究、身体、Acting、ソング、ボイス、人形劇と様々なジャンルが組み込まれています。それぞれに、第一線で活躍されている講師陣が揃っているのも特長です。
 その点、私たちのワークは少し異色かもしれません。180分受講しても即に、歌が歌えたり、芝居が出来たり、脚本が書けたりという性質のものではないからです。むしろ、どんな表現形態にも通じるボディ・ワーク、つまり呼吸や発声という当たり前の行為がテーマだからです。
 例えば講座に際して、疲れたら適当に休んでいいですよ、欠伸が出ても失礼とか思わずに求めに応じて下さい、とかの方針を伝えます。そして、自分で足を揉んだり、座骨なる部位のポジションを体験してみたり、2人でペアを組み背中をほぐしたりという一連のエクササイズを実践します。受講者に「?」という感じがあっても不思議はありません。
 このような基本的な心身への働き掛けは、先々ブレスや発声に結びつくのですが、何らかの形で受講者にメッセージする必要があります。心身のリラックスが目的だからです。
 初歩的なエクササイズながら、4回目になると明らかに熟練の度合いが単発の方とは違っていることに気付きます。ブレスの深さがきっかけとなり発声に結びつく心身への働き掛けの方向性が、意識出来るようになるからです。
 このような講座が持てたのは、演劇集団未踏をはじめ関係各位のお蔭です。受講生の皆さんには、ぜひ「児童・青少年演劇のための演劇人」としてご活躍を期待します。

 

平成29年1月

 本年の干支は「丁酉」(ひのと とり)。干支は十干と十二支の組み合わせにより、60年周期で巡ります。従って、前回は1957年、表面に鳳凰の100円銀貨が発行された年です(現在発行の桜の100円玉は白銅貨)。国際連合の80番目の国家として加盟した翌年にあたり、国連安全保障理事会の非常任理事国になりました(任期は2年で、今日まで11回選出は最多とか)。

 さて、「平成」に元号が変わったのは、1989年です。消費税の施行があり、当時の税率は3%でした。インターネットに結びつくネットワークの環境が次第に整備された時期で、ただ一般への普及が加速するのは、10年後の携帯電話のネット接続が可能になってからです。

 21世紀が近づく頃に、NAO(なお)コーラスグループが発足しました。199910月に、東京芸術劇場大ホールでハンス・ヨアヒム・ロッチュ先生を招聘し、ハイドン作曲「天地創造」を演奏したのが最初の公演です(昨年、第20回公演をシューベルト「ミサ曲 第5番」で実施)。

 市民参画型の芸術文化活動プロジェクト、「歓喜の演」が足立区内で発足したのも、その頃です。2001年お披露目公演では、ベートーヴェン「第九」の第4楽章を邦楽と洋楽で演奏するという、画期的な演目もあり、随分と話題になりました。狂言と合唱の“コラボ”は今も続いています。

 2003年に「合唱フォルティッシモー第九をうたうコツ」を著しました。出版とは自分を露にさせます。そのせいかATTの研究も本格化します。2007年、近藤直子インフォメーション企画による「呼吸と声」のエクササイズの第1期生による「研究発表会」を実施(第14期の発表会は、この5月にあります)。その2年後に「声を育てるエクササイズ」を刊行し、読者を得ました。

 そういえば、200514年迄、毎年のように海外演奏旅行に行きました。2017年の本年は、J・ラターの「レクイエム」、シューベルト「ミサ曲第2番 ト長調」ほかを9月に演奏します。

 皆さんと共に健康に留意しつつ、音楽づくりに励みます。本年もよろしくお願いします。

 

平成29年2月

 トピックスでは、「あだちアートリンクカフェ公開講座」(公益財団法人足立区生涯学習振興公社主催)の当日の様子をアップしています。「呼吸を感じて豊かな『声』を実感しましょう」との題でチラシや公社ニュース「ときめき」にも掲載され、区内外で多数の方の来場がありました。
 後日、公開講座の「アンケート感想」を頂きました。「体全体を動かして、声を出すことに大事なことをつくづく感じました」「息の流れを感じることができました」などアンケートの多くには、「感じる」や「楽しかった」という文字が見られ嬉しく思いました。
 エクササイズの教室に初めて参加される際によく見られるのは、ご自身の心身の状態を、知識や情報に置き換えてしまうことです。例えばご自身の手で自らの足全体を満遍なくさすっていただき、どんな感じかですかと尋ねます。そうすると、妙に緊張した面持ちで大腿骨はどうで、足の部分はこうでと骨格を説明されたりします。むしろ手足が温かくなったとか脚が伸びたような気がするとか、感じたことを伝えて欲しかったのですが、実際は思考の産物のような言葉が発せられます。 
 「笑いながら、あっという間のひとときでした。心も身体もリラックスでき、解放されました」、「一日の仕事を終え参加できました。自身の身体に感謝しながら、呼吸の自由さを感じていました」アンケートを見て世の中、少し変わってきたのかなと感じました。
 「身体と声の関係がなかなか感じられなかった」「足まで意識するのがとても難しい」「ドレミの歌など実践は難しいですね」確かに心身と「声」を結びつけるためには、頭の天辺から足底までが繋がった呼吸によって、「音」へと結びつける意識的な行為が必要です。そのためには、チャンスを沢山得る事が得策かと思います。
 「呼吸と体の関係が全く今まで意識したことはなかったけど、声が良く出たと思います」「具体的な練習法を教えていただけたのでとても良かったです。今後部活動に活かしていきたいと思います」「1年に1回でなく、数回お願いできたらと思います」是非、また、お会いしましょう。

 

平成29年3月

 「歓喜の演Vol.15」の公演が3月20日(祝)ギャラクシティ西新井文化ホール(900席)でありました。曲目はモーツァルトの交響曲「ジュピター」と未完成の「レクイエム」です。一公演限定の一般公募の合唱団で、元々がベートーヴェンの「第九」からスタートしています。オーケストラ付きクラシック系の演目が多いのも特徴です。
 コーラス活動は初めてという参加者も回を重ねる毎にリピーターとなり、地域的なコミュニケーションも加味されて、毎回の練習に一体感が生まれます。一方、本番が近づくにつれ喫緊の課題が見えてきます。その多くは発声に関わるものです。
 例えば暗譜にまで漕ぎ着けたとしても、歌声を重ね合わせたり、揃えたりする実践面では、ピッチが下がるなどの現象が起こります。常日頃からのボイス・トレーニングの環境を個々に求めるには無理があるので、限られた期間内でどう指導するのかが問われて来ます。
 他方、多忙にもかかわらず、ソリストは本番早くから会場に来て、コンディションを整えています。実際の演奏箇所の多少は関係なく、作品の完熟度を高めるための努力をされています。見えないところでの真摯な姿勢は、合唱団にとって勇気づけられるものです。
 お蔭様で歓喜の演の公演は、ほぼ満席に近い状態になり、また演奏そのものも十二分に堪能出来るレヴェルにあったと思います。届いたアンケートが150通を超え、「拍手の通りです」と公演への称賛が随分とありました。次は半年後のNAOコーラスグループの本番、良い刺激となりました。

 

平成29年4月

 「あだち五色桜マラソン大会」が4月2日(日)荒川江北橋緑地で開催されました。前日の雨天とは異なり、当日は晴れ間の見える、まずまずの陽気となりました。7種目の競技に全国から1000人を超す参加者が集いました。特に一輪車の競技も入った大会は珍しいようです。
 この日は、全国に先駆けて東京の桜が満開になったとニュースになりました。皆さんご存知の「ソメイヨシノ」です。江戸時代の末期から染井村(現在の駒込一帯)にて品種改良され、明治期にかけ全国に植樹されたと伝えられています。
 「五色桜」を冠にした当大会では、桜の品種に対しての関心度は非常に高いものがあります。ソメイヨシノはもとより、早咲きのものからゴールデンウイーク頃まで、順次、花開く多くの桜の品種を見聞しているからです。花びらの数も多いものは100枚を超えるそうです。
 当欄でも、何度となく紹介している、旧南足立郡江北村の戸長であった清水謙吾と染井村の高木孫右衛門との関わり、そして村人たちの献身的な活動により、旧荒川堤には78種、3225本の苗木が植えられ、後々「五色桜」として歴史にその名を刻むことになります。
 その桜は、尾崎行雄東京市長のもとで、遠く太平洋を越えてワシントンD.C.のポットマック河畔に植樹されます。その五色桜も度重なる河川の氾濫からの防御により、荒川放水路が建設されるに及び大半が伐採され、更に公害や戦争などにより次第に衰退の途をたどります。
 今日、荒川北側の土手の一部に植樹されている数百本の桜の若木は区によるもので、昭和27年のアメリカからの「里帰り桜」と繋がる「五色桜」の復活の願いを再び呼び起こします。
 当五色桜マラソン大会は、そのような背景から発足し、来年に向けても活動を始めています。

 

平成29年5月

 「声を育てるエクササイズ」の第14回研究発表会が5月5日(金・祝)タワーホール船堀小ホールで行われました。GWの最中でしたが本当に沢山の皆様の応援を頂き、感謝申し上げます。第1回が2007年4月なので、まさに十年一昔です。
 当初は人前で歌うこと自体に、色々な感情が入り乱れていました。今でも舞台裏では、直前まで歌詞を忘れていないかなど慌ただしいのですが、経験を積んだ分少し間が出来、お客様が出演者を気遣うばかりに固くなってしまっているのではと、妙な気のまわし方をしています。
 テーマは「声を育てる」です。生来持って生まれた顔があるように、<声>も心身の影響を受けつつ、もともと備わっている感があります。不思議なのは、その持って生まれたであろう<声>に、不満を持っている人が結構いることです。
 持前の声に対して他と比較しても仕方のないことと思うのですが、声を良くしたいとの思いが見え隠れしています。「Atem-Tonus-Ton」のメトードを用いてのエクササイズでは、顔や体形のように持って生まれた<声>についても、それをどう育み確信の持てる<声>にまで昇華出来るかをテーマの一つに組み入れています。
 自らの<呼吸>で歌の世界にどこまで肉薄出来るか、舞台上で体現しているのが、私たちの「研究発表会」の特徴です。歌声に多少なりとも何かを感じて頂ければ幸いです。今回、好評のアンサンブルでの「即興」も、持前の声への意識の硬さを解すエクササイズの一貫でした。

 

平成29年6月

 平成29年の夏至、東京地方の日中は雨と強風の天気でした。今年は寒暖の差が激しく、合唱団でも体調を崩されている方が多くいます。健康は侮れません。
 随分前ですが、某オーケストラの方がコーラスの歌声を外で聞き、とてもフレッシュに感じて、いざオケ合わせで対面すると、人生をこよなく過しつつある世代の方が多いことに、とても驚愕したとのエピソードがありました。
 現在、期間限定で「声を育てるエクササイズ 研究発表会」の舞台を、ホームページ上でアップしています。出演者の皆さん衣装も大変凝っていて、とても若々しく見えます。当日お出でになった方が、このスナップを見て、発表会の歌声を頭の中で呼び起こして頂ければ本望ですね。
 さて、肝心なコーラスにとって大切な「歌声」の話です。まずは「呼吸」が頭の天辺から足元へと通っている必要があります。なぜなら、音に反応できる息の感覚をつかむことで、声帯を通過して作られる音源を、様々な音色へと導くことが出来るからです。
 例えば、初見で日本語の歌詞による曲を歌うような場面があったとします。母国語なので言葉の意味は何となくイメージ出来るはずです。あとは曲想にどれ程食い込めるかが、歌い手に課せられた使命です。つまり聞き手に違和感を与えない歌が求められるわけです。
 その際に、音色は大きな手段になります。決して美声でなくても、曲想に適う歌声をつくり出せれば、チャンスが巡ってきます。初見であっても、その音色を導き出し響きがあれば曲想の価値を聞き手に届けられるわけです。病になんか負けていられません、さあ、頑張りましょう。

 

平成29年7月

 7月以来、連日の猛暑に体調を崩された方も多かったのではないかと思います。世界のニュースを見聞きすると地球規模の温暖化が急速に進行しているような気がします。
 さて、昨年以来、病気やケガのお知らせを受けることが頻繁にありました。例えば定期の検診でそれまで何も言われなかったのが、急に小さなポリープが見つかり、再度検査入院の結果、手術になったとの話が多く寄せられています。また、家の中や外出先で転倒し骨折や怪我をしたとの連絡が立て続けに入ったり、血液をサラサラにする薬を飲んでいるために、傷を負い大量に出血されたとの話しも伺っています。
 これまで高齢化社会といえば、長生き出来る社会とやや漠然と受け止めていたように思います。しかし、男女とも平均寿命世界2位の長寿といわれ、改めて周囲を見れば人生観や生活観が相当に変化せざるを得なくなっている状況が見えて来ます。
 以前、役所の方から、ずっと取り組んで来たコーラス活動に対して、これからの世の中に適ったものですねとコメントされたことがありました。当時は定年や育児が終わり、余暇をどう使うかが関心事だったのかも知れません。
 しかし今や、上述のような状況を目の当たりにすると、単に余暇をエンジョイするというよりは、健康や介護という切実な高齢化現象に向き合っていることが分かります。人間の一生をトータルに捉えてビジョンをつくらないとツケがまわってくるのではとの心配に駆られます。
 その意味では、声を育てるエクササイズ、それを応用したコーラスづくり自体は、習熟度の課題があっても、限定的な活動ではなく普遍的で高齢化に対してもブレは少ないと考えます。ご自身への感性を研ぎ澄ます時間を見だすビィジョンが必要です。

 

平成29年8月

 本年は髙田三郎作曲、髙野喜久雄作詩「水のいのち」と接する機会が、たまたま多くありました。
「水」は人間にとってなくてはならない飲みものであり、蒸気になって雨や雪や氷にもなり、生々流転とした現象をつくり出しています。
 収録された2曲目「水たまり」では、「わだちのくぼみ」に溜まる水たまりが人の様子に似ていると歌います。「やがて消え失せていく」ものなのですが、水に溶けた土、つまり泥、その内で人が在るということの深さや言葉が「泥のちぎり」によって営まれます。
 一方で「あの水たまりの にごった水が」実に、「空を うつそうと」します。ただ反射的に空を映しているのではなく、一途に空へ向かう「いのち」の在処を予感させます。「うつした空の 青さ」に「澄もう と苦しむ」人の心があり、「うつした空の 高さのままに」「在ろうと 苦しむ」「小さなこころ」が、「水のいのち」と結びつきます。
 全5曲からなる組曲です。1964年11月が初演なので、ちょうど東京オリンピックの閉会直後にあたります。大々的にキャンペーンを張ったわけでもないのに、楽譜は増刷を重ねたそうで、女声版・男声版にも編曲され、現在でも広く歌われている合唱の名曲です。今なお混沌とする世界に、大海と向き合い「いちずな つばさあるかぎり のぼれ のぼりゆけ」と力強く呼びかけます。

 

平成29年9月

 NAOコーラスグループの第21回演奏会も無事終了しました。祝日にもかかわらず、大勢の方にご来場を頂きまして、心より感謝申し上げます。
 団では初演の現代作曲家J・ラターの「レクイエム」、如何でしたでしょうか。耳に馴染み易い癒し系のメロディーが印象的でした。また不協和音によるハーモニーが随所に見られ、英語の詩篇が葬儀を想起させるかのように挿入されています。オーケストラの編成は小規模ながら、チェロ、フルート、ホルン、オーボエなどソロ演奏に至福の一時を過された方も多かったのではと思います。
 ソプラノ歌手の坂本知亜紀さんから、奥深いコーラスのハーモニーにお褒めの言葉を頂きました。当団の趨勢が前期高齢化の域に入りつつある中、遠出や夜間の外出にも、そう易々と臨めない現実があります。そんな状況下にあって、なお練習の成果が出ているとすれば頼もしい限りです。
 音楽は文字通り音を楽しむ文化であり、合唱団は「声」がそれに適うものと思います。一般的に歌の愉しみは音色に表れます。それ故に、発声はとても大切です。ただ、声はいつも同じ状態とは限りません。嗄れたり、上ずってしまったり、音の高低がつかなくなったりするのが普通です。
 まして、年を重ねるハンデがあり、あるがままでいる分リスクが大きくなるはずです。特に歌声に関しては、働き掛けがどうしても必要です。声帯に負担をかける発声のリスクを回避しなければなりません。「声を育てる」は、まさに長生き(息)の秘訣なのです。
 来年に向けて10月よりラター作曲「マニフィカート」、ヴィヴァルディ「グローリア」の練習が始まります。上述の下地(呼吸)を保ちながら、次回の演奏会に向け健康寿命を伸ばしましょう。

 

平成29年10月

 ちょうど一年前に、駒込伝中の高木孫右衛門の話題を当欄でアップしましたが、大名屋敷あっての江戸時代の植木屋は、明治という時代に直面し、身の振り方を考えざるを得なくなりました。
実際、明治23年に設立された「有限責任横浜植木商会」の歩みを見ると、その時流を読み解くことが出来ます(「横浜植木株式会社100年史」参照)。
 例えば、後年、同商会の「取締役サンフランシスコ支店長」になる「飯島秋三郎」は、慶応元年に植木の産地である安行から横浜村に出て、増徳院(後の外人墓地)の境内で植木屋を始めます。3年後、明治新政府の頃には「横浜植木行事」という「植木業の許認可、外国商館への植木の売り込みを認める」役どころに就任、生業がかつての材木屋から洋種園芸家への転機となったわけです。
 このように、1853年にペリー来航で結ばれた日米修好通商条約により、一小村だった横浜村は開港され外国人の居留地が作られ、世界への扉が開かれます。そして貿易会社のパイオニアとなる「鈴木卵兵衛」の呼び掛けにより、有数の近隣植木屋が「横浜植木商会」の発起人となります。
 100年史では「特筆」事項として「伊藤は染井、高木は伝中、内山は巣鴨というように、東京の三大植木溜の重鎮がすべて参加した」と長老格の存在を紹介しています。この高木とは孫右衛門のことで、その業績についても記述があります。
 「孫右衛門の専門は梅であったが、それよりも桜の培養者として知られるようになり」と桜の名品名鑑「桜花集」で「84種」を世に知らせた功績を取り上げます。また、自らの「保存の桜を荒川堤に植えたことで長く後世にその名を残すことになった」とあり、足立と話しがつながります。乞うご期待!

 

平成29年11月

 コーラスの練習では、喉のあたりの感覚に意識が及ぶようなレッスンを取り入れています。一般に喉と言うとゴホンと咳き込んだり、ものを食べたり、飲み込んだりする行為をイメージしますが、特に大事なのは声の源をつくり出すところでもあるからです。
 ただ、ごく当たり前の働きをしているので、改めて特別なことをする必要はないという生活習慣があったとしても、仕方のないことだと思います。呼吸にしても、飲食にしても、お喋りをしたり歌を口ずさんだりしても、普通に出来てしまうのですから…。
 ところが、ふとしたことから気付かされたりします。いつもの様に話をしようとすると、急に息が上がってきてしまうとか、食べ物が喉に引っ掛かり咳き込むとか、歌になると声がかすれて来るとかなど、大抵は年のせいと受け流してしまうらしいのですが。
 もともと人にとって喉は、口から取り入れた食べ物や飲み物を、消化器官に入れるための身体の一部なわけです。一方で、口や鼻から取り入れた空気を肺に送り込む器官でもあります。この二つの大きな生命維持のための働きでもって、環境に適応しながら生活を営んでいます。
 コーラスでは、喉を「喉頭」という部位として理解するよう求めています。「声帯」もその一部で喉ぼとけは特徴的です。喉頭の開閉でもって呼吸と飲食の機能が可能になります。そして喉頭が閉じれば「声帯」も連動し、これに呼吸の圧をかけ「声」の源がつくられるわけです。
 ところが現代人は知識や情報、経験を頭の中にぎっしり詰め込んだ状態にあり、当たり前のことについては、意外と油断があります。喉についても同様です。それで、「喉頭」と身体のつながりを再認識し、きちんとした理解のもとで歌うために、ATTの実践を取り入れています。

 

平成29年12月

 京都市東山の清水寺で、記された2017年の世相の一字は「北」でした。恐らく、方角を示す漢字は今回が最初だと思います。「今年の漢字」のスタートは「阪神・淡路大震災」の「震」で、23年の間で「金」は3回あるようです。
 「一を聞いて十を知る」という諺がありますが、「一を識りて二を知らず」という例えもあるので、このインターネットの時代、「来た」とばかりに飛びつかぬよう、「情報」には何某の忖度があると心得ておきましょう。
 昨今発表された2015年の都道府県別の「平均寿命」は、女性は「87.67」年の長野県、男性は「81.78」年の滋賀県がトップだそうです。青森県は前回の発表と変わらず47番目でしたが、「85.93」・「78.67」年とあるので、2016年の日本人の平均寿命が世界で2番目であることを考慮しての数字と理解すべきでしょう。"人生50年"からは、随分遠くまで来た感じがします。
 長寿を祝う言葉が身近になってきました。「還暦」「古希」「傘寿」「卒寿」は文字通り節目の賀寿ですが、「緑寿」というのもあるそうです。「ろくじゅ」と読みますが、「喜寿」や「米寿」、「白寿」があるのだから、66歳も忖度して下さいとかで、然る業界が近年呼びかけたそうです。
 当合唱団の中では、「白寿まで歌っていようね」という話を時折耳にします。白寿というのは、百に一を引いた、数えで九十九歳を祝う習わしです。是非とも、当グループでも実現して、その先の百歳のコンサートを目指したいものです。夢は膨らみます、来年も頑張りましょう。

 

平成30年1月

 明けましておめでとうございます。
 今年の干支は「戊戌」。甲骨文字の解釈では「戌」(いぬ)は戦う道具に由来しているそうです。
十干である「戊」(つちのえ)も刃の付いた矛の経緯があるようです。形だけみれば戊に横棒の一を書き込むと戌になり、似た様な感じに見えますが意味はどうなんでしょう。
 年末に足立区の「歓喜の演合唱団」の公演がありました。当団で表方を引き受けて頂いた皆さん、遅れて来場される方の対応など、お世話して頂けたとのこと、ありがとうございます。クラシック公演では地域の合唱祭などと様式が異なるところがあり、お客様との意思の疎通は大切です。
 演奏は、字幕もあって、観客の皆さまとも心を通わせることが出来たようです。特にコーラスのアンサンブルは、お褒めの言葉を多数頂戴しております。オーケストラ、ソリストの卓越した演奏があってのことと感謝申し上げます。土壇場で(指揮を見る)底力を発揮することが出来ました。 
 NAOコーラスも早速、新年の練習が始まりましたが、早くもジョン・ラター「マニフィカート」の課題に直面したのではないでしょうか。心を一つにして演奏に臨まないことには、曲想の神髄に触れることは出来ません。一回一回の練習の場を有意義に過ごしましょう。
 年明け早々に「声を育てるエクササイズ」参加の皆さんとは、1日体験レッスンを実施しました。
意識では何となく分かっている心身も、思う様にいかないことが多くあります。身体の広がりにはリラックスが必要で、一方、歌になると逆なことをしている自分に気付く、納得の一時でした。

 

平成30年2月

 昨年の10月のお便りで、五色桜の話題を取り上げました。荒川堤の桜並木のルーツが、染井の高木孫右衛門(桜の培養者として知られ84種の「桜花集」を著す)にあり、激動の幕末から明治にかけて変遷する植木屋をテーマにしました。
 今度は、「日米友好桜」に着目し、その実現の立役者である尾崎東京市長にスポットを当てます。ところが、教科書に載っていたはずの「憲政の神様」の「尾崎行雄」を今の人は知らない様子で、昭和一桁の世代でも特に印象がないと言う人が少なからずいました。
 東京都名誉都民の第1号、衆議院議員連続25回当選、明治、大正、昭和、戦後の63年に亘り議会政治の歴史の中にいた人物で、その軌跡は近代の日本を知る上でも貴重です。戦後間もない1946年8月の国会で「憲法改正案」に、米寿に近い尾崎咢堂の発言が求められ『立注府の権威を高めよ』との趣旨から、憲法を作ること以上にそれを行う事の難しさに言及しています。 
 日本は未だ焼け跡のなかの食糧難で、しかもGHQ占領下の最中に、女性参政権が認められ戦後初の衆議院議員選挙を経て、国会では大日本帝国憲法の憲法改正に着手していました。まさに混沌とした当時の有様を垣間見ることが出来ます。
 明治23年、第1回衆議院議員総選挙で三重県選挙区に初当選を果たして以来、「日清戦争」「日露戦争」「第一次世界大戦」「太平洋戦争」の激動にあって多くの政党政治の興亡と紆余曲折に向き合ってきた尾崎咢堂の生き様に、今日の私たちが学ぶことは大いにあるのではないでしょうか。
 NPO法人五色桜の会主催の「日米友好桜と尾崎行雄の信念」の講演会は、3月11日、講師に尾崎行雄を祖父にもつ原 不二子氏を招聘し開催されます。
詳細はチラシをご覧ください

 

平成30年3月

 今年の東京のソメイヨシノは平年より9日早く開花しました。紀伊半島の熊野川流域の桜が、国内の野生種としては103年ぶりに新種として確認され、「クマノザクラ」と命名されました。
日本列島、桜の話題が多くなる春を迎えています。
 勿論、かつての五色桜もそうでした。明治期に南足立郡の旧荒川の堤上6㎞弱に、江戸時代の貴重な「78種3225本」の苗木が植樹、育成され、20年ほどの歳月を経て桜並木として見頃を迎えます。いつか「五色桜」と呼ばれ、大勢の花見客が訪れ、随分とニュースになりました。
 その五色桜は、荒川の大水害を防ぐために大規模な分水開削工事により次第に減少します。戦後間もない頃には、識者、地元の人々による樹木保存にもかかわらず、往年の並木を盛り返すまでに至らず衰退してしまいました。
 ただ、1912(明治45)年に五色桜を穂木とした苗木がワシントンD.C.に寄贈、ポトマック河畔に植樹され、五色桜の歴史をつなぐことになります。NPO法人五色桜の会では、尾崎東京市長による「日米桜寄贈」に着目し「日米友好桜と尾崎行雄の信念」の講演会を企画立案し、3月11日、西新井のギャラクシティで実施しました。
 講師には尾崎行雄を祖父にもち、国際会議の同時通訳として活躍されている原 不二子氏を招聘、歴史をつなぐ講演会に大勢の皆様がお出でになり、「憲政の神様」尾崎咢堂の生涯を俯瞰しました。
さて、サンフランシスコ条約を経て、時の区長はワシントンのポトマック河畔に植樹した「日米友好桜」の接ぎ穂を里帰りさせてほしいとの働きかけをしました。1952(昭和27)年に「11種55本」の里帰り桜が実現します。また、1982年にも3000本の桜が里帰りしました。
 現在、足立区では荒川左岸4.4キロに「あだち五色桜の散歩道」を整備し、47種の苗木458本を植樹したとのことです。歳月を掛け育成すれば明治期の五色桜が甦りそうですね。

 

平成30年4月

 3月も押し詰まった平日の夕暮れに、ピアノのある喫茶店「茶居留都」で歌会をエクササイズの研究生+劇団の俳優さん有志とで開催しました。当方からは独唱の研究発表会(5月)を前にして、少しでも人前で歌う機会を増やそうとの試みから多くの参加者が集いました。
 偶然ですが、高名な劇作家の方がお出でになりました。迷惑をも顧みず感想を求めたところ、「長生きしていると、いろんなものに出会うもんだなと感心しました。(中略)上手下手でなくちょうど真ん中あたりのところで歌っているでしょ、だからなのかな、何となく思いが伝わってくるんですね」
 個々のレベルが頭抜けているわけでもないのに、歌い手の思いが聞こえてくるとのコメントには、頷けるものがあります。音大卒業の声楽家の集まりでもなく、ただ納得した歌にしたいとの動機で「心と身体と呼吸のバランス」(ATT)のメトードと取り組み、試行錯誤の日々を送る研究生たちの姿を言い当てているような気がしたからです。
 テーマは、身体全体の各部位のつながりから呼吸の深さを体感し発声に導き、歌にまで応用していくことにあります。ただ、その体感は当事者の内部で起こる現象なので、手掛かりの一つとして声の変化を見ていくわけです。歌うことにばかり気にとられて途中で気持ちが揺らぎ、その場から離れていってしまうケースもあります。
 一方で、自らの歌声の中に微妙な変化を感じとり、歌唱を発展させている方もいらっしゃいます。ある作品から音楽を全身で感じとったものが、自らの声を表すポジションとなります。心地の良い演奏に向けての修練によって、その思いは聞き手の方に伝えられることでしょう。コーラスや独唱の魅力につながる大切な要素です。
4月22日(日)第6回あだち五色桜マラソン大会があります。応援お願いします。
無事終了しました。応援ありがとうございました。

 

平成30年5月

 今年は、大型連休後半初日に「声を育てるエクササイズ」の研究発表会を開催し、100名弱の皆様においで頂きました。あらためて感謝申し上げます。当日は研究生の日頃の取り組みの成果や熱演に惜しみない拍手を戴き、大変な励みとなりました。
 本会の骨格でもある独唱の難しさは、舞台上で作品とどれだけ真摯に向き合えるかにあります。その最初の関門は選曲にあります。諳んじて口ずさめる程の作品であれば、発声に至る心身の過程から細かな表現に仕立て上げていく楽しみも出来るので、本番で大きく崩れることはないでしょう。
 一方で苦手を克服しようと、ちょっと無理をしそうな選曲だった場合には、場数をこなす努力が必要です。それが出来ないと折角のエクササイズも活かしきれず、暗譜の四苦八苦で終わり、舞台の魔物と対峙しかねません。
 月1回のアンサンブルクラスは、参加者の適応力や可能性をみてテーマをつくり発表会に臨みます。今回は即興の要素を多く入れ「早口言葉」のカノンに取り組みました。素材にリズムや音がつき研究生も楽しめたと思います。ハーモニーを聞いていて面白かったと感想が多くありました。
 こうした発表会に向けての実践は、コーラスでは既に活かされているものが多々あります。例えば大勢でハーモニーをつくるためには、各々の声の主張では不均衡になり音楽が崩れてしまいます。発声につながるそれぞれの息を通わせつつ、曲想をつくり出す醍醐味を味わうことが大切です。
 NAOコーラスグループの音色は、今の団員によりつくり出される年輪や地層の様なものです。演奏の機会が増えて来ます。健康には十分注意を払って練習に励んでください。

 

平成30年6月

 一般の方も交えたエクササイズのレッスンで、あらためて気付かされることがありました。呼吸を取り込む幾つかの働きかけを皆さんと一緒にしました。膝は自由にして両肘を左右に広げながら背中を屈めたり、両手を広げながら胸を反らしたりして空気を取り込みます。
 ただし、無理やり空気を吸い込もうという仕草はしません。試しに背中を屈めながら口をすぼめて吸い込む動作をしてみて下さい、むせてしまいますよね。本来、身体を動かせば鼻や口に支障がない限りは、自然に空気は入って来るものです。
 では、上記の動作をしながら声を出してみます。音の高低や音色は問いません。出て来てしまう声で十分です。どうでしょうか。そんな最中でした。「声が出ません」との声がありました。「息を吸っているのだから声が出るはずがないのでは?」との理由からです。
 確かに息を吸い込みながら声を発するのは至難の業です。今の場合は空気を取り入れているだけで、喉を締め付けているわけではありません。声帯はフリーのままです。声を発するためには、声帯に息を送り込む働き掛けが必要です。その仕組みを使えば音は出るはずです。
 その方に少しアドバイスをして、再度、取り組んでいただいたところ、「あー」との発声に結びつきました。「声を出そう」との意識が強く働き過ぎたのでしょうか。心身のリラックスが普通に出来ていれば発声のためのブレスにつながるはずでしたが、解しが不足していたのかもしれません。
 世間ではハイテク社会のために必要以上の緊張を余儀なくされている現実がありそうです。エクササイズでもそのことを念頭に入れて、発声の基礎づくりに取り組もうと思います。

 

平成30年7月

 恒例の7月の「海の日ジョイントコンサート」が、今年は全国的な猛暑のなか、ギャラクシティ西新井文化ホールで開催されました。主催は足立区合唱連盟で近藤直子新理事長のもと、推計では出演者、連盟スタッフ、更に観客との合算で2,000名を越す大事業(足立区共催)となりました。
 折しも西日本をはじめ平成30年7月豪雨で未曽有の災害が発生しました。被災された方々への義援金を募ろうと呼び掛けがあり、役所とも連絡をとり了解を取り付け、前日に理事長が準備された募金箱を、本番当日スタッフが会場内に持ち廻り声掛けをしました。
 公演後、義援金の担当部署である足立区地域のちから推進部 地域調整課管理係において募金箱を開封し金額を確認して頂きました。1,000円札が100枚以上入っており総額は、164,417円でした。区を通し日本赤十字社へ届けられます。皆様のご理解、ご厚情に感謝です。
 また、学生の部(午後12時~14時30分)の「足立区中学校合同合唱団」(11校、250名)による「あすという日が」(山本 瓔子作詞、八木澤 教司作曲)の演奏(2011年の「東日本大震災」の復興祈願の演奏を仙台市立八軒中学校が果たす)の前に、森山先生からの提言もあって会場全体で黙祷を捧げました。
 この日のコンサートは、加盟団体(28団体)の運営費用及びスタッフ動員で児童・学生の演奏の場を提供し、区内の公立や私立の各学校に募集をかけ実施されています。本年は単独演奏で8校、更に東京足立少年少女合唱団ほか私立学校の中・高校生にも参加して頂いています。
 一般の部(午後18時~20時30分)では、結成45年、35年など周年を迎える団体が多く出演されました。それぞれの歴史の思いを感じさせる音色に充実した一時が過ぎました。幸いにも大きな事故や怪我もなく「海の日ジョイントコンサート」は無事終了しました。

 

平成30年8月

 お盆でしたが、東京地方では7月に済ませる所も多くあるため、合間を縫い特別エクササイズを実施しました。10数名の参加があり、まずはリラックスから始め緩みを覚えて頂きました。午後は心身のつながり、特に足底からの緩みを使った息の立ち上がりにトライして頂きました。
 次いでそれを声でもって確かめてもらいます。はた目には普通に発声されているように映ります。
 ただ感想を伺うと、声を出そうとすると喉のあたりに緊張が生じて、スッキリしないなど、ご自身の様子が異口同音に伝えられます。
 一般的に、心身のつながりをもって声にすること自体に、あまり意識が及ばない様子で、声は当たり前に出てくるものとの思いがあります。実際には声には息が必要で、呼気を利用していますが、そのままでは瞬発的です。様々な声の表現を可能にするには全身を使った呼吸が必要になります。
 今回の参加の多くは研究生なので、心身のつながりのアドバイスをするや、それぞれの課題に結び付け、より良い発声への道筋をつけていました。このエクササイズでは人との比較や競争は無く、点数も出ません。一路、自身への働き掛けが成果で、Atem-Tonus-Tonの発声法を目指します。
 勿論、人とのコミュニケーションは可能です。私たちはコーラスを通しそれを実践してきました。音楽との一体感が共通の感性となるからです。声があり、音に結び付け、音楽作品を表現しようという楽しみに触れます。それゆえ、新たな呼吸を用いながら自身への働き掛けを呼び掛けています。
 さて、古くからのコーラスの仲間であり、エクササイズの第1期の研究生でもあった福島千恵子様が、8月14日の夕方に逝去されたとのご一報をお身内の方からいただきました。昨年の手術から入院を繰返し、加療中だったことを私たちは本人から知らされていました。メールなどでも頻繁に連絡を取り合っていたので、突然の訃報に戸惑いました。
 前の週に、お見舞いに伺い、「先生、足からのつながりが、何となくわかるような感じがします」とベッド上で細身の身体を微かに動かし、無表情でしたが声は擦れもせず、「そうよ、頑張るのよ」との声掛けに頷いて頂いたのを思い出しました。「マニフィカートを歌いたい」とも言われていただけに、とても悔しい気持ちになりました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

平成30年9月

 第22回NAO(なお)コーラスグループの演奏会も無事終了しました。いつになく重責から解放されたような気持ちです。本番に向けて、昨年の10月から練習を始めました。残念ながら数名の方が出演出来なくなり、ここ数年の現実が垣間見られます。
 メディアでは高齢化社会到来と生活環境の変化を簡単に表現しますが、生易しいものではありません。ご自身も含め、怪我、病気、入院、介護、訃報…こうした話が尽きず、明日は我が身と心しています。何をするにしても「もう、ダメ」「ここは、頑張ろう」の繰り返しだとも伺いましたが、リラックスの中にも底力が発揮できる合唱団を目指しています。
 今演奏会ではプログラムをコンパクト(評判の良かったチラシのデザインをそのまま使用)にしました。アンケートの返りも30通ほどあり、「感動した」が7割近く占め嬉しくなりました。
 「ウルっとした」「初めて耳にする曲ばかりでしたが、とても優しく時に力強く耳になじむすてきな演奏でした」「うた声がきれいで、シンバルがかっこよくコーラスの声が一つ一つまとまっていた」「パワフルでした。声がとても生き生きとしていました」「ラター『マニフィカート』歌いたいですね」「マエストロ!すてきでした!」「来年もきます」…たくさんのご声援、本当にありがとうございます。
 「マニフィカート」はオーケストラとコーラスの旋律の重なりが少なく、合わせた際の一体感はひとしおです。特に、ラテン系を思わせる各楽器の繰り出すリズム・テンポとコーラスのハーモニーは、お客様の心に届いたようです!日頃の練習の成果が発揮出来てホッとしました。
 次回はやはりリズムに特徴のある「ジャズ・ミサ」を経て、スケールの大きな演奏会に参加します。曲目は、ハイドン作曲「四季」(ドイツ語演奏)です。練習も楽しみです。

 

平成30年10月

 慌ただしい毎日が続いています。9月24日のNAOコーラスグループ第22回演奏会の後、9月30日は東京ベートーヴェンクライスが「第58回墨田区合唱祭」に出演し、日頃の練習の成果を発揮しました。暦が変わり、10月13日に「あだちNPOフェスティバル2018」に「NPO法人五色桜の会」が出展し、庁舎ホールで来年4月に開催の「第7回 あだち五色桜マラソン」をシンガーソングランナー「SUI」(大地穂)さんのミニライブでPRして頂きました。歌では「千住で会おうよ」が地元の北千住の駅前大型ビジョンで放送され、ランナーでは「3時間8分47秒」(Nagoya Women's Marathon 2018)の記録をお持ちです。
 同月14日、足立区合唱連盟(近藤直子理事長)主催の第38回合唱祭にNAOコーラスと「歓喜の演合唱団」が参加、終日、1500余名の行き交うギャラクシティ西新井文化ホールで有意義に過ごしました。10月19日(金)、五色桜の会の「第11回学習会」を「特別養護老人ホームさくらの里ホール」で開催。講師に松本安弘氏、峯ヶ岡八幡神社の禰宜 宮本洋平氏にお願いし、旧南足立郡江北村と地続きでもある鳩ケ谷、川口が、実は「五色桜」の縁でも深く結ばれており当時のことを語って頂きました。関係者の皆様、本当にご苦労様でした。
 11月5日は「東京芸術劇場コンサートホール」で「東日本大震災 大船渡復興支援ベネフィットコンサート」に合唱でNAOコーラスグループ(有志)が参加、12月8日は「歓喜の演合唱団」の「天地創造」(ハイドン作曲)の演奏会がギャラクシティで行われます。
 寒暖の差が大きくなってきましたが、特に喉は電車内、施設の空調などの影響を受けやすいので注意が必要です。備えあれば憂いなしです。日頃の練習の呼吸を上手に使った発声を心掛けて「平成」最後の年の瀬を過しましょう。

 

平成30年12月

 平成最後であろう「歓喜の演合唱団」の演奏会が無事終了しました。前日の準備、当日の手配、表に裏にと関係各位のご協力に感謝します。本当に大変な努力の成果なのです。
合唱連盟加盟団体は30弱程あり、更に区各施設の主催事業などのコーラス活動を含めると大勢の姿が目に浮かびます。そのなかにあって歓喜の演は管弦楽付き作品を毎年演奏し17回目を迎え、市民活動としても地に足のついた感じがします。
 今回「交響曲の父」で、ベートーヴェンが師事しモーツァルトとも親交のあった、F.J.ハイドンの作品「天地創造」は、世界的にも三本の指に入ると言われるほどに屈指のオラトリオで「四季」へと続く晩年の傑作です。
 オーケストラやソリストとの合わせも含めて約11カ月50回弱の練習で10曲を歌い熟すわけですが、合唱が初めてという参加者も多く、ドイツ語にいたっては大半が馴染みのないという本当に形なく混沌としたところから練習が始まります。
 地元合唱団の強みはご近所感覚で練習会場に臨めるという点でしょうか。楽譜の見方や、音程の取り方、表現の仕方など、随分とハードルがありますが、お互いに「頑張ろうね」と声を掛け合い生活の一部になることで、家庭をはじめ周囲の理解にも拍車がかかるようです。
 肝心の演奏会は、900席の中ホールの1・2階に満遍なくお客様が入り、合唱団をはじめ演奏者へ惜しみのない拍手を贈って頂けたのは有難いことだと感じました。一部、鑑賞のマナーなどの環境の改善も含め課題はありましたが、演奏を通して客席と音楽を共有できたことが何よりでした。
 感動は求めに応じて起こるものでもありません。ただ猪突猛進とまではいかなくても、やるべきことを成し遂げるパワーは最後まで持ち通す必要があるようです。そのためにはリラックスとそこから立ちあがる人間の底力を発声にも活かしたいものです。
 時代がまた一つ動くようですが、皆様の御多幸と健康をご祈念して、良いお年を。

 

平成31年1月

 明けましておめでとうございます。
 2019年の干支は「己(つちのと)亥年」。5月1日が祝日になったことから4月27日~5月6日まで10連休だとか。
 NAOコーラスグループでは4月30日にエクササイズ研究生による「第16期 研究発表会」があり、5月の2日、3日には演奏会のリハーサル・本番が入っています。またグループ結成20周年の節目の年廻りで、1月の下旬にささやかなパーティを開催します。
 思い起こせば1990年ドイツから帰国して、郡司 博先生の副指揮者として各地の合唱団で経験を積ませて頂き、助言もあって自らも合唱団を立ち上げ、1999年10月9日、東京芸術劇場でハンス・ヨアヒム・ロッチュ氏を招聘しハイドン作曲「天地創造」を自分の合唱団だけで主催して公演したのが始まりでした。
 本当にたくさんの方々にご指導、ご支援を頂いての出来事だったのですが、お陰様で以来、昨年のジョン・ラター作曲「マニフィカート」ほかの公演まで毎年、管弦楽付き演奏会を開催し20年の歳月が過ぎました。
 気が付けば合唱団員も様変わりし当初からのメンバーは10人をきりました。時代も随分と変化したように思います。それでも呼吸法のエクササイズを取り入れているのは、歌声も含めて新たな意識を呼び起こすには、心身の呼吸を通した脳への働き掛けが大事だからです。
 森羅万象、いろいろなものが分かってくる、そんな音楽活動になったら良いですね。

 

平成31年2月

 早いもので平成最後の年も立春を迎えています。
新年会を兼ねたNAOコーラスグループ20周年のお祝いでは、大輪の胡蝶蘭と記念のワイン、何よりも皆様からの暖かいメッセージカードを頂き、有り難うございます。
 さて、発足以来、取り組んでいるエクササイズでは、どうしても手に入れたい感覚があります。足底から息と共に立ち上がって来る声の感覚です。詳細は「声を育てるエクササイズ」を読んで頂きたいのですが、自身の中で起こす呼吸の革命です。
 例えば、習慣化した姿勢の歪みを改善するためには、大変な労力が必要です。それ相当の紆余曲折があっても不思議はありません。当面の日常的な身体に変化を起こすのですから、時間も必要です。姿勢の変化は当然ながら呼吸の変化でもあります。
 普段は自らの体に合った呼吸を無意識にしています。それに対し発声時では意識的な呼吸を使わなければいけませんが、この意識が余計な筋肉を硬くし、声の邪魔をします。向上心ある人ほど、早く習得したい欲求に筋肉も心も硬くし、「欲張らない」勇気も必要となってきます。
 特に歌唱では音と言葉が合わさり表現となります。心身のバランスも複雑に入り組むために、まずは「考えるより感じること」「リラックス」が大切です。足底から頭まで全身がひとつになった音色は演奏の基本。それによって作品の世界はもっともっと広がることでしょう。
 昨今はインフルエンザの対策など、歌う環境を確保することがそのまま健康的な生活になっています。コーラスのお陰で脳トレも健康管理もバッチリなのでは?!ないでしょうか。

 

平成31年3月

 いよいよ桜のシーズンですね。
 かつて「五色桜」があった旧荒川堤の名残の地に住み、まして地元の桜を保存する会が植樹した桜並木の景観の恩恵をあずかる身には、少しでもその歴史を知る必要があると感じます。本年2~3月にかけて3回シリーズの「平成30年度あだち区民大学塾」が開催され、NPO団体の縁もあり受講しました。「荒川土手に甦った『足立の五色桜』の歴史を学ぶ」がテーマです。
 発端は明治19年の荒川の水害により下流の熊谷堤が損壊したことによります。その堤の補修に合わせ桜の苗の植栽を提唱したのが村の戸長、清水謙吾でした。『昭代樂事』(1891年)には、時の行政に折衝した結果桜の苗の購入費用と植栽の労力を地域一帯の村人が担い、堤上6キロ程にかけ、桜の苗木78種類、3225本を、年月をかけ、植えたとの記録を残しています。
 この里ザクラの苗は駒込の植木屋「梅芳園」の高木孫右衛門から手に入れます。何代かにわたり江戸の面影を強く残した品種改良の里ザクラを収集した植木屋です。荒川堤に植栽された苗木の育成にも3年ほどかけ地元の村人と共に手入れを行ったようです。
 さて清水謙吾の門下生であった舩津静作は五色桜の育成と保存に尽力し、後世に五色桜の歴史をつなぐ役割を果たしました。五色桜の研究にも大きな影響を与えた三好学博士や尾崎東京市長の日米友好桜にも深く関わります。
 NPO法人五色桜の会では、ホームページで今日の五色桜の名残の地の様子を伝えています。
http://goshiki.girlfriend.jp/ に遊びに来て下さい。

 

平成31年4月

 年明けから「平成」そして「令和」へと改元の動向が気になる日本列島でした。
 五色桜の郷では、おかめ桜や河津桜、啓翁桜が咲き出し、雅桜や陽光が続き、染井吉野が開花し、苔清水や白雪、更に、白妙、関山、欝金と八重咲きのものが主流となっていきます。
http://goshiki.girlfriend.jp/ (参照)
 新しい元号の「令和」が発表されたのは、そうした桜の移り変わりの中でした。
 「平成」最後の日の4月30日、ティアラこうとう小ホールで「声を育てるエクサイサイズ」の研究発表会が開催され、あいにくの雨ながら100名を超す皆様にご来場頂きました。
 下記はプログラムの冒頭のご挨拶文です。

――第16回声を育てる研究発表会にご来場いただきまして有難うございます。この研究会は私の師でありますMaria Höller-Zangenfeind女史によって創られたメトードAtem-Tonus-Tonを基にしています。Atemは呼吸、Tonusは程良い筋肉の張力、Tonは音(声)です。この3つは三位一体。柔軟な筋肉の張力と呼吸は常に一体であり声(音)を作ります。さらに呼吸と体は心と一体化し、あらゆるものの影響を受けます。環境、情報、社会、知識、思考、体調、欲求、理想などなど。もしも自分にとって声が難しいものであるならば何が自分を難しくしているのか自己観察するところから私達の練習は始まります。そこでは結果ではなく変化の過程を楽しむ仲間たちがいます。――

 

令和元年5月

 5月25-26日と恒例の合宿を実施しました。演奏会が迫る「ジャズ・ミサ」に向け濃密な練習を重ねるためです。勿論、9月1日のハイドン作曲「四季」の楽譜も持参ですが。
 合宿会場の付近には、中世の「土塁」と「空堀」が残る城跡があり、もともとは12世紀頃の武士の館跡だったそうです。うっそうとした森に囲まれタイムスリップした気分になりました。
 かつて貴族や豪族の所有だった「家人」が、鎌倉幕府では「御家人」として御恩と奉公の関係を結びます。数世紀にわたる群雄割拠の戦の時代を経て17世紀に幕藩体制の武士階級の世の中が定着します。その頃、ヨーロッパでは俄かにクローズアップされたのがアメリカ大陸でした。
 欧州からの多数の移住、移民、入植があり、1776年にイギリスから13州の独立宣言、同83年にアメリカ合衆国が誕生。後発ながら東アジアへの進出をはかり、ペリー艦隊が日米和親条約を調印したのが南北戦争前夜の1854年で、日本では武士階級の崩壊が始まっていました。
 そして明治の世が進む頃、19世紀末に合衆国南部の都市からジャズが音楽史上に登場します。アフリカ系のリズム、スイングなど民族的なセンスが西欧の音楽に溶け込みます。今回は、戦後生まれのイギリスの音楽家ボブ・チルコット「A Little Jazz Mass」を選曲しました。合宿ではシンコペーションやスウィングなどの技法に随分と汗を掻き、現代曲にチャレンジしました。

 

令和元年6月

 過日、テレビで最新の考古学的な発掘調査などから現代人のルーツを類推させる番組の放映がありました。遺伝子の研究から現代人につながるとされるのはホモ・サピエンスですが、ほかにも人類と呼ばれる種は多数存在していたようです。
 最近の研究では中央アフリカの砂漠地帯でヒト科の特徴をもった化石が発見があり700万年前のものと推定され、最古の人類ではないかという根拠になりました。真っ直ぐ二本の足で立つという骨格やモノを噛んだり食べたりの咀嚼器官、頭蓋骨の大きさなどが決め手とか。
 いずれにしても、ホモ・サピエンスは20万年前に出現しますが、アフリカ大陸における人類の生存のための環境は、決して「エデンの園」ではなかったようです。大きな地殻変動があり、熱帯雨林から草原地帯への変化により、食糧も「肉食」へと移行し石器が活用され始めます。
 そして、7万年前に起きた「氷期」は多くの人類を絶滅に追い込み、かろうじて1万人ほどのアフリカ南部へと移動したホモ・サピエンスが生存の道を切り開きます。人類の中では特に強靭な身体をもっていたわけでもなく、むしろ「好奇心」が強かったようで、それが生存の手掛かりとなったという説が何気なく強調されていました。理由はないのですが、ずっと取り組んでいる「呼吸」と「発声」の実践のことを考えていたのに気付き苦笑しました。

 

令和元年7月

 9月1日に東京芸術劇場コンサートホールにて、ハイドン作曲、スヴィーテン男爵台本「四季」の演奏会が開催されます。「認定NPO法人おんがくの共同作業場認定10年記念」によるもので、今回合唱に参加させて頂きました。指揮はパスカル・ヴェロ氏(仙台フィル桂冠指揮者)です。
 移り変わる自然と農民の営みをオラトリオにした「四季」は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの68-69歳の作品で1801年4月に初演されています。春夏秋冬の4部構成、全39曲からなり、演奏時間は2時間10分。
小作人シモン、その娘ハンネ、若い農夫ルーカスの3人の独唱に混声四部のコーラスが入り、オーケストラと共に演奏を奏でます。四季折々の情景は、そこで暮らす農民に様々な情念を与え、それらはやがて感謝や賛美へと昇華し、感動の音楽をつくり出します。
 心身に作品を馴染まそうと団ごとの個別練習ではスタートを早めて、かつ合同練習にも参加し修練を重ねてきました。大きな編成での演奏会になりそうなので、一人ひとりの立ち位置を確実に日頃の成果を発揮したいものです。
 NAOコーラスグループでは、直近で西新井文化ホールでの「海の日ジョイントコンサート」に参加し、ボブ・チルコット作曲「ジャズミサ」を生のドラムとベース、ピアノの演奏で歌い切りました。西欧のクラシックに融合したジャズの醍醐味を十分楽しめたのではないかと思います。  
 次は「四季」です。頑張りましょう。

 

令和元年8月

 8月18日(日)すみだトリフォニー小ホールにて、「すみだ音楽祭2019」に近藤直子先生指導の東京べートーヴェンクライスが参加しました。決して無謀だとは思わなかったのですが、何と喜歌劇「こうもり」の超ハイライト版をもっての公演でした( 写真)。
 「こうもり」は1874年にアン・デア・ウイーン劇場にてヨハン・シュトラウス2世により初演されたオペレッタで世界的にも超有名です。ウイーン国立歌劇場では大晦日には必ず上演され、お正月に日本でもテレビ中継されるニューイヤー・コンサートと一対の関係にあります。
 演奏時間は馴染みのあるウインナ・ワルツの出てくる喜歌劇のシーンが素材のため、凝りつくした演出やアドリブが頻発され、長めの傾向にあるものの、基本的には序曲を含め全3幕の2時間30分ほどで上演されているようです。当合唱団では逆立ちしても演じられない作品です。
前述した通り、聞きごたえのあるウインナ・ワルツのメロディーは各国有数のソリストにより歌われています。それを合唱曲としてアレンジし演奏されているバージョンもあるようです。
 しかし今回は、生涯で1度でも良いから、触りの部分だけでも経験出来たらどんなに素晴らしいだろう、という各団員への心づもりが強くあり、編曲を増田先生に、かつMC・台詞づくりを近藤先生に願い出て、前代未聞の超短時間の「こうもり」が日の目を見る事となりました。
 お蔭様で7割近くのお客様がお出でになり(NAOの応援ありがとうございます)、兎にも角にも支障を来さない様に墨田区合唱連盟の関係理事の皆様のお骨折りに応えるべく、精一杯の舞台を努めました。多くの皆様から「面白かった」と異口同音のお言葉を頂き、ひたすら感謝です。
 正直なところ、平均年齢が恐らく80才に近い合唱団ですので、歌と台詞のバランスをとるのに大変な苦労があったと思います。ギリギリ暗譜で通せたのも日頃の練習の成果ではなかったかと思います。ひたすら暑い8月ですが、一時の涼をすみだで取れ英気を養うことが出来ました。

 

令和元年9月

 2019年9月1日(日)東京芸術劇場コンサートホールにて、「ハイドン『四季』」の演奏会にNAOコーラスグループも合唱で参加しました。「認定NPO法人おんがくの共同作業場 認定10周年」を祝してのコンサートです( 写真)。
 指揮はパスカル・ヴェロ氏。世界的なマエストロで、昨年、仙台フィルハーモニー管弦楽団の桂冠指揮者にもなられました。この度はコーラスのためにとても御尽力を頂きました。印象的なのはコーラスとの合わせの際に、「Anticipate」の感覚を養うお話しがあり絶妙なタクトを垣間見る事が出来ました。
 また、春夏秋冬を歌う「四季」の「Der Herbst」のNo.26,No.28は、郡司 博先生より暗譜の指導があり、何を歌うのかをきちんと身体に覚えさせて舞台に上がる課題がありました。
 1999席を収容するホールの舞台では、 280余名のコーラスが山台にのり、フレッシュな「自発性に富んだプレーヤー」のオーケストラと、かつ第一線で活躍中のソリストと共演しました。その醍醐味は貴重な体験となったに違いありません。
 さて、NAO(なお)の次回演奏はヘンデルとバッハです。2人とも1685年のドイツ生まれの大作曲家です。ただ、終生顔を合わせる事無くバッハは1750年に、ヘンデルはその9年後に没します。因みにハイドンは未だ青春期から20代の頃の時代です。
 ライプツィヒのトーマス教会のカントルになったバッハでしたが、死後その作曲されたものは、1829年に20歳のメンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」演奏まで、お蔵入りの状況でした。
 一方、ヘンデルはドイツに留まることなく、イギリス国王との良好な関係でオペラの作曲など音楽活動を続け1727年に帰化します。オラトリオ「メサイア」をみるまでもなく、劇場公演に親しむヘンデルの作品は世界中で演奏され続け、教会音楽に勤しむバッハとは対照的でした。
 次回NAOの演奏曲「メサイア」のドイツ語版は、ヘンデル死後の1775年にハンブルクでカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(息子)により演奏されたとのことで因縁深いですね。

 

令和元年10月

 近藤直子氏が「令和元年度足立区表彰(文化功労)」を10月に受賞されました。
足立区との縁は、かつて五色桜が植樹された旧土手の一角にある堀之内町に居住してからで、約半世紀が経過しました。余談ですが春先、道沿いの桜は種類もあって見栄えがします。
 音大生の頃、反回神経麻痺により発声困難な状態に陥りました。故米山文明先生の診療により、奇跡的に「声」が復活します。一時音楽留学のため西ドイツに渡ります。その海外留学を通して喉を壊さない合唱指導への志が強くなりました。ドイツの統合の翌年に帰国します。
 そして、地元足立でも活動を始めます。地域センターから講師の要請があり、そのユニークな指導法は足立区の情報誌「Aダッシュ」に取り上げられました。また「国技館5000人の第九」の指導者としても活躍しました。
 一方先述の米山先生との縁から「呼吸と声」の研究は合唱指導の骨格になると考え、西欧では先端をいく「Atem-tonus-ton」の資格習得のため、国内はもとより海外受講などを経て実践と実績を積みました(現在では、ATT指導者育成コースを終了)。
 指導の目的は、多くの人がまだ自分でも分かっていないその人の本来の声を引き出すことにあり、個性溢れる一人ひとりの声が響き合う合唱をめざしたわけです。かつ個々の指導にも当たれるように、エクササイズのグループレッスンを地道に続けて来ました。
 ずっと自転車操業なのですが、21世紀に足立区で立ち上げた「歓喜の演」の事業は継続し、専従指導のNAOコーラスグループでは先日20周年のお祝いの会を開いていただけました。
 今後とも呼吸と声をつなぐエクササイズの考え方を広め実践することに挑戦していきます。

 

令和元年11月

 令和元年10月12日に伊豆半島に上陸し、関東地方へと北上し続けた台風19号は余りにも衝撃的でした。レーダーに映し出される赤い雲の塊がもたらす雨量はバケツを連続してひっくり返すほどの威力です。そこに風速が加わるのですから、まさに暴風雨です。
 まして9月中旬に台風15号が東京湾から千葉市に上陸、多くの家屋の屋根が吹き飛び電柱がなぎ倒され、土砂災害や停電、断水などの被害からの復旧が叫ばれている最中です。
 この未曽有の台風襲来に先立ち足立区ではいち早く各施設の休館の方針を固め、第39回合唱祭も中止なりました。合唱連盟始まって以来の出来事です。700名ほどの各合唱団の参加者かつ当日のお手伝いの皆様にもお知らせしなければならず、関係各位のご尽力に感謝です。
 そんなおりに台風21号、23号が発生し、週末の「歓喜の演Vol.18合唱団」の演奏会にも暗雲が立ち込めましたが、演奏会が中止になるような事態だけは何とか免れました。
 演奏会当日は晴れて、日中は気温も20℃を超えて汗ばむ陽気でした。演奏曲目はバッハ作曲「カンタータ147番」とJ.ラター作曲「マニフィカート」です。平成31年の1月下旬から42回程の練習を重ねて、一般区民公募による70余名がプロの演奏家と共演しました。
 「よくぞあのように構成、演奏ができるのか、体がふるえました」との一報が終演後メールでありました。プログラムにも記しましたが、確かにJ,S.バッハの教会カンタータ演奏日が「聖母マリアのエリザベト訪問の祝日」であり、まさに「マニフィカート」はその祝福を意味します。
 管弦楽、声楽のソリストの協演は如何でしたか。また、コーラスが奏でる祝福の音楽は字幕とも一体化出来たでしょうか。
「コーラスが入るとホールが歓喜に包まれたように感じました」
「プロと区民の方が一緒に歌われて完成度が高く驚きました」
「古典と現代曲の対比を面白く聴かせて頂きました。美しい管弦楽にコーラスとソロが調和し迫力もありました」
 本当に、多くのアンケートに感謝です。NAOコーラスグループの皆さん表方、ありがとうございました。
終演後のアンケートはこちら

 

令和元年12月

 異常を感じたのは9月29日の「すみだ合唱祭」出演後でした。次の指導までに若干時間が取れ、図書館で調べものをしていたら目がかすみます。疲れかなと思いながらも西新井へと車で移動しました。夜間は区民などの一般公募による「歓喜の演合唱団」の最終練習。
 向かう途中、視界に縦の黒い線が立ち現れました。痛くも痒くもないものの違和感があり、試しに片目を閉じてみると、左目の端の1mmくらいに光が残っているだけで真っ暗になっていました。両目で普通に見えていたのは、多分脳が補正していたためでしょう。やがて、両眼でも黒い線が邪魔をするようになり楽譜が読み取れず、右目だけで何とか練習を行いました。
 翌朝、眼科に行き受付で症状を話すと直ぐ診察して頂け、網膜剥離と診断されました。緊急性があるのか、大学病院の網膜専門の医師に電話連絡され、紹介状を出すので直行するように指示されました。病院に到着するや即入院の手続きとなり、程無く診察、翌日の手術が決定します。少しでも遅くなると失明のリスクが高くなるためです。
 10月1日、硝子体手術が施されました。網膜は硝子体を通過した光を視神経に伝達する重要な役割をしています。硝子体は透明のゲル状をしており目の形状を保っています。それを覆う網膜が剥がれたわけで、小さな穴程度でしたらレーザー治療でふさげますが、しっかり剥がれてしまった場合は手術になります。
 部分麻酔によって手術を行うため意識はあり、手術中に先生とお話しもできます。網膜の切れ目から流れ出た硝子体を除去し、硝子体の代わりに無害なガスを入れて、網膜と網膜色素上皮を接着させます。ただし目はふさがれているので手術の様子をライブで見ることは叶いませんでした。白内障の手術も行いました。
 術後はうつ伏せの生活も経験し、1週間程で退院しました。退院後1週間は安静にと言われていましたが、退院当日の午後には合唱の練習が2本入っていました。翌々日はオケ合わせで、保護用のプラスチックの眼帯を着用しての指揮だったので、さぞご迷惑をお掛けしたのではと恐縮しました。しかし管弦楽をはじめ皆様のご理解、ご厚情により無事に練習も、そして感動の本番も演奏出来、ホッとしました。

 

令和2年1月

 自動販売機の小銭のおつりに光った500円硬貨が混ざっており、目を凝らすと「令和元年」と印字されています。既に「平成三十一年」のものも手にしており、同時期に二つの元号の硬貨を手にしたわけです。
二つと言えばこの10月に上陸した台風15号と19号のいずれも東京湾をかすめ、その後の爪痕は大変なものでした。身近な例で恐縮ですが、足立区合唱祭が39年目にして初めて中止になるほどの傷跡でした。
 12月12日、イタリア歌曲の親睦コンサートを行いました。会場は神楽坂のアートサロン「香音里」です。始まりは2011年からで、エクササイズの研究生が中心です。軽く発声した後に皆さんの演奏を聞かせて頂きました。総じて歌声が少しずつ変化してきており選曲も含め楽しかったです( 写真)。
 同月15日、「NPO五色桜の会」の学習会(第12回)がありました。江北地域学習センターとの共催事業で、講師は足立区の桜親善大使 浅香孝子氏です。五色桜の起源は沼田村戸長の「清水謙吾」翁にあり、高木孫右衛門との交流から明治19年に江戸時代の貴重な里ザクラを旧荒川下流の土手5.8キロに植樹、謙吾翁が46歳の頃の事業です。その3年後に南足立郡の9村が合併。江北村の初代村長となります。
 実は謙吾翁は「少壮」の頃より一流の学者に師事し学識も深く、家塾を開業します。その子弟たちにより「旧江北村に1つの学風がおこり、ある程度の文化圏が形成され」、五色桜を伝える「昭代樂事」の出版につながったのではないかと浅香氏は伝えます。謙吾翁の人と成りを知る貴重な講演でした。その後、浅香氏を交え有志で昼食をとり江北北部緑道の「十月桜」の並木を観賞しました( 写真)。
 冬至の22日、歓喜の演Vol.19合唱団の歌い納め。前半に「マタイ受難曲」(山田実訳/編曲)の講演を森山亮二先生にお願いしました。口語日本語版によるものです。経緯を辿れば16世紀にまで遡り、ルターがヘブライ語やギリシャ語、ラテン語で書かれた聖書をドイツ語に翻訳します。バッハの「マタイ受難曲」も当然ドイツ語で、その自筆稿の写本がメンデルスゾーンへと祖母から渡されるや1829年の復活上演へとつながります。バッハ初演から102年後、そこから更に191年後、歓喜の演合唱団がチャレンジします。

 

令和2年2月

 明けましておめでとうございます。
 令和元年最後の満月は12月12日イタリア歌曲の親睦コンサートの夜でした。令和2年最初の満月は、1月10日。先住地のアメリカでは「ウルフムーン」と呼ばれていたようで、東京も寒そうな月明りでした。
 NAOコーラスグループでは、1月早々から合宿を実施しました。午前10時頃、埼玉の武蔵嵐山に到着。水気を含んだ雪が風に煽られるように降っていました。ニュースでは都心の降雪も伝えられています。この日は1990年に共通1次から変わった大学入試センター試験最後の実施日とか、何となく雪っぽいですね。
 さて5月の公演の曲目は、J.S.バッハ作曲「マニフィカート」とヘンデル作曲「メサイア」(抜粋)です。「メサイア」はドイツ語の歌詞で、慣れない言語は歳を重ねると舌を噛み易いそうなので焦らないことです。特に譜読みの段階では指導者を見る余裕もないほどに、楽譜にのめり込みやすい傾向があり要注意です。
 呼吸を整えて、出来る限り練習会場を見渡し声の響きを感じ取り、各々の役割に目覚める事が大切です。やれ音符の高低や長短などに捉われて、肝心な演奏が疎かになっては元も子もなくなります。
 練習の責任を負う音楽指導者の立場からすれば、演奏の高みを心掛けるのは当然のことです。そのために課題をどう克服していくかが常に問われています。例えば息の速度が落ち声のハリがなくなると音程が下がり、息が続かない分テンポが乱れます。足底から呼吸を導き全身につながりを持たせる発声練習も、それを未然に防ぐための布石です。その習慣が身に付いてくれば音楽の醍醐味が楽譜を通して甦るはずです。
 NAOコーラスの合宿では時がたつのも忘れるほどに歌い込みましたが、まだまだ課題は山積しています。そのことも踏まえ、氷点下に近い気温でしたが、練習合間の夕食を美味しく頂けたかと思います。( 写真

 

令和2年3月

 9年前の3月11日の午後2時46分頃に東北から関東にかけ大きな地震が襲いました。東日本大震災です。死者・行方不明が10,000人を超し、津波や原子力発電所事故による放射能漏れのため、今もってその傷跡は深く食い込んだままです。
 令和に入り、新型のコロナウイルスによる感染症の脅威が目前に迫っています。今世紀の始めのSARS(重症急性呼吸器症候群)の場合、中国南部の広東省から発症、国外にも拡大し770人を超す死者を出しました。今回も中国の武漢からの発生が伝えられており、本年の2月中旬で中国国内の感染者は73,000人、死者も1,800人を超えてきています。
 日本では、渡航者を発端とする感染が発生しており2月下旬で900人以上の感染があり、10名の方がお亡くなりになっています。密接な接触によるヒト‐ヒト感染だけでなく、ウイルスの付着からの感染もあり得るらしく、電車のつり革やお札などにも注意が必要です。テレビでは国外の交通機関などで防護服を着用し消毒している姿を映し出しています。
 毎年のインフルエンザでは、症状を発生した児童や生徒があった場合、学級や学校は短期間ながら閉鎖されていますが、政府が全国の小中高の学校に対し一律休校を要請したのでビックリです。
具合が悪ければ別ですが、基本的にお家で自習しなさいということなのでしょうか。勉強好きでない子であれば、何しようかあれこれ想像力が逞しくなってしまいそうですね。
 さて、バッハとヘンデル、テンポを本番に合わせて練習しますので、そう、固い頭を柔らかく!ついてきて下さいね。

 

令和2年4月

 練習会場を見まわすと団員さんがいます。「皆さん、凄いですね、健康ですね」。思わず声に出してしまいました。2月末、合唱練習の前に施設から提供された「新型コロナウイルス感染症対策」という、政府系HPにある内容のものをコピー、配布し、練習の度に注意喚起を促してきました。
 周囲では多くのコンサートやイベントが取りやめになったとの話が伝わってきます。区によっては一か月以上も公共の施設の利用を停止しているところがあります。私たちも昨年台風19号の影響で40回続いている合唱祭が中止になったばかりです。
 今の所、幾つか指導している合唱団で新型コロナウイルスに感染された方はいらっしゃいません。ただ、国内では全国的に感染者数が広がりを見せて、クラスター(小規模感染者集団)と呼ばれる同時性のある症例もあることから、用心に越したことはありません。
 今回の新型コロナウイルスの始まりは地域が限定され発症が確認されていました。勿論国内ではありません。従って危機管理の一環としてヒトヒト感染の初期対応のマニュアルと実践があれば、ここまで大事には至らなかったのではないでしょうか。WHOの対応、医療現場のパニック、そしてパンデミック(当初はエピデミック)は最悪のシナリオに違いありません。
 この期間、ずっと活動していますが、咳や鼻水、喉の痛み、熱発など風邪の気配があれば医者に診てもらい、練習を見送る勇気(頑張り屋さんが多いので)が必要と伝えて、会場への交通の途上で心配な状況が想定されれば、ご自宅で過ごされることを勧めています。
 基本は健康です。生きている限り病はつきものです。日頃の公衆衛生に努め、歌う事が好きな皆さんは歌を通して、たとえば呼吸や声の有り方を学び、末永く合唱出来るよう頑張りましょう。

 

令和2年5月

 令和2年は早々から「新型コロナウイルス」ニュース一辺倒で、日々、練習会場の変更を余儀なくされ、皆様にはご不便をお掛けします。未知のウイルスのため特効薬も開発途上で、治療も自らの免疫力が頼りのようです。また、的確な情報公開が少なく、公による不要不急の外出自粛要請の対応に苦慮しています。文化活動への多大な影響は周知のとおり、完全に止まっています。
 さて、本番まで2か月をきりました。オーケストラ、ソリストの皆さんと現状についての話をしました。今、音楽界は政府や施設の自粛要請に先んじて対応を取り、演奏会の延期及び中止を余儀なくされています。
NAOコーラスも収束を願い何とか練習を続ける努力してまいりましたが、本番を迎えるには練習環境が不十分で、高齢の方々も多くいらっしゃいますので、とても無理は出来ません。
 苦渋の決断でしたが、出演者の方々の了解を得て、演奏会を来年の春まで延期する事に致しました。内容はそのままで日程だけの最小限の変更に留めたいと思います。従って来年は春秋の演奏会があることになります。当面は6月(新宿区)7月(足立区)公演に向けて「マニフィカート」と「メサイア」の練習をしながら、次回の演奏曲目も取り入れていきます。
 このような事態は東日本大震災以来です。新型ウイルスは人口の6割が感染しないと終息はないといわれています。感染するだけでなく感染させる恐怖があり、しかも既に軽く感染して抗体のできている人もいるとかで、自分がどの状態であるのか自覚できない事が問題であるのが明確でありながら、解決されてない事が問題です。対策の在り方にも大きな疑問を持ちます。
 文化や芸術には自分を取り戻す大きな効果があります。今一度、呼吸を深くして、ウイルスに負けない免疫力、体力、気力を持ち続けましょう。日頃実践している呼吸法は役に立つはずです。このような時こそ落ち着いて楽譜と向き合い、今できる事を楽しんでください。その先にはきっと素晴らしい演奏が待っています。
 桜は今年も美しく咲いています。私達も桜を見習って…

 

令和2年6月

 「恐くなりました」太平洋戦争を体験し、戦後を生き抜いて来られたコーラス参加者の方の言葉がズシリと響きました。新型コロナウイルスの感染の報道から、「自粛要請」、「緊急事態宣言」と立て続けに発表された行政の対応に、日常の生活は躓きを見せ始めました。
 ウイルス感染のまん延がこれほど危機的に迫った記憶はありません。家から外に出ることさえ危険だとテレビやラジオ、新聞、SNSなどで、寝ても覚めても伝えられ、生活のために働く人たちを攻撃するような言動も見られ、すべてのことに委縮が起きています。
 マスクや消毒液、トイレットペーパーが真っ先にスーパーの店頭から消え、品薄になる食料品が地域によって出てくる始末です。子どもの頃にテレビばかり見てはダメだよと叱られた思い出がありますが、今はむしろSNSとも連動させて活動する時代になり、乗り遅れた人は置き去りです。
 ヨーロッパやアメリカなどでは、けた違いの感染者と死亡者の数のニュースが連日のように報道されています。ロックダウン(都市封鎖)やオーバーシュート(爆発的感染拡大)などのセンセーショナルな横文字に、まさにオーマイゴッドです。
 肝心な私たちの練習予定ですが、ご存じのように国の緊急事態宣言が延長されそうなので、地方公共団体の各施設の休館や使用休止も横並びとなり、5月いっぱいは休止となりました。そのため、6月からの練習を軸に調整しておいて下さい。幸い合唱団の皆様及びご家族の方には無事お過ごしのこととお聞きしています。
 いずれにしても、私たち自身に恐怖感がまん延し、心身の健康を害しては元も子もありません。ウイルスに対抗できるのは今のところ自己免疫力だけです。私達が日頃から行ってきたことは全て免疫力アップに役立っています。歌の呼吸の感覚を思い出して体を動かしながら声を出してみましょう。自由な芸術活動は必ず甦ります。その日のために今は内面のエネルギーをためておいてください。エネルギーいっぱいの皆様にお会いする日を楽しみにしています。音楽を沢山聞いて下さいね。

 

令和2年7月

 内閣府のHPで「令和2年4月7日に出された新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言について、5月25日、緊急事態措置を実施する必要がなくなったと認められたため、緊急事態が終了した旨宣言されました」との告知がありました。今回の「新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)」は季節性インフルエンザよりも肺炎にかかる頻度が高く重篤化するケースもあったことから、かつ渡航者からの感染経路が特定出来なくなり、更に他国では医療崩壊によるパンデミックも伝えられ、一部政治家のロックダウンの発言を伝えるマスメディアもあり緊急事態宣言へと直結していったようです。ちなみに5月30日朝現在、厚労省のHPでは、全世界での感染者数564万人強(日本は16, 759人)、ウイルスによる死者が35万人強(日本は882人)と未曽有の事態です。
 さて、感染者が全くいなくなったことを踏まえ、施設の利用再開に向け準備を進めるとの連絡がありましたが、一律の解除ではなく実際の開館が6月中のいつなのか不明な所が多くあり、ご不便をお掛けしています。都内では翌月以後の抽選会自体が開かれていないのが実情です。
 とはいえ、コーラスやエクササイズの活動再開に向けて準備をしたいと思います。まずは公衆衛生上の健康管理ですが、平熱より体温が高い場合、咳などの風邪の症状がある場合、かつ身体に変調を感じる際は練習を見合わせて下さい。
 練習会場では消毒液と体温計を準備しますが、フェイスガード、アルコールウエットティッシュや消毒液などのグッズはご自身でもご用意頂き、安心して練習が出来る様に自由に工夫して頂ければと思います。マスクは熱中症の課題も出ているので着用を強制しませんが、ただし当面はフェイスガードの着用をお願いします。こちらでも実費でご用意します。また、各施設とも3密(密閉、密集、密接)の防止のため、定員の減少やソーシャルディスタンス(2メートル)の確保の協力が求められていますので、ご協力お願いします。
 コーラスの場合は飛沫の課題があるかと思いますが、これまでの指導を思い出して下さい。免疫力アップにつながる呼吸と身体を利用した響きで音楽をつくりましょう。今まで以上に響きに繊細な感覚を持つ良い機会になるでしょう。
 会場利用が不可能な場合は、連絡網でお知らせしますので、皆様との再会を楽しみにしています。楽譜はバッハ「マニフィカート」、ヘンデル「メサイア」です。

 

令和2年8月

 6月13日、ギャラクシティの施設で練習が再開されました。「新型コロナウイルス」感染防止の対応をとっての合唱練習です。まずは消毒し、入館時に必要な情報を指定の用紙に記入しますが、合唱練習の場合は名簿があるので団名と名前だけでよいとのことです。練習会場入口では、非接触型の体温測定器でもって体温をチェックし出欠を確認します。平熱より1度以上高い場合は練習を見合わせて頂くことがあります。
 続いて、会場では設営の協力をお願いします。練習で使う机や椅子の接触面に消毒液を滲みこませたダスターで拭き、前後2メートルの間隔をとって設置します。窓と扉を開けて換気します。ピアノも含め付帯で使用する物は全部消毒をします。
 いよいよ練習ですが、指導者及び伴奏者、団員はマスクかつフェイスシールドの着用をお願いします。ウオーミングアップやエクササイズ的な動作では、マスクの方が動作しやすいようですが、発声になると、口とマスクの布自体が密になり時間の経過と共に湿り気が出て来るようです。額にスポンジが付いたフェイスシールドでは顔との間に空間が出来るので、割と口を自由に動かせます。
 いずれにしても、声帯で作られる原音は口や鼻、頭などの共鳴腔へと広がり、更に全身へと働き掛け歌うことでコーラスの響きが上方に出来ます。マスクなどを着用しているので普通よりは自分の声が良く聞こえるので、周りの声とのバランスをとるのに少々不安があるかも知れませんが、指揮をみて頂ければ調整がつくはずです。
 通常よりも間が空いているので、ボソボソの喉声では様になりません。何を歌っているのか小節を先取りし、指揮者を見て、今ある演奏の中身を感じ取りましょう。禍を転じて福と為すように、これまでの練習の成果を生みだしましょう。

 

令和2年9月

 コーラスの練習が様々な公共施設の会場で再開されているようです。とても喜ばしいことです。
 一方で舞台での演奏となるとかなり厳しいものが見えて来ます。実際、ある中ホールで舞台さん及び行政の方の立ち合いのもと、山台を本番並みに4段組み、前後左右2メートルのソーシャルディスタンスを実施した場合、何人が上れるのか椅子を設置し見積もりました(写真を参照)。
 1間(180cm)の板が横に7枚ありましたので、通常1列に20名程並ばせることが可能ですが、せいぜい椅子5脚分のスペースしか確保出来ませんでした。
 前後に2m必要なことから、山台に平間を加えても手狭になり、中央部にピアノを置くことすら難しくなります。仮に指揮者との距離やピアノを下手に置いた場合のことを想定すると、舞台全体で20名弱ほどの人しか収容しか出来ないことが分かりました。勿論、オーケストラが入る余地などほとんどありません(余談ですが、ここはオーケストラピットなしです)。
 更に、もう一つ大きな問題は、コーラスの演奏会では反響板は不可欠です。それによって密閉空間ができ響きがホールに向かいます。ただし大人数で声を出した場合、飛沫した粒子が上部にまとまり舞台全体に留まる可能性があります。
 舞台上に換気の設備が備わっていれば飛沫の塊も流れるのでリスクも緩和されますが、ホールという箱の性質上、そのような設備は備わっていないのが通常です。ホールの扉をすべて開けたままとか、反響板を使わず舞台裏を開放しての演奏は通常考えられない設定です。
 そんなことで、現在の「新型コロナウイルス」感染予防の条件をそのまま舞台に適用させた場合、このようなホールだと管弦楽付きのコーラスの公演がとても難しくなることが想定出来ます。ワクチンや治療薬の開発により条件が緩和し、施設の改善によって展望が開けてくれればと願わざるを得ません。市民の文化芸術活動を自粛させることは決して得策ではないと思います。ここは知恵を出し合い乗り切ることが今を生きる人の運命だと考えます。

 

令和2年9月(その2)

 8月初日に関東も梅雨明けの便りがあり、足立区でもミンミンゼミが鳴き始めました。とはいえ、7月は日を追うごとに「新型コロナウイルス」の感染者数が増加傾向にあり予断を許さない状況が続きました。練習会場への自粛要請が再び来ないように願うばかりです。
 テレビ、ラジオや新聞、雑誌、SNSの各メディアでは連日こぞって「新型コロナウイルス感染」の話題で持ちきりです。病院や学校の先生方も学業より優先してメディアを通して社会参画されているようにもお見受けします。
 ただし、ウイルス感染の予防の核となるワクチンや治療薬が未だ開発途上との事実があります。むしろ世界中でそれを廻っての情報戦争みたいな感じもします。きっと金融にもつながっているからなのでしょう。
 市民の生活レベルでの関心は、誰がどこから持ち込んでいるかの方に関心があります。メディアで報道されている感染者数が独り歩きしている感じがあるからです。なぜなら、身近な所で頻繁に感染者がいるという状況にないからです。必ずしも感染者数と一致しない生活空間があるからです。
 例えば町中で鹿や猿が出没したというニュースと同じくらいの確率の印象でしかなく、ドアを開け、外に出たらかつ買い物に出掛けたら、即目の前で感染者と出くわすリスクがあると感じている人は意外と少ないのではないかと思います。
 逆にそれ程差し迫った脅威ならば、確かに不要不急の外出どころではなく、戒厳令下におかれたきな臭い時代に差し戻されかねない有事です。大陸でのウイルス感染が初期に発表された地域では実際に起こった出来事です。
 合唱練習に中々参加出来ない方のお話しを伺いました。高齢や持病も有ったりして周囲への忖度が働いていてしまうとのことでした。正しい情報を持ちなさいという方が難しいのでしょう。相手があれだけ権威ある医療関係の先生方でさえ、予防治療の即効性のある薬を開発出来ないウイルスなのですから。得体のしれない厄介な病原菌であることは確かです。せいぜい免疫力を高め、感染しないに越したことはありません。ただしこの時代、生き抜く智慧を身に着けられるか、ついつい考えてしまう合唱と発声活動の日々です。

 

令和2年10月

 「新型コロナウイルス」の感染防止が第一義の昨今ですが、「声を育てるエクササイズ」の第17回研究発表会を8月22日に草加市中央公民館で開催いたしました。一部のライブハウスや小型の演劇劇場などでクラスターの発生情報もあり、当発表会も水際対策が要となりました。
 幸い、研究生たちは歌う活動が生活の一部になっており、特に発声に直結するエクササイズへの関心は強いものがあり、日常の行為にそれを応用している節が見えます。感染防止への意識も高く、消毒やマスク着用は勿論、テレワークなど3密を避ける努力を続けられている様子です。
 次にお客様の件ですが、前もって出演者を通してのお申込みに限りました。その際、ご自宅の住所、連絡先を伝えて頂くことのご協力を得ました。万が一、感染につながった場合の応急措置で館からも要請が出ています。
 周囲を見渡せば、大変困難な状況のなかで40名程のお客様に足を運んで頂きました。ありがとうございます。皆様に安心して頂けるよう、中央公民館ともども、場内の消毒や観客席の間を空けての配置、受付時の非接触型検温器での検温、消毒液の活用、もぎりやプログラムの手渡しの省略、客席への誘導など出演者も表方への役割分担をして、感染防止に誠心誠意取り組みました。
 肝心な発表会ですが、音楽はそんなに簡単なものではありません。でも皆さん衣装選びから健闘されたかと思います。全身を通して曲を馴染ませ、頭で歌わない努力をされていました。少しでも頭が反応すると緊張で歌詞が飛びます。まっさらな状態でも口はきちんと曲を歌っている経験が必要なのです。
 プログラムの挨拶文では、新型コロナウイルスに対して「人間に元々備わっている力の不思議さ、素晴らしさ」と免疫力の事に触れましたが、私たちには困難に直面してもそれを解決しようとする意志がどこかに備わっているような気がします。
 声を育てるエクササイズでは、呼吸を通して頭で考えない無意識の領域での感性を大切にしています。歌うことが好きでこの教室に10年以上続けられている方も多くいますが、年齢に関係なくそう簡単に解けないマジックみたいな自分の心身に、未知の魅力を感じているのかもしれません。
 あらためて、関係各位の努力の賜物で研究発表会が無事終了したことに感謝申し上げます。

 

令和2年11月

 今回の「新型コロナウイルス」より約1世紀前に「スペイン風邪」なる未知のインフルエンザの大流行がありました。同国のアルフォンソ国王が感染したという新聞記事が世界に伝播され、流言で病名とされて、実際はウイルスを発生した地域でもなく戦争で菌が持ち込まれた中立国でした。
 1917年、アメリカのファンストン軍事施設で1,000人もの兵士が40度の発熱で倒れました。原因は不明で越冬のため飛来したカナダガンによるウイルスが原因との推測がありました。第一次世界大戦の最中に起きた、未知のインフルエンザウイルスによる感染の大流行の始まりでした。
 たまたまNHKスペシャルで「映像の世紀」なる番組があり、様々な人類の危機との闘いを映像記録で放映する企画で、「人類の危機」とのタイトルの中で「スペイン風邪」がタイムリーでした。
 30カ国が参戦するという大規模な戦争が1914年に勃発し、アメリカが連合国側として参戦するのは1917年からです。くじ引き抽選で入隊した兵士がヨーロッパの戦場に輸送され先述の未知のウイルスも紛れ込みました。映像は輸送船「リバイアサン」の船舶内の感染を映し出します。
 フランスのプレストの港町から兵士たちは西部戦線のドイツとフランスの国境沿いにある塹壕に送られ、劣悪な衛生環境のなかで戦闘に及びます。そこでイギリス兵の多くが感染し、一方中央同盟国側のドイツ兵にも感染が飛び火し、戦場では厭戦が広がりました。ところが戦争当事者の上層部では、この未知のインフルエンザウイルスの感染拡大の事実を公言しませんでした。
 一方で、この戦争に従事した兵士が帰還するに及びウイルスは更なる猛威を振るいます。先の「スペイン風邪」に象徴されるように一般市民にも影響が広がります。インドでは1,700万人が死亡し、日本でも軍事施設から感染が広がり2,380万人が感染、39万人が死亡します。
 1918年にドイツの降伏でこの大戦は終結しますが、連合国の勝利を祝うサンフランシスコのパレードではマスクの着用が義務付けられました。講和会議の米、英、仏の首脳も感染しました。
こうした1世紀前の未知のインフルエンザウイルスは推定で世界の5億人が感染し、4千万人が死亡するという大きな犠牲の上に、集団免疫を得てこの年から感染は終息に向かいます。
 21世紀に発生した新型コロナウイルスは、世界で感染者数が3,124万人台、死亡者数は963,693人の現実です。軍事権力で公表のない時代に比べ、民主的な世界では事実が伝わり安心です。しかし病原菌の正体は未だ不明な状況は1世紀前と変わりはありません。先の見えない闘いが続いています。

 

令和2年12月

 本年は年初以来「新型コロナウイルス:SARS=CoV-2」の危機に遭遇しました。中国大陸に端を発した、飛沫及び付着接触を経路としたウイルスの感染拡大に私たちの社会生活は困惑します。潜伏性が高く無症状も見られ、かつ急性呼吸器疾患を引き起こせば治療薬が未開発のため重篤化し、死に至ることをニュースで知ります。2020年3月11日、WHOが世界向けに「パンデミック」の見解を発表しました。この10月までに世界で死者は100万人(日本国内は1,700人)を、感染者数は世界で3,400万人(国内9万6,000人)を超えました。
そんな最中、当団では5月25日の東京都の緊急事態宣言解除後、各練習会場が開館したのに合わせ、消毒、検温、飛沫防止、間隔を空けるなどの感染拡大防止の対応し練習を再開しました。
 特に飛沫拡散抑制のマスクやフェイスシールドは時間の経過に伴い形状も変化し、涙ぐましい?努力や工夫の跡が見えます。コーラスの場合、世間では歌声に応じて飛沫を周囲にばら撒くものと危険視される誤解もありますが、発声の指導を受けている方はご存知の通り、日常のお喋りよりも母音に重きを置いた発声を習慣化しているので、飛沫の拡散が少ないという検証があるぐらいです。
 とはいえ、集団で声を出すのでソーシャルディスタンス及びマスク着用などの配慮は必要です。
 NAOコーラスでも各団員が、飛沫拡散防止だけでなく歌声に支障の来さないよう、例えばマスクの隙間を小さくし下側に伸ばした布を付け加えたり、口や鼻に付着させない空間を作り出したり、自前で改良したものを試行錯誤しながら着用してコミュニケーションをとっています( 写真)。
 ただ、マスクを着用してもウイルスの粒子は極小で通り抜けてしまう確率が高く100%の防御にならないそうですが、ただし着用を拒む根拠にはなりません。なぜなら周囲一帯に飛沫が付着してしまう状況を防ぎ、相互に着用していればその効果は上がるはずです。欧米などに比べて日本の感染者が少ない所以がここにあるのかもしれません。勿論世界でもマスク着用の議論がありましたが、このところの感染者拡大の報道をみると社会的なエチケットの同意は必要だと考えます。
 新型コロナウイルス感染拡大防止のガイドラインが各演奏会場で設定され、緩和される前までは私たちも含め演奏会を断念するケースが多々ありました。10月に鑑賞した管弦楽付き合唱作品の公演では、70名弱の合唱団でしたが個別に透明なシールドを四方に巡らせガードしつつ、歌声を管弦楽にのせ客席に届かせていました。まさに「為せば成る」の精神を見た気がしました。

 

令和2年12月(その2)

 幸いこれまでの当団の練習で「新型コロナウイルス感染」が発生したことはありません。しかし、世の中のニュースは、全国的に感染拡大を伝えるものばかりです。それを防止する手立ては夜間の外食時間帯の制限要請が第一義だとか。
特にアルコールを伴った食事の団欒が指摘されており、ウイルスの混在した飛沫が無防備に拡散されることへの警戒感が高まっているようです。
 一方で、私たちの世間はどうしているのかを検証して見ます。大それたことはしていませんが。
 コーラスでは練習前に非接触型の検温器で測定し、それぞれ平熱があるでしょうが体温365分を目安にコミュニケーションをはかっています。割と目立つのが35度台です。額に汗をかいていたり、自転車で冷たい外気に触れていた際に見られる数字です。免疫力が落ち込んでいたりすると少し厄介ではありますが。
次に消毒です。自分の使用する椅子とか机や接触するドアノブなどを、次亜塩素酸ナトリウム入りの液を染み込ませたペーパーでふき取る作業を皆で実行します。同時に換気が必要なので、窓やドアを開けて外気を取り入れます。冬は寒いので工夫が必要です。まさにwith coronaです。
 また、合唱は大勢で声を出すので飛沫が拡散しアブナイのではと危惧されているようですが、きちんとした母音を核にした発声はむしろ飛沫が少ないことが分かっています。ただし、マスクなどの着用は常識です。つまり、通常の活動でウイルスを保有しているかどうかは、体温チェックをしたとしても無症状もあり得るので分かりようがありません。万が一、保菌者がいた場合でもマスクの着用で防御の態勢はとれます。これは合唱以前の心構えだと思います。
 3密対策でいえば、歌い手の間隔を12メートルとって、お互いに安心して声の出せる状態を確保します。本来であればお互いの声を聴きあって歌うのがコーラスなのですが、ここはむしろ響きでもって音楽を作り出す感性が求められるでしょう。
 今、私たちの気がかりなのは舞台上で合唱団の各自の間隔で、前後左右2メートルの間隔では舞台の広さもありますが、大した人数しか上がれません。マスク着用でどのくらい緩和されるかがガイドラインで示されれば希望も持てますが、冒頭でも述べましたが2020年の年の暮れ、世間でのコロナウイルス感染拡大のニュースに効くワクチンが欲せられるところです。

 

令和3年1月

 令和2年の流行語大賞は「3密」だとか。密閉―密集―密接はマスクやコロナに比べ3つ同時に閃くのは難しそう、一方で換気や検温、消毒、社会的距離など感染防止用語も活躍しました。 他方「新型コロナウイルス」、「パンデミック」そして「ロックダウン」、「非常事態宣言」などもメディアで刷り込まされた情報です。未知のウイルスに対し本能的に危機感を覚え、経験的観測で自分の周囲に防御を張り、結果的に日常の活動を規制させる状況が政治の世界で生じました。
 例えばウイルス感染の原因が分からないという不安に対し、解決したいという願望や欲求が脳に沸き起こり、そこから様々な価値観がSNS(個人間情報の発信メディア)の便利さで拡散し独り歩きしてしまっているのが、今日のネット上での言論の様子にも見えます。
 実際、昔からある風邪やインフルエンザのウイルスの類でしかないとか、世界のウイルス研究所から漏れた人為的なものだとか、まことしやかに未知が語られている節があります。
 しかしウイルスは人類誕生以前から存在しており、人間が生身でもって容易に対処出来る代物ではありません。なぜなら太古の昔からつながる細胞レヴェルでの進化過程なのですから。
 本来ウイルス自体では増殖出来ないにも拘わらず、生物の細胞に寄生出来るほどの強力な能力を持ち、突然変異を繰り返し、生命のエネルギーを奪取し生き永らえてきた遺伝子の持ち主なのです。それと栄枯盛衰を繰り返し構築されつつある科学などの人類の知恵との相克が現在の姿なのです。
 人体には自己でない異物が入るとそれを排除する機能が備わっています。免疫という働きで、免疫細胞がその役割を担います。その代表格であるマクロファージは最近よく見聞きしますよね。つまり新型コロナウイルスという異物に対し免疫がどう機能しているかで現状が分かります。
 免疫細胞の形勢が良くないことは世界のパンデミックを見れば分かることで、例えば獲得免疫の攻撃の主力であるT細胞が逆に新型コロナウイルスに餌食にされている現実をどうみるのかなど、治療薬やワクチン開発にとり不可欠な難題が山積みです。
 そんな中で全くの素人考えで心許無いのですが、一刻も早く突然変異を繰り返す未知のウイルスの遺伝子を読み解き、人体の免疫システムに効果のある細胞や抗体を投入し抗原を排除することが出来ればと、そんな淡い期待で年の瀬を過ごしかつwithコロナの新年を迎えようとしています。

 

令和3年2月

 年明けから国内の感染者増のニュースが連日賑わっています。そのせいか、周囲を見渡せばその源が分からないため余計不安をかきたててしまっている節が見えます。そんなに不安を煽るのであれば、全員でしっかり検査して、その疑いを晴らせばすっきりするのではないかと思います。ここは世論の力で検査体制をしっかりつくるよう社会に働きかける必要があるかと思います。
 2021年1月中旬の新型コロナウイルスの感染者総数は約31万5千人、退院もしくは療養解除は約24万3千人、入院治療が必要な人は6万6千人、お亡くなりになった方4,380人です。一方現在、最も死亡率の高い病気はがんです。昨年の死亡数予測は約379,000人だそうです。年代の差異はあっても2人に1人ががんになり、3人に1人がそのため亡くなる確率だそうです。
 それに比べれば「新型コロナウイルス」は感染症ではあるものの、治癒が可能な病気で不治の病でないことは明らかです。確かに即効性のある治療薬やワクチンが開発途上なのは歪めませんが、がん治療も同様な状況にあります。万能薬が認可されているわけではありません。
 特に今回の「パンデミック」で分かったのは、危機管理のビジョンが国家に欠けていたことです。本来、危機と言えば軍事だけでなく、ウイルスも含めて温暖化や大地震などの自然災害もあることは周知の事実です。ところが発出された「緊急事態宣言」をみると、言葉だけは物々しいですが、単に個人や社会の活動に制約を課しただけのもので、それで事態が収まるとは思いません。
 まずは被害状況を正確に把握するために検査体制をつくることです。そして、被害を引き起こしている原因を見つけることです。正体は未知のウイルスと判明しているのですから、それもSARSやMERSの前例もあり、治療薬やワクチンの開発は待ったなしで国をあげて行うべきです。
 現在は症状が出てから検査して感染の事実を判定する手法で、結果、感染者数の増大は自明の理で被害を大きくしているようにしか見えません。症状が出る迄に1週間あることが分かっているのですから、何もない状態のところで検査を済ませておくことが急務です。誰が感染しているのか不明のままの現状では、わざわざ不安を煽るようなものです。
 人間は一人では生きていけないので社会を作り出してきたのは人間の歴史です。その営みを阻害してしまえば自己否定につながるでしょう。ここは、みんなで検査できるように行動すべきだと思います。まずは仲間を疑うのではなく安心して活動が出来るようにすることが大切だと思います。

近藤先生が講師となり「楽学の会」ほか区関係の共催であだち区民大学塾音楽講座が開催されました。
講座を開いての先生の思いを月例のお便りとは別に掲載しました。
  講座の特別お便りはこちら
 

令和3年3月

 2021年2月26日、第2回「音楽講座 呼吸と発声の仕組み~声を育てる」(NPO法人あだち学習支援ボランティア『楽学の会』・足立区・足立区教育委員会主催)の講師を務め、足立区生涯学習センターで実施しました。初回は「呼吸の仕組み」で今回は「発声の仕組み」がテーマです。
 呼吸の感覚を身に付け発声に結びつける活動が当「声を育てるエクササイズ」の目的です。今では指導の資格を得ている「Atem-tonus-tone」のメトードを発端に教室を開設し多くの方に参加頂き継続していますが、その内容の習得には、永続的な取り組みが必要なことが分かりました。
 というのも、呼吸は産声をあげて以来、その人の無意識の内で周囲の環境に影響されつつ育まれ、人格形成や価値観とも不可分なところがあり得ます。つまり人の生き様とも関係しているために、単純に呼吸や声だけを取り出し働きかけることが難しいのかも知れません。
 例えばレッスンでは、意識的な呼吸で足底までの筋肉に働き掛けて、呼吸を動かすよう指導することがあります。それに対し、訝しげに「先生、本当に足にまで呼吸って入るものなのでしょうか」と質問されることがありました。確かに外呼吸は肺と気道との関係ですから、空気の吸気と呼気の伸縮現象が、足で起こるわけがありません。足が呼吸しているようには見えません。
 ただし、意識的な呼吸の仕組みを使えば、足底にいたる筋肉に働きかけて横隔膜に影響を与え、呼吸の感覚を伝えることが可能です。実際、内呼吸は全身を巡る血液の作用で各細胞との間でガス交換が行われています。意識的に外呼吸を通じ内呼吸の感覚を養うことは不可能ではありません。
 この呼吸の感覚を身に着けないと意識に結び付かず習得が難しいのです。思考だけでは様々な感覚を伝えきれません。「足底に働きかけるようにして呼吸を感じてみて下さい」が指導の言葉です。
 そこから立ち上がる息に声を乗せる感覚が「声を育てる」であり、私たちのエクササイズです。それを身に付けるためには継続した合理的な実践が必要です。今度の足立区での2回の音楽講座ではパワーポイントを活かし、実践形式の呼吸と声の関係を定員の参加者に体験して頂きました。

 

令和3年4月

 3月21日に第4波が懸念されるなか東京都も緊急事態宣言が解除となりました。一方でワクチンの接種は全国レベルで一般の医療従事者は3月から始められており、4月からは65歳以上の高齢者、およそ3600万人対象に始める予定とのこと(東京都足立区では供給の遅れで5月中旬)。全人口の28.7%になります。その間2~3ヶ月はかかりそうです。オリンピックのスケジュールは7月23日(一部競技は21日)が開会式で、希望される様々な年代の方々へのワクチン接種が間に合うかどうか不明です。
 コロナ禍ではマス・メディアやSNS依存の情報の取り方が目立ち、身近な様子が忘れられがちです。例えば、わが合唱団員の皆さんは無事活動を続けられていて頼もしい限りですが、練習の中で気づくことがあります。長いことマスク着用のせいか、口周辺の筋肉が衰えているようで活舌が悪くなっている点です。そうと気付かず、こんな筈ではないと必要以上に力み喉声に陥ります。
 そんな時は初心に戻ってエクササイズを思い出してください。自分の中の自然な呼吸をベースにゆったりと空気を取り入れ(吸気)出したくなったら波のように息を返します(呼気)。何度か繰り返した後、口を閉じたままで、その息の波にそっと小さな声(寝息みたい)を短く重ねてみましょう。息から声に変るときに喉が引っかかった感じにならない様に少しずつ音を長くしていきます。次に体の中では吸気が満たされているときの感覚を持ちながら声を少しずつ長くしてみましょう。その一方で吸気はだんだん短めにしていきます。声帯に息が通過するときの振動が声です。
 声は喉に力を入れて出すのではなく、呼吸を通してのものだという感覚を思いだしたでしょうか。声楽の先生の「息を吸うようにして音を出しなさい」というのは、こうした仕組みをいうものです。喉や体に力を入れて大声を張り上げることの危険性は皆さんにとって既に常識でしたね。コロナ禍で見えた基本の一つです。

 

令和3年5月

 やっと終わりました。関係各位のご尽力、本当に有り難うございました。令和3年4月25日に東京都にも緊急事態宣言が発出され、思わず昨年第1回目の宣言を思い出しました。学校の休校や公共施設が休館となり練習が出来ない状況がややしばらく生じ、団員、オケ、ソリスト、関係者とも協議しコンサートを延期したのでした。
 今回、館自体は開館しましたが、内部の各施設が使用不可になっている事例が多くあり、かつイベントについては無観客の対応をとるよう要請がありました。ただ当方は延期公演でしかも本番直前のため、主催者の責任においての個別対応により認められました。当日のご来客は定員の2割程でした。
宣言が発せられてからの一週間は毎日がやきもきした状態でした。事務所にはお客様からの問い合わせが「無観客とテレビのテロップで流れているけど払い戻しできますか」など数件ありました。また、いつ公演会場から無観客や休館の指示が来るかが頭を過り、連日のニュースに敏感にならざるを得ませんでした。
 事前のオーケストラ合わせも別の区の施設でしたが、ここでも主催者責任の個別対応がなされ、会場の使用の人数制限が2割のところもあり、止む無く二手に分けての練習を考えた程です。幸い大きなトラブルもなく、きちんと一つ一つ本番に向けた準備が出来てホッとしました。
 公演前日には宮城県沖を震源とした震度5強の地震があり都内でも揺れを感じ、思わず10年前のコンサートのことを思い起こしました。公演予定していたホールの壁面が剥がれ落ちて使用不能との知らせを受けたのが一か月程前、急遽別の会場を探し運よく見つけることが出来、演奏会をやり遂げた経験があります。
5月2日、東京地方は朝から好天に恵まれていたにも拘らず、開場になる頃には雷が鳴り土砂降りです。それでも、表方も含め万全の体制を敷いてご来客の皆様の対応を取らせて頂きました。コロナ禍で2年ぶりの本番でしたが演奏そのものは非常に好評で満足頂けた旨のお声を多数頂き、感謝です。片付けが終わり外へ出ると、すっかり晴れ上がっており、どっと疲れが出て来ました。

 

令和3年6月

 数字とは面白いもので、カウントが嵩むと欲求の虫が蠢いてくる感じがします。当ホームページの新宿文化センター大ホールでのNAOコーラスグループ第23回演奏会の一演目「ベートーヴェン ハ長調ミサ キリエ」がYouTubeでアップ中ですが、「見る」をクリックすると視聴回数が自動表示されます。10日間程経過した今、100回超えでリラックスした気分にさせてくれます。
 これが、新型コロナウイルスの数字となると例えば都内での「1日あたりの感染者数や年代別の内訳、重症者数に加えて、検査件数や区市町村別の感染者数、死者数などの情報」が発表されますが、やはり上記とは別の欲求の虫の蠢きが感じられて来ます。どちらかといえば、丁度メタボの身の上の際に、体重の超減少?を夢見る心地の悪さです。
 年の数はどうでしょう。よく、幼少と老齢の期間の歩みが似ているのを指摘する方がいます。つまり誕生してからの経過する時間が、老衰に向かっていくそれと似通っていて、更にその後の成長と老化の具合も時刻や月日、年齢と過ごすスピードに類似性を感じやすいのだと思います。
子供には環境に対して持って生まれた時流による研ぎ澄まされた感受性がある様で、喋るようになると思いがけない言葉や表現を発するのを偶然見聞きします。そんな経験、親族に限らずありませんか。これに書き言葉や絵などが加われば何と!歴史、文化や芸術にもつながるはずです。
 一方で老人は過ぎ去った時代の時流が染み込んでいて、表現するものが若者に言わせればひと昔前のことになりがちです。新型コロナウイルスというよりは流行病や感冒といった方がピンと来やすいのです。世論という場合はその両方をもって双方向性に磨きをかけるべきで、目下の緊急事態宣言やオリンピック開催の課題も正確に今の時流を読み解くことが解決の一つだと考えています。

 

令和3年7月

 6月20日(日)新宿文化センター小ホールにて、呼吸法による「声を育てるエクササイズ」の第18回研究発表会を開催しました。初回は2007年4月で当時の「足立よみうり新聞」で「近藤氏は、合唱指導に『呼吸法による声を育てるエクササイズ』を取り入れている。身体を楽器としてとらえ、深い呼吸から確信のある声を導くことを目標としている」と記事になりました。
 さて、元号も平成から令和に変わり、コロナ禍という様変わりした時代に突入しての研究発表会となりました。「私達の生活が一変してから1年半。細心の注意を払って練習を続けてまいりました。この新型コロナウイルスの対応策も国や人によって様々です。操作された不確かな情報の中に私達が生きていることも以前よりはっきりと見えてきました」。
 その背景には、本年6月下旬のある時点で、国内で感染が確認された方は790,025人、お亡くなりになられた方が14,576人。世界では179,158,295人が感染し、死亡者数3,882,237人というデータがあります。現在でもこのウイルスは変異株が出て猛威を振っています。情報の始まりは2020年初頭で、未知のウイルスの存在と治療薬もワクチンも無い状況に万人が矢面に立たされ、ロックダウン等で社会活動が停滞し世界中で大きな影響を被ったことは周知の事実です。
 上述の発表会のプログラムの冒頭のご挨拶は、そのような現実を踏まえたものです。昨年12月からワクチン接種が世界的に始まりましたが、未だ新型コロナウイルスの治療薬は無く不安定な日々が続いています。幸いなことにこれまで私達の活動の中で感染の例はなく、これからも生命の源である呼吸と社会生活上に必要な声とが関わる感性を養いながら、エクササイズ及びコーラスのささやかな活動を通し、健康と文化芸術の活動の両面を維持していきたいと思います。

 

令和3年8月

 令和3年も1年の半分が過ぎました。この間、緊急事態宣言の発出が東京都で3回ありました。 ただ、公演会場の各施設から自粛要請は出されましたが、昨年の様に休館による中止はありません。お陰様でお客様のもと、5月2日の当団の第23回演奏会、6月20日の第18回研究発表会、7月4日の足立区合唱連盟主催の第24回海の日ジョイントコンサートと舞台演奏が叶いました。
 しかし、演奏会に臨むにあたり、コロナ禍という例年にない状況は特異です。お客様に感染防止の観点でチケットにご住所と電話番号を記入して頂き、3密防止など様々な対策を表方スタッフを通し実施させて頂き、一方出演者には消毒や検温の徹底は当然で、楽屋での食事や着替えの制限、合唱の場合は舞台上の左右前後の距離やマスクの着用など順守するよう、まさに天手古舞です。
 ところが、合唱活動を取り巻く環境は、たとえ練習でも自粛が前提で厳しいものがありました。誰かからうつされるのでは、かつ自分が感染して周囲にうつしてしまうのではないかという自問自答が毎日の様に続き、モチベーションを維持するのに随分と苦労されたかと思います。
 まして、7月に入り世界のオリンピックが東京で開催されています。開幕から6日後の東京都の新型コロナウイルス新規感染者数は3,865人と過去最多になりました。日毎のマス・メディアによるニュースは社会の分断にもなりかねない内容さえ呈してきています。
 憲法にもある人身の自由と感染防止を目的とした公共の福祉による活動制限の鬩ぎあいが1年半以上続いています。未知のウイルスの人から人への感染ルートに対し、社会活動ではマスクの着用などでその防止の工夫を凝らしてきました。そうした最中で新規感染者数が増大したのは、政策も含め必ず原因があるはずです。月並みですが冷静にそのことを問う必要があるかと思います。
 いずれにしても、9月公演に向けこれまで着実に身に着けてきた当団の活動を活かしましょう。

 

令和3年9月

 前回のお便りで5月からのお客様を入れての公演に触れましたが、今度は秋の公演の現状です。
1月から東京都では緊急事態宣言がまん延防止等重点措置も含めて延長していることは周知の事実です。ただし、昨年の3月の様に、「施設の使用停止」「イベント開催の停止」という要請はありません。イベントの開催に際しては収容定員の50%(5,000人まで)や午後8時までの期限付きの開催が一般的になりつつあります。
 公的な施設の関係者の方にお聞きしますと、どんなイベントを開催するにしても必ずと言っていいほど、なんでコロナ禍という情勢でそんなイベントをやるのかというクレームがあるそうです。
勿論、ごく稀ではありますが、その場合でも十分失礼にあたらぬよう応対されているとのことです。
 1953年に日本ではテレビ放映が始まったようですが、「7月23日NHK総合で生中継された『東京2020オリンピック・開会式』(後7・56~11・51、235分)の平均世帯視聴率は56・4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことが26日、分かった」「前回1964年東京五輪の61・2%(10月10日後1・43、147分、NHK総合)に迫る驚異的な数字。瞬間最高視聴率は61・0%(午後8時25分、同8時26分、同8時47分)に達した」とインターネットの記事にあります。視聴率と視聴者数とは違うそうですが、国民の半数ちかくの人がどういう形かで、この世界的な無観客のイベントに接していたと想像しています。
 まさにテレビというメディアにどっぷり嵌まっている感じがしますが、そこで表現される様々な形態での新型コロナウイルス感染及び防止の情報が、それこそ人々に入り込み影響を及ぼす事実を散見します。テレビで言っていたという表現で、コーラス活動について相談されることがあります。
 呼吸を介し合理的に全身を使い歌うという行為は免疫を高める意味でも有益で、ただし空気感染の事例もあることから、マスクを着用し距離を保ち換気を心掛け、検温しかつ不特定多数の密にならなければ、決して心配されているような状況にならないですよとご説明しています。
 本番が近づいています。いつものように安全を心掛け練習に集い、元気を得て生活しましょう。

 

令和3年10月

 「歓喜の演合唱団」、足立区ギャラクシティを中心に公演ごとに一般公募で活動する合唱団です。この9月12日(日)に山田実氏による口語日本語訳、編曲の「マタイ受難曲」を公演しました。バロック音楽時代の巨匠バッハにより作曲され聖トーマス教会にて1727年に初演されたものが、1世紀を経て同じドイツ人であるロマン派の作曲家メンデルスゾーンにより復活上演され、長らく忘れられていたバッハの再評価につながったという、歴史的曰くのある著名な音楽作品なのです。
 新約聖書の26・27章のマタイによる福音書の「キリストの受難」が主題で、テノールの福音史家とバスのイエスにより受難曲が進行し、以下ユダ、ペトロ、ピラト、大祭司などの登場人物がレチタティーボやアリアで表現されます。コーラスは民衆など多彩な役どころで、コラール(教会の讃美歌)とバッハが聖書の言葉を作曲した部分を歌います。
 そもそもドイツ語の歌詞であり、口語日本語版にした場合、本来の楽譜上の音符だけでは過不足が生じます。指揮者、オーケストラと譜面の担い手、更に歌い手とで、合わせの段階で調整作業が随分とありました。ただ、それぞれが苦労しただけに良い公演を作り出したいという協調性のある情熱を感じとれたのは良い経験でした。
 演奏会の環境がそもそも緊急事態宣言の発出とその延長の最中にあるという、極めて過酷な情況です。実際、新型コロナウイルスの感染拡大防止が、たとえ2回のワクチン接種があったとしてもパーフェクトではなく、接種のタイミングにより如何様にも変化しそれに対応出来るかどうかは分からないというのが実情の様です。
 ともかく演奏する側もそれを鑑賞して頂くお客様にも最善を尽くしての公演だったと思います。幸い「日本語で分かり易く良かった」との多くのお声を頂き感謝感激です。次の公演は2週間後のNAOコーラスグループによるもう一人のバロックの巨匠ヘンデル作曲「メサイア」です。引き続き頑張りますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

令和3年11月

 現在、当方のホームページ(https://naokoinfo.com)で第24回NAOコーラスグループ公演のG.F.ヘンデル「メサイア」から「ハレルヤコーラス」の動画をYouTubeで視聴出来ます。
合唱には響きを持つハーモニーの醍醐味があります。演奏会場を包み込むような人の生声の響きに、お客様が魅了されることがあります。勿論そのためには、響きを持たせる歌声の方向性を舞台に立つ歌い手それぞれが持ち合わせる必要があります。
 側鳴りするような歌い方ではハーモニーは作れません。一人の声が突出するためほかの声を消してしまうからです。響きを持つ歌声に他の人の声が混ざり合い溶け合うことの方が大切なのです。
 ともすれば張り合って競い合う大声大会になりかねません。その場合、たとえ張りのある大きな声だったとしても、溶け込めずに声の筋がいくつも出来てしまい、お客様からしてみればバラバラの音楽になりかねません。
 それでは折角の作品が台無しになります。ましてミサ曲の場合は何よりもまして心地よさが求められ、美しい響きに抱擁されることが望まれます。突出した声楽ではなかなか叶えられない贅沢な複数の人が合わさった音色なのです。
 NAOコーラスグループは以前に比べ3分の1ほどの参加者となり、しかも合唱歴が長い分だけ高齢化が当たり前となりました。そのため若い方と歌い合う場合、声の張りの点だけ見るとこれはどうしようもないところがあります。
 しかし、呼吸を通しての様々な声を融和させる力は日頃の練習で維持してきましたので、上手にそうした声を取り込むことでほかにはない、NAOコーラスグループらしい音色の演奏をお聴かせ出来るかと思います。実際、上記の動画ではそんなシーンを垣間見ることが出来ました。
 次回は新曲2曲です。本番まで少し時間がありますが、コロナ禍の経験を風化させずに、しっかりした目標をもち頑張りましょう。

 

令和3年12月

 第24回公演の「ハレルヤコーラス」の動画をYouTubeで視聴しながら「声を育てるエクササイズ」の本をパラパラとめくりました。初版が2009年の12月15日刊行とあるので、何と12年を経たことになります。
本の「はじめに」でこの書籍の刊行に至った動機が記されています。エクササイズの礎でもある「身体感覚」を取り出し、受講者に会得してもらいたい呼吸や声の感覚を、言葉で補いながら身体への働きかけを促します。ところが、個々にあっては既に日常で身に付けた習慣があり心身自体にギャップが生じ、感覚にまで辿り着けない事例を多く発見します。
 一方、指導者にしても最初からその感覚を持っていたわけでもなく、その変わり目をしかと言葉で断言出来ないという感覚の綾に直面します。その綾を解いていこうというのが、この書の目的で多分に冒険的な試みでした。
 例えば主題である、「呼吸」の吸う、吐くもまさに感覚の綾で、受講者には能動的につくり出す「呼吸の深さ」に抵抗があり、身体との結びつきに辟易してしまいエクササイズの途中で投げ出す方も少なくありません。「坐骨」「骨盤底」「臍下丹田」「横隔膜」など身体の中央部位から「足底」へと感覚が結びつくためには、個々によってそれ相当の歳月を待つ必要があるのです。
 当方の研究生たちの素晴らしいのは、この人生の深みにはまる綾に果敢にトライして頂いていることです。呼吸なんて当たり前のことと高を括りたがるところ、胸にスッと落とす拠り所を感覚として持っている人たちにエールを送らざるを得ません。
 歌にとりもう一つ重要な「声」があります。これも当たり前の行為ですが、やはり綾があります。「反回神経不全麻痺」、音大生の頃に出くわしたこの病によって「声」の出ない運命に直面します。鼻骨や額、顔の前面への響きのリハビリを通して呼吸と声帯との関わりが感覚として結びついたのが不幸中の幸いでした。
身体全体で感じる「呼吸」は声帯を通過する際に生ずる振動を付加させて響きを導き出します。これに音程が付くと歌声になります。こうした歌声の集合体がコーラスです。第25回演奏会に向けて練習が始まりました。グレゴリオ聖歌を主題にしたデュリュフレの「レクイエム」が新年から加わります。楽曲を通して「呼吸」と「声」の感覚の綾を解いていきたいと思います。

 

令和4年1月

 新型コロナウイルスが人類の感染症として猛威を振るうこととなって3年目に突入します。当初のニュースは令和2(2020)年1月中旬で「厚生労働省は16日、中国の湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルスによる肺炎の国内初患者を確認したと明らかにした」とあります。武漢市に渡航歴がある方で、6日の帰国迄に既に発熱の症状があり、その後更に高熱となり、肺炎の悪化の兆候も見られ入院、15日夜に国立感染症研究所の検査で新型ウイルスの陽性結果が出ました。
 この頃は未だ移動などの接触で人々への感染は厳密に問われておらず、市中感染のリスクはあったかと今では思います。一方、1月下旬にかけ武漢ではロックアウトとなり、中国の感染者も6,000人を超え、重症急性呼吸器症候群(SARS)よりも上回り、台湾ではかなり防御策が施されていました。日本では武漢からの渡航者の感染が毎日1人ずつの割合で判明されています。
 そんな最中、武漢市からのツアー客を乗せた日本人のバス運転手への感染がニュースとなります。
また2月に入ると、1月に都内の個人タクシーの組合支部の新年会の会場となった屋形船に参加した人たちの感染が判明。この屋形船では中国からの団体客を受け入れておりその際に従業員が感染したらしく、それがクラスターしたかのような経緯です。要は春節もあり中国からの渡航者がかなりの数で日本に来ており、国内での市中感染が秒読みになっていた状況が伺い知れます。
 更にクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」が横浜の大黒ふ頭沖に停泊し、検査の結果クラスターの発生が判明。この頃、国内のマスクが品薄になり、日常の社会活動にも影響が出て来ます。
 新型コロナウイルス感染者数の累計の推移では、2020年3月迄に3桁となり、4月になると4桁の2,000人に達し、5月には5桁の14,000人台、8月は37,000人で、11月には6桁の10万人を突破、2021年1月は24万人台、同年5月からは10万人ずつ増え、延期の東京五輪の8月は94万人台、9月は7桁の150万人台で、今の時点では170万人台だそうです。
 「オミクロン株」が世界で猛威を振るっている現状を見ると、国内では以前より新規の感染者数が減少傾向にあるとはいえ、コロナ禍であることに変わりはありません。この期間の経緯は歴史的教訓として水際対策も含めしっかり検証していくことが重要だと思います。

 

令和4年2月

 あけましておめでとうございます。
 コロナ禍、東京オリンピックが延期され、翌年開催され、この1月で3年目を迎えます。なぜか「コロナ」と聞くだけで童心に帰った気分になります。口コミやマスコミから情報が伝わるたびに「なんで?」と訊き返したくなるからです。
 そもそも風邪を引き起こし、他の人にうつす原因はウイルスにあります。その一つがコロナで、電子顕微鏡で見ると丸い粒子の周囲が突起に囲まれ王冠に似ておりラテン語で命名されたとか、1964年にカナダのがん研究所で発見。更に21世紀に見つかったSARSやMERSのウイルスを加えると6種類となり、人の細胞に入り込み増殖し感染症を起こす病原体が警笛を鳴らします。
 2019年12月、中国の武漢で上述の6種類とは異なるコロナウイルスが患者から発見され、「新型コロナウイルス」、「COVID-19」(コビッド・ナインティーン)とWHOで呼ばれました。
 一方、インフルエンザウイルスは「1919年に日本人の医師山内保博士が」「細菌ではなくウイルスに拠るもの」との報があります。スペイン風邪の最中の発見です。例年国内で1,000万人程の感染があるインフルエンザもウイルスが発見されたのは100余年前で、ここ2年減少とのこと。
 他方、コロナウイルスは「変異」がお家芸らしく、株の名前が変わっていきます。「ベータ株」「ガンマ株」「デルタ株」「オミクロン株」で、各段階で遺伝子情報の一部が変化し性質にも影響が出ます。日本の感染第5波(2021年の6月~9月)の主流は「デルタ株」でした。
 そして今の第6波は2021年11月南アフリカで確認された「オミクロン株」。海外では昨年末~新年にかけ猛威を奮い、1日の感染者数がアメリカで年明け早々に108万人(日本では1月22日現在、5万人を突破、累計の陽性者数は207万余人)との数字が読めます。
 「オミクロン株」の特徴は、感染力の強さ、潜伏期間の短さ、若年層の感染、上気道への炎症が多く、重症化しにくいなどと言われています。日本でのワクチンの接種が7~8割へと進むなか、新種の変異株を抑える効果に多少影響があっても、重症化予防の効果を説く見解もあるようです。
 コロナ禍3年目となった今、これまでの経験を活かし、学習し、今後の活動に役立てたいです。

 

令和4年3月

 東京都では「まん延防止等重点措置」が3月6日まで延長されました。確か2021年に開催の東京マラソンは当初の3月から10月17日(日)に延期され、ところが「7月以降の変異株(デルタ株)による感染拡大とそれに伴う医療の逼迫状況」により見送られ、2022年3月6日(日)に再延期されたとのことでした。そのため同日に計画の東京マラソン2022は無くなりました。
 その2022年も当初からやはり新型コロナウイルスの変異株(オミクロン株)による感染拡大と医療逼迫が起きています。懸案の東京マラソンは一般ランナーも含め約2万5000人規模ですが、「PCR検査や体調管理アプリの登録を義務化」し開催されるとのことです。なお、「新型コロナの重症化リスクが高い65歳以上の高齢者に対しては、出走見合わせも考慮するよう呼び掛ける」とのこと。いずれにせよ、イベント開催の大小を問わず、大変な時代に直面しています。同時期の1985年以来開催されていた墨田区の「国技館5000人の第九コンサート」は3年連続で中止となりました。
 コロナ禍が長引くにつれ、世の中にも変化の兆しが見えます。学校現場では、授業を始めとした教育活動が虫食い状態になり、昔流の「良き師、良き友」の学風が維持出来ないとの話を伺います。
音楽の活動も然りです。合唱の場合、集合が難しくなりリモートで活路を見出そうとしますが、声の響きとか視野とかが全て【 】(かっこ)付きになるので臨場感が乏しくなり支障が出ています。
 特に呼吸を応用した動作では、この臨場感を基礎にして発声に結び付けたり、リズムを取ったりすることが多いため、その影響は測り知れません。地に足がつくように声を出しましょうと言っても、こちらの呼吸を通した足底が画面の中に吸収されてしまい、響きを伝えにくくなっています。
 呼吸は生命体の働きなので、人工物とはおのずとギクシャクしてしまいがちです。とりわけ人体の内面の様々な働きとも連動しているので、膨大な化学反応を引き起こしているはずです。実際、人間の心とも結び付いているので厄介極まりないのが呼吸です。
 幸い、NAOコーラスグループでは会場を通しての練習が継続して出来ているため、少なからずコミュニケーションもとれています。このまたとないチャンスを存分に活かし、楽譜を縦横無尽に活用して、良いコーラスを作り出しましょう。

 

令和4年4月

 「声を育てるエクササイズ」の研究発表会がもう直ぐです。この時期になると当日の衣装のこととかでそわそわ、とりわけ暗譜の緊張が増してきます。19回目になるので、何度も舞台の経験があるにも拘わらず、何故か歌の途中で歌詞が飛んでしまう悪夢が脳裏に浮かんで来るようです。
 私たちの発表会では選曲を参加者自身が決めています。そのために「歌曲クラス」を作って、日本歌曲やイタリア歌曲、最近ではドイツ歌曲にも取り組み、月1回のペースで地道に1曲ずつ皆さんと練習して、発表会の選曲に役立てています。例えば「ベッリーニ」「トスティ」「ドナウディ」「シューベルト」「メンデルスゾーン」「ブラームス」「シューマン」などの声楽曲やリートの作品に触れることで、合唱曲ともリンクし音楽の世界感も広がり、楽曲へのより深い理解につながっています。
 一方で「声を育てる」という大きな目的があります。単なる"のど自慢"ではなく、世界で唯一の私という身体を根拠とした楽器から、正に生きている証である呼吸の機能を使って声に変換し、内面からにじみ出る音色で表現した唯一無二の歌の世界を生み出します。
 身体と声が等身大で一致しているときの心地よさを体験することはとても貴重で、在りのままの自分への肯定感につながります。理想を追いかけた作り物ではない本物です。大自然の中で深呼吸しているような気持ち良さと安心感、喜びがあります。現代社会では感じにくくなってしまったものを、声を通して取り返すことができるのです。そのためには少し時間もかかりますし、練習も必要です。その時間は人によって随分違うのですが、欲張らず、諦めないのが秘訣です。
 私達の声は呼吸している限り、特に器官に問題が無ければ息とずっと一緒にいます。どこでも、切れることがありません。脳や意識が忘れていて;;;も心身はその存在を忘れることはありません。
研究生たちは経験の度合いはまちまちでも、今の自分と向き合い声と会話しながら歌っています。今年はアンサンブルも含め、とても楽しみです。手間をかけた分愛着があります。
整理券は研究生かインフォメーションにお求め下さい

 

令和4年5月

 「第10回あだち五色桜マラソン」(同実行委員会主催)が足立区の「江北橋緑地」で3年ぶりに開催されました。2回の中止は周知の通り、新型コロナウイルス感染拡大防止の緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の発出のためで、度重なる期間延長の影響も相当にありました。
 大会を開催するにあたり、競技の会場やコース使用の承認を受けなければなりません。その申請は半年以上も前の提出で、しかも一般のランナーが対象なので募集期間も含まれます。このことは、音楽のコンサートを企画する場合も同じです。演奏のためコンサートホールの使用は必須で、本番の1年前から会場使用の権利を得るために競合状態になります。
 そのため、予測不能なことが勃発するとどうにもなりません。昔から自然災害のような不可抗力な事態は想定されていますが、大地震などの超一級の災害はそうそう遭遇するはずもなく、私たちのマラソン大会も第7回までは実施出来ました。ところが、今回のウイルスの感染となると随分様子が異なり、割り切れないことも多々経験しました。
 まず、自分の身が感染していない場合でも行動が制限されてしまうこと、また、対策を講じたとしても会場の使用が禁止になることが多くありました。また、メディア等で感染を前提とした情報が氾濫し判断不能に陥るなど、感染ウイルス自体が得体の知れない存在のため不安や不満が増幅します。そんな状態なので、イベントを企画する側は相当の誤解を受けたのではないかと推察します。
 幸い、2022年の「あだち五色桜マラソン」は全国から1,200名程のランナーの申込がありました。当日は昨日迄の雨が嘘の様に晴れ上がり初夏を思わせる様な陽気で、熱中症が心配される程でしたが、大過なく無事に終了出来ました。実行委員会に携わった者として、関係者の皆様には本当にご苦労様との思いで一杯です。また、五色桜の地元の人たちのご協力は骨身に染みてありがたく思いました。今、世界を見渡すと決して幸せとは言えない状況が続いています。一日も早く自由で平和な日々が訪れることを願ってやみません。

 

令和4年6月

 5月3日(火・祝)に第19回「声を育てる」研究発表会をタワーホール船堀の小ホールで開催致しました。コロナ禍のGWでしたが、緊急事態宣言、まん延防止等重点措置も発出されず80名弱のお客様にお出で頂きました。
 第19回目となる今回の舞台は日頃のエクササイズでの取り組みが功を奏してきたのか、例えば暗譜でも頭で歌詞を考える素振りが少なく、全身を使った呼吸の中で歌のフレーズを表現しようという姿勢が見えて来ました。
 声については、高音を発声する際にまだ喉元の筋肉を緊張させている所がありましたが、エクササイズでの発声の成果も出てきたのか、いつもより張りのある声を聞くことが出来ました。
今回はプログラムのご挨拶分でも記しましたが、赤ちゃんの「胎盤呼吸から肺呼吸へのドラマチックな大転換」から、「無意識呼吸、意識的呼吸、情動呼吸、胸式呼吸、腹式(横隔膜)呼吸」とその用途に合わせて、環境に応じて肺呼吸も様々に変遷を辿っていきます。
 当然、呼吸が変われば連動している発声にも様々な影響が出るはずです。そのために「意識しなくてもできることをわざわざ意識しすぎてしまったり、意識しなければできないことに意識が回らなかったり、常にいろんなことが」起こるわけで、その都度原点に戻る必要が出て来ます。
 特に歌うことが好きな皆さんにとっては、歌う度に気付かされることが結構あるかと思います。「自信を持って気負わず、落ち着いて作品と向き合い、詩を、音楽を、共鳴する身体を、声を丁寧に楽しんで」歌えたら一番ですが、なかなかそこまでは、という方もいらっしゃるはずです。
 私たちのエクササイズでは、「習う事よりも慣れましょう」と息の長い活動を呼び掛けています。まずは呼吸に働きかけることの経験を積み、効果的な発声を手に入れる具体的なアドバイスに耳を傾け、それを手掛かりにご自身の呼吸と歌声のライフワークを手に入れることが重要です。皆さんもどうぞ研究生になって、舞台に立ちませんか! コロナ禍を生き抜く歌仲間が沢山いますよ!

 

令和4年7月

 本年の夏至は6月21日でした。それから一週間後になんと東京は梅雨明けになります。例年は6月7日あたりが入りで明けはひと月以上先の7月の海の日頃です。今年も入りは例年と変わらないのですが、明けが6月27日と極端に早まりました。1951年の統計開始以来、最短だそうです。戻り梅雨なんてないでしょうね。
 そして酷暑、梅雨明けまでの4日間が、32.6℃、35.4℃、36.2℃、35.7℃と猛暑日が続いています。熱中症に要注意です。症状は色々あるようなのですが、めまいとかけいれん、吐き気など熱さが原因で起こる普段とは違う身体の変化を見逃さないことが大事です。なお、6月最終日の気温36.5度は都心の6月の記録としては1875年以来最高だそうです。温室効果ガスによる地球温暖化の影響でしょうか。こちらも無関心ではいられません。
 高齢になると水分補給が難点になると伺います。喉が渇いたという感じがあまりなく、まあ大丈夫だろうと過ごしやすいとか。これは感覚機能が衰退しているためなのか、認知症的な要因が脳のなかで勃発しているのか定かではありません。
 身体のなかで水分を蓄え易いのは筋肉の細胞だそうです。筋肉に働きかける運動をこまめに実践されている高齢者には朗報です。声を育てるエクササイズの実践者にも該当出来るでしょう。その反対に脂肪の細胞は水分を蓄えにくいとか。お腹周りを気にされている方、要注意です。いずれにしても脱水症状はリスクが大きく絶対に回避すべきです。生活習慣のチェックは不可欠です。
 声を響かせるための呼吸では、体全体の筋力はリラックスの方向にあります。これは筋肉を使わないという意味ではありません。重心を足底に置き地面に対して働きかけることで全身の筋肉にも効率よく連動し声の響きをつくり出します。歌うことは呼吸を使った全身運動なのです。
よく見かけるのは喉の周りや一部分の筋力を沢山使って発声しているケースで、全身のバランスが崩れ声自体も固くなりやすいようです。
 さて、コンサートが近づいています。マスクの使用や間隔を空けるなど新型コロナウイルス感染防止の対策は施し、かつ脱水症状などの暑さ対策にも十分注意を払い、演奏に向け邁進しましょう。

 

令和4年7月(その2)

 「海の日ジョイントコンサート」の出演、ありがとうございました。折しも新型コロナウイルスの感染拡大第7波の時期と重なりました。コロナ禍も3年、デルタ株、オミクロン株、そして今度は「BA.5」への置き換わりと息つく暇もない毎日です。
 そんな状況下に政府分科会は「まん延防止等重点措置のような行動制限は必要ない」との意向を示し、国も都も同じで「基本的な感染対策の徹底」の呼びかけがありました。ところが寝耳に水で、区からの開催自粛のお願いが本番の4日前、3連休の前日に出されたのです。
 当合唱連盟で開催が決議されてから理事長はその都度区の所轄部署と連絡を取り合っていましたが、今回はあまりに急な自粛要請だったため、かつ内部でも対応が割れたことを先方に伝えた結果、協議となり条件付きの開催の認可が出たとのことでした。その条件とは、「出演者・スタッフ全員のPCR検査又は抗原検査の陰性証明(簡易キットの場合は陰性結果を写真も可)」「出演者が客席に行かない事」「積極的な集客をしない事」です。
 皆様に多大なるご苦労をお掛けしたのは、PCRや抗原検査の陰性証明の手続きにあったかと思います。まず、この検査の陰性の有効期限が発行からPCRで3日、抗原検査は2日の猶予しかなく、本番当日が含まれる必要があるため、早めの検査が出来ずに二度手間になった方もいました。
 また、そんなに喫緊な検査体制があるのかと思えば、例えば濃厚接触者でしか受けられないとか、条件がその都度変化していました。既に検査の予約がいっぱいだったとか、結果が15分で出る抗原定性検査キットが薬局によって在庫が少なく、無料(条件付き)でなく有料だと3,000円を超す代物もあったそうです。更にPCR検査の場合、その通知がいつ届くかで混乱もありました。翌日に通知という場合もありましたが、3日目の24時間以内というのもあり、本当に陰性証明が必要な時刻に間に合わないケースも出て来ます。
 「海の日ジョイントコンサート」は2つの出演団体の辞退はありましたが、概ね日頃の練習成果が発揮され、学生・生徒と一般による多彩な演奏にお客様も喜んで頂けました。直前の苦労も報われます。抜き打ち検査の様になりましたが、コロナ禍で感染予防に日常努め、コーラス活動に参加されて来られた皆さん全員が陰性で常日頃の対応に不備がないことが証明され喜びに堪えません。

 

令和4年8月

  今回は新型コロナウイルスの検査をして感染だった方の様子を伺うことが出来ました。2週間前には陰性だったので、毒でも盛られたようなイメージだったそうです。
 兆候が出たのは喉の違和感で、低めのドスの利いた声しか出なくなり耳鼻咽喉科の先生に見てもらうところ、何故か抗原検査キットの要請に変わりました。たまたま鼻腔ぬぐい液のものがあり使って頂きました。結果、キット上の『C』『T』に各1本の赤いラインが出現しました。
 急遽、発熱外来のある医療機関に受診の予約をとろうにも全然つながらず、ニュースでは東京都の感染者数が3万人を超え逼迫した現場の状況が伝わってきます。体温は36℃台から変化せず、喉の調子も薬局の薬で和らいでいることから救急車を呼ぶほどではないと判断したとのこと。
 大切なのは、体調を崩した際に新型コロナウイルスの感染にまで意識が及び実際自ら検査をしたことにあります。恐らく何か虫の知らせがあったのかもしれません。また、不用意に動き回らなかったことも功を奏し、例えば合唱の場に居合わせていたらクラスターにもなりかねませんでした。
 何とか通院している病院で検査が出来、陽性と判断され、発熱などの重篤な症状もないことから軽症、無症状のケースに該当し10日間の自宅療養となりました。この新型コロナウイルスに効く薬はなく、たとえ3回のワクチンを接種してもかかってしまう不条理に悩まされたそうです。
 10日間の自己免疫によるウイルスの治癒についても、いろいろと疑問がわいてきてしまいます。ウイルスが死滅するという確率はどれほどのものなのでしょうか。また、療養期間が終わった際に確認の検査をしなくても大丈夫なのでしょうか。幸い濃厚接触の家族の感染は皆無とのことです。
 療養後の検査については、保健所からは抗原検査のキットでは死滅したウイルスに反応してしまうことがあるとの説明を受けたそうです。しかし解除された日に事務所に来られた際に、手持ちのキットで検査をしたところ、『C』のラインだけの反応だったので安心しました。
 実際、ウイルスに感染しているか否かの判断は検査しかなく、1年365日分の検査キットを各人に無料で常に用意する必要があります。また検査を義務付けられるのか、かつ感染の有無についての表示は個人情報保護の観点もあり、どこまで法律で縛れるかは甚だ疑問です。
 いずれにしても21世紀の医学・科学の叡知でもってSARS-CoV-2感染の撲滅に取り組んで頂きたいというのが率直な願いです。
 

令和4年9月

 本年は梅雨明けの時期からすっかり季節感が薄れ、むしろ地球温暖化の真っ只中に放り込まれ、全国各地で暑さや集中豪雨のデータが記録尽くしの夏となりました。一方、新型コロナウイルスも株の変異で猛威をふるい、日本では感染者数などが過去最多を更新しつつあります。
 人類に対しての試練なのでしょうか。一方で、科学技術の面では携帯電話などのIT分野の変貌がSNSにも多大な影響を及ぼし、それが世界中のメディアへ拡散しマス・コミュニケーションのあり方に、昨今の社会情勢をみると、不安定な局面を与えているような気がします。
 特化した専門分野の内容が赤ん坊の手の届く所まで垂れ流されているリビングルームなのです。哲学と睨めっこしている幼子の様子は滑稽でさえあります。ただし、その口から「Sein(ザイン)」などと発せられようものなら、びっくりたまげてしまうのではないでしょうか。
 戦後77年の歳月が経ちました。NHKのスペシャル番組で『「エゴドキュメント」で見えるリアルな太平洋戦争』が放映されました。「エゴドキュメント」とは戦争の間に書かれた多くの個人の日記を今日の取材で明らかにしたものです。本来、日記は誰かに見られずに心の内容を記したもので、検閲など制約の多かった戦時中では恐らくギリギリの精神状態で言葉にしたかと推測します。その意味では、今のSNSは瞬間的な本質の伝播で歴史的価値が薄れてしまった感があります。
 原爆の投下もあった第二次大戦後、他国を一方的に武力侵略するような事態はもう起きないと信じていた常識が覆されました。垣根を越えて自由に情報が行き交う世界を手にした矢先に、自然とは全く関係のない、人間の暴力による情報やエネルギー、食糧の遮断という事態が勃発したのです。
 これでは、人類がこの地球で生存する意味は無いというシグナルを宇宙にわざわざ送っているものと強い不安を覚えます。私たちの音楽活動ではミサ曲やレクイエムを歌い込んでいますが、一刻も早い平和の回復を祈念します。

 

令和4年10月

 昨年の65歳以上の高齢者の人口は3,640万人で全人口の29.1%とか。その内100歳以上の方は86,510人だそうです。また高齢者に限らないのですが、介護を必要とされている方は約500万人を超えているようです。
戦時中に家で所有している金目の物をすべて放出するように命令された経験を持つ祖母は、子供や孫達に「物は取られることがあるけれど、頭の中の宝物は盗られないから沢山学びなさい」と口酸っぱく説いていました。その言葉を長く信じていましたが、最近介護をしている最中、頭の中の宝物も無くなってしまうことを知りました。
 一方で、トラウマになるような感情と結びついた衝撃的な記憶は残るようです。"感情と結びついた記憶"まさに音楽は常に感情と結びついています。歌詞、リズム、メロディ、ハーモニー、あらゆるところに存在する感情。様々な感情と一緒に歌い音楽を聴く、だから素直に感情と結びついて歌っていた子供の頃の歌はいつまでも覚えているのかもしれません。素直に反応し、全身を使って奏でる歌は私達の深いところの記憶に残るのでしょう。
 心が喜ぶことを自分の意志で行い、研究し、常に努力して楽しむこと。これからの高齢化社会を気持ちよく生き抜く方法ではないかと思います。私たちの合唱団にはそれを実践している強者が沢山いらっしゃいます。そして合唱が総合的で最適な楽しみだと改めて感じます。
 現在、当方の最高齢者は89歳です。基礎講座にも参加して常に挑戦する現役バリバリ。とても心強く思います。皆さんと一緒に困難な時代ながら楽しんで乗り越えていきたいと思いました。

 

令和4年11月

 今年の干支は壬寅(みずのえとら)でした。新しく成長するという運勢があったようですが、如何でしたでしょうか。ちなみに令和5年は癸卯(みずのと・う)だそうです。こちらの方は今までの努力が実り始めるとか。なんとも順風満帆に見えますが果たしてどうなることやら。
 メディアでは令和3年の「Go Toキャンペーン(ゴートゥーキャンペーン)」に続き「インバウンド消費5兆円超」といった、最近の「観光」の状況がニュースとして喧伝されています。
一方、私の周りでは最近の物価高に音を上げる声が厳しく、また、「介護」に取り組む人たちの四方山話には事欠きません。失敗談をお伺いしても決して他所事とは思えない切迫感があります。
 そんな中、テレビでは空襲警報や爆弾の破裂する生々しい音が毎日の様に聞こえてきます。決して昔の記録の映像や音声ではなく、まさに今、起きている世界のニュースなのです。決して自分の生活している場所で起こっている惨事ではありませんが、こんな現実が我が身に降りかかったらと想像すると背筋が凍ります。
何時もの様に合唱の練習が終わり今日の出来具合をあれこれと振り返り、今度は何をどうしたらよいかと頭を廻らします。ただ、一人山にこもり暮らしていませんので、帰れば種々雑多のことが当たり前にわが身に降りかかります。「Let it be」(放っておけ)というわけにいきません。
 ふと、随分と歳をとったものだと感じます。子どもの時分、確かにあの頃、大人たちは自分とは全く別の世界にいる生き物だと決めつけていました。成長し実際にその社会で揉まれる事になると、色々の決断に対して、もしこうだったら今の自分はいるだろうかとついつい妄想にふけります。
 さて、デュリュフレ作曲の「レクイエム」は、グレゴリオ聖歌に起因した曲想でもあり、混迷を深める現代人の心の奥底に安らぎを覚えさせてくれる音楽です。その境地に向かっての合唱、いよいよラストスパートです。NAOコーラスグループ、頑張りましょう

 

令和4年12月

 11月23日(祝・水)ギャラクシティ西新井文化ホールで「歓喜の演Vol.21合唱団」の演奏会が開催されました。演奏会ごとに区民公募をかけ、ほぼ1年をかけて練習し本公演に臨みます。
今回は18~19世紀にかけてウィーンで活躍した作曲家ヨーゼフ・ハイドンとフランツ・シューベルトのそれぞれのミサ曲を演奏しました。当日はコロナ禍第8波の情報も出ていましたが、感染予防の対策を十分取りながら、また雨模様でしたが約4割強のお客様に御出で頂き無事演奏を終えることが出来ました。ご協力頂きました関係各位の皆様には厚く御礼申し上げます。
 演奏会後のアンケートでは概ね好評を頂いています。「78年生きてきて本当に良かったと思うとても素晴らしい演奏だった。今までで一番良かった。また長生きして聴きたい」「久々にクラシック演奏を合唱付きで聞くことができ、オーケストラに合わせてのライブは迫力があり素晴らしかった」「足立でミサ曲が聴けるとは思わなかった」「ミサや弦楽器+合唱のコンサートはあまり身近では無かったので生で聞いたのはほぼ初めてでした」「今の暗いご時世に少しでも平和な未来を願いながら聞かせていただいた。有り難う」「スタッフさんがやさしくてよかった」等々。感謝です。
 演奏会プログラムの主催者のご挨拶の一部です。「時代は急速に変化しています。同時に私達の生活様式もいやおうなしに変わらざるを得なくなっています。しかし生きるものの温もり、自然から得る癒し、芸術が人間社会からなくなることはなく、更に求められることでしょう。それは昔も今も日々の生活の中に在り、ひとつひとつの小さな事の積み重ねが信頼をつくり、深く、広く伝わっていくのを感じます。生き生きとした高齢者、実力派の中年層、新しい感覚の若者、エネルギーの塊の子供、公的な支援、みんなが一緒になって相互に理解しあって生きられる社会をここから発信できることを望んでいます。(略)」
 演奏参加者の声にもありましたが、終曲の「Dona nobis pacem.」(ドナ・ノービス・パーチェム)「私たちに平和がありますように」は切なる世界の今、そのものと感じました。

 

令和5年1月

 令和4年の締め括りの月となりましたが、ニュースでは、政府の新型コロナ分科会の会長が軽い倦怠感からPCR検査を受け陽性が判明、しかも一ヶ月前に5回目のワクチン接種を受けたばかりというから唖然です。このウイルスの特徴は検査でしか分からず、風邪を引いた感じもありますが人により症状が様々です。しかもインフルエンザの様な特効薬がありません。
 大抵は症状に違和感を覚え病院に連絡するのですが、そこの発熱外来は予約が一杯で、メールが通じても検査キット(東京都支給)所有の場合は自分で検査、陽性の場合はそのまま自宅療養し、スマホで登録の上経過を報告とのこと。先のニュースの方は随分と恵まれた環境にいたようです。
 そんな折、介護施設でコロナ感染したと思われる高齢者が自宅付近で転び、痛みから自力で動けなくなりました。然るべき相談センターに電話したところ、救急車を呼ぶように言われます。到着次第、車に運ばれましたがコロナの陽性を理由に病院が見つかりません。3時間程待たされ、やっと受け入れ先が見つかり出向き受診して頂きました。しかし、結局入院治療は陰性になるまで出来ないと言われ帰されました。後で別の病院のレントゲン検査で、圧迫骨折だったことが分かります。
 普通に考えれば、まずは高齢者のコロナ感染なのだから、そのリスクを考えコロナ病棟への入院を優先させるべきです。更に、怪我(圧迫骨折)をしているのだから即治療、リハビリが必須です。そんな当たり前の段取りも取り付けられない、今の医療体制に大きな疑問を感じます。
 呆気にとられた数週間でしたが、思い起こせば2019年の12月に外国でこのウイルスの発生の報道があり、国内で伝えられたのは2020(令和2)年の1月でした。結局この3年間コロナウイルス感染の現場では、基本的な対策すら出来ていない現実を目の当たりにします。格差社会の増長をまねきかねない金融庁のウェブNISAのコマーシャルなんかより、感染症対策を当たり前に実行出来る体制づくりを再構築すべきだと強く感じました。

 

令和5年2月

 新春のお慶びを申し上げます。
 2023(令和5)年の一月はあっという間に過ぎてしまった様な気がします。もっともNAOコーラスグループは3月に第25回演奏会があるので、少し気忙しさがあったのかも知れませんが。
 久しぶりにインターネットで配信されている「近藤直子インフォメーション」のお便りを読み返してみました。令和2年の3月からほぼ毎月、新型コロナウイルスの関連について記されています。しかも行動制限につながる政府からの自粛要請の影響について四苦八苦していたことが読み取れます。全国の小中高一律休校の要請が発せられたように、政治家からはパンデミックを抑えるため都市のロックダウンも必要との発言も出ていて、さながら医療現場のパニック、マスコミの過熱報道合戦の様相を呈していました。
 今でこそ、「平時」というような権力筋からの言葉が使われ、行動制限の緩和を求めるような空気になっていますが、実は新型コロナウイルスは「新型インフルエンザ等感染症」と特別措置法の決議を受け、その結果、行動制限や隔離が出来る政策の範疇にあります。しかも当時は普通に社会生活を営む人が家から外へ出るのも危険というような報道もされており、笑い話にもなりません。
 なぜ季節性インフルエンザの対応にしなかったのかとの見解も頷けます。その意味では行動規制へもっていきやすい政策になったことの歴史的な検証をすべきだと思います。
 特に芸術文化活動は規制の矢面に立たされて、多くの公演やイベントだけでなく、普段の練習も自粛要請が出て公の施設が使用出来ず、相当に苦労したことを忘れません。当初は新型コロナウイルスに感染したことで誹謗中傷を受けた方がいたことも記憶に残ります。
 昨年来、感染の第8波のせいか、周囲で陽性になったとのお話を多く伺いますが、命に直接関る病気でもなく、また特効薬も出来ていないので、まずは免疫を確保出来るよう療養されることが急務だと思います。当団も本番が近いので、十分に日々の英気を養い練習にご参加下さい。

 

令和5年3月

 2月はまさに逃げるで、早、桜の開花情報がニュースになっています。
 2023(令和5)年の2月にお誕生日を迎えられた団員の方がいらっしゃいます 。なんと満90歳だそうです。長寿のお祝いで卒寿と呼ばれます。卒の字の新字体は卆で、上下に分けると九と十。コーラスでは年齢に関係なく演奏を目的とした練習を、「新型コロナウイルス対策の新たな段階に移行」の中で実践しています。その際に歌声を揃えることは基本なのですが、90歳にして普通に音程のついた歌声で合唱していること自体、まずは感謝としか言いようがありません。
 また数えますと昭和8(1933)年の生まれなので、子どもの頃に第二次世界大戦に遭遇しているはずです。つまり思春期以降に戦後から現在までの変遷をつぶさに体験されてきたわけです。そのこと自体に敬意を表します。
 人の記憶は様々でしょうが、過ごしてきた原体験のそれは、自身の見目形にも反映されているのではないでしょうか。余談ですが、今の子ども達の体格が巨人の様に見えたりするのも生活環境の変化のためと感じます。
 高齢化社会と言われていますが、過ぎ去ったものを身体に秘めながらその姿を現在に体現されているわけなので、過去がそんなに簡単に風化するものでないことに気付かされます。
 いずれにしても学校を卒業し、就職して実社会に揉まれ、いつしか還暦にまで到達してしまうと、その先の人生に戸惑いを感じてしまうことがあります。そんな折に、なんと30年もの先の人生を無事に生き抜いていて、しかも今、同じ空間で生の声を響かせている光景に出くわすと、唯々驚くばかりです。
 NAOコーラスグループの皆さんからささやかなお祝いのプレゼントをさせて頂いたのは、そうした現実を享受できる喜びからにほかなりません。今後、毎年の様に卒寿を迎えられる方が在団していただけることを期待しています。その都度、ささやかなお祝いが皆さんで出来ることを願ってやみません。

 

令和5年4月

 3月5日(日)午後2時30分より新宿文化センター大ホールでNAOコーラスグループの第25回演奏会を開催しました。4年目の新型コロナウイルス感染防止対策が取られる中での演奏会でしたが、混乱もなく、無事終了できましたのは皆様のご支援ご協力の賜物と感謝申し上げます。有り難うございました。今回は特にアンケートをお願いしませんでしたが、表方を務めた歓喜の演合唱団有志の方々から、演奏会後のお客様の「良かった」と満足されていた声を多く聞いたと伺い、胸を撫でおろしました。
 当日のプログラムに「世界中の日常が変異し、当たり前のことが多くの人の努力で成り立っていることに気が付きます。その多くの人とは個人の集合体であり、一人一人の価値がどれだけ尊く素晴らしいものであるかを、改めて認識いたします。そのことを私達は合唱を通じて肌で感じているように思います」と記しましたが、方向性が同じである様々な年齢の声が重なることは音楽に深みを与えてくれます。声は私達の身体の在り方そのものが響きとなって繋がり合唱となります。普段の練習の時から声が繋がって響きが増幅する喜びをもっと体感していきたいと思います。
 今回の演奏会では、オーケストラも含め、そうした現場でしか味わえない事実に出会えたことが成果となったのではないかと感じています。

 

令和5年5月

 この5月8日からコロナウイルスの政治的位置づけが変わります。つまり「感染症法」上の感染力に応じた1類~5類の分類で医療的な措置が決められるのですが、新型コロナウイルスは5類に移行し、季節性インフルエンザなどと同等の扱いになるとのこと。
 新型コロナウイルスは当初は結核などと同じ「2類相当」だったのですが、措置の内容について政治的な議論があり、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」が作られます。つまり「2類」より厳しい措置がとれ外出自粛要請も出来、更に緊急事態宣言の発出に道が開かれたのです。
 その結果、2020年4月7日に第1回目の緊急事態宣言が7都道府県に発出されました。その時の東京都の新型コロナウイルスの新規感染者数は87人でした(ちなみに今年の4月30日は976人)。当時の緊急事態宣言以降の東京都の感染者数の推移を見ると、一旦収まるかのようにみえて再び広がり、その後そうした傾向はずっと続き、2021年1月に7000人を超え同年1月7日、1都3県に2度目の緊急事態宣言が出され、結局その年は3回発出されます。
 現在はどうかというと、昨年3月21日にすべての地域でまん延防止等重点措置が解除されましたが、同年7月には東京都で1日あたり4万人を突破し、本年も数字的には高止まり傾向です。しかし、行政的には感染上の要請・関与はしないという決定が出され、街中の自由選択のマスク姿を除けばコロナ禍以前に戻った感じです。勿論、新型コロナウイルスは絶滅しておらず、治療薬も開発中なので、過去の事例を十分に把握したうえできちんとした対応をすべきだと思います。

 

令和5年6月

 本年5月7日(日)午後1時30分よりタワーホール船堀の小ホールで「呼吸法による 声を育てるエクササイズ」の第20回研究発表会を開催しました( 写真)。GWの最終日で雨模様でしたが、100名程のお客様に御越し頂きました。当日のプログラムのご挨拶文(抜粋)です。

「声は心と身体に深くつながっています。心や身体が痛むと声に現れます。声に異常があるとき、心や体が無理をしていないか知ることができます。反対に歌っているうちに心や体が元気になることも、声が出にくい時も体を動かしたら声が出やすくなったり、心を軽く、または強く持ったら体が動いたりすることも多くの人が経験しているでしょう。
 声を育てるというのは自身を育てるということでもあります。今の自分に不満も希望も欲望もたくさんあります。人間はみな無いものねだりです。自分に既に備わっているものを忘れて、理想を求めるのです。結果、それが声にあらわれたりもします。
 今までエクササイズで経験した身体と心の感覚を大切に、一瞬一瞬の音の喜びを味わう時、それはきっと声となって表れるでしょう。さあ、今日も自分を信じて楽しむことの修行です」。

 2007年の4月に第1回研究発表会を開催して以来、今回で20回目になりました。当時は、50名程が入るほどの音楽堂で実施しました。以来、劇的ではないにしろ、研究生の皆さんの努力は着実に心身の糧となっています。その自覚を持つこと、それが次のステップにつながります。頑張って下さい。新しくご入会される方も歓迎します。年齢や音楽歴に関係なく、呼吸の応用から、あなたの声を育て、新たな人生の糧を見つけ出す良い機会になるでしょう。
 

令和5年7月

 東京地方が梅雨入りしたのは6月8日でした。この時にフィリピンの東の海上では熱帯低気圧が台風3号に変わりました。少し前の5月にも台風2号がグアムの南東で発生し、6月初旬にかけて日本列島に進路が向かい上陸はしなかったものの、「線状降水帯」による大雨をもたらしました。西日本の梅雨入りが早まったのは台風2号の影響と言われています。台風3号も同様の展開となり、越谷地域では一部の河川が氾濫の水位を超えて避難指示が出されました。
 こうした際に、よくニュースなどで「1時間に○○ミリの雨が降っています」というような表現が使われますが、これは降った雨が1時間かけてその場に○○ミリだけ溜まりますよという計算で、例えば50ミリならば60分の間に5センチの水量に自分の身が浸されている事を言います。
 現象面で言い換えると、1時間に30ミリの雨という場合は、バケツをひっくり返したような様と聞きますが、車を運転していればワイパーは超高速、「ハイドロプレーニング現象」が発生する危険レベルに値します。
 更に50ミリとなれば傘は役立たずで、滝のような猛烈な水量を言うのでしょう。そういう際の天気はやはり自然なので、当然人間に都合良く雨量を測れるように降ってはくれません。むしろ時間や場所などの条件の違いで予測不能に降られる方が実際で、身の危険を感じるような雨の場合は、用心深い人で30ミリ、活動的な人でも50ミリといったところが、安全の目安になるのではないかと思います。
 台風3号では、東京と埼玉県の境の所に流れている小さな川が、泥水となって道路まで溢れ出ている光景を目の当たりにしました。雨は小康状態だったのですが、水の怖さは決して侮ることは出来ないと思いました。まして、洪水となると想像するだけで身の毛がよだちます。日頃からの心がけは欠かせません。

 

令和5年8月

 7月17日(祝・月)、午前7時の時点で東京の気温が30度を超えたというのですから、度を超した暑さです。そんな厳しい暑さのなか、足立区合唱連盟(近藤直子理事長)主催、足立区共催「第23回 海の日ジョイントコンサート」は、ギャラクシティ西新井文化ホールで開催されました。今回は久しぶりに2回に分けての公演です。昼の部は小学校・中学校を主体とした学生と連盟加盟一般団体による無料の演奏会。夜の部は一般団体による有料のものです。酷暑のもとで開催されました。
 昼の部は、随分早くからお客様がお見えになり、入場前の列に並ばれました。この3年間のコロナ禍で、学生たちは演奏会が開催出来ず、残念な思いをしてきた事を関係者からお聞きしていたので、学校の参加は少ないのではと、当初は危ぶまれていましたが、新型コロナウイルス感染症の位置づけがこの5月8日から「5類感染症」となり、感染防止対策などの規制も緩やかになり、締め切り間際になって、参加のご連絡を頂きました。決して十分な準備ができる状況ではない中のご決心に感謝申し上げます。
 さて、昼間の部では、例年、指定の席を設けて、他の団体の演奏を鑑賞できるようにしています。お客様も多数ご来場いただき、場内はほぼ満席でした。久しぶりの賑わいに、連盟の関係各位にはコロナ禍以前の感覚が少しずつ戻り、表方も裏方もそれぞれに卒なく役割を果たせたものと思います。いずれにしても、これは夜の部も含めてですが、大過なく無事に演奏会をやり遂げたのは素晴らしいことだと思います。
 また、参加団体のそれぞれの演奏も曇りが無く生き生きとしていたのには驚かされました。いつになくホールに響き渡る歌声に、よくぞここまで練習の質を上げたものと感心しました。
 連盟では、次回に向けて反省会を行い、また課題を改善していきます。毎回演奏を聴く度に、こうした文化活動を継続していくことの大切さを身に染みて実感しています。

 

令和5年9月

 8月26日(土)、「すみだ音楽祭2023~向こう三軒両どなり、あなたの隣の音楽家~」の2回目の公演がすみだトリフォニー小ホールで開催されました。午後2時30分からすみだ区合唱連盟の出演希望団体による各舞台があり、東京ベートーヴェンクライス(近藤直子指導、増田佳代伴奏)から始まりました。当合唱団は東京スカイツリー開業の2012年に、すみだトリフォニーホール大ホールのベートーヴェン作曲「祝典劇≪献堂式≫」の演奏会がきっかけで結成された合唱団です。当初は大勢の方が参加されましたが、高齢化のため徐々に微減し、2020年からのコロナ禍で激減しました。
 今回の演奏会では8人のメンバーにより、ウイーン等で活躍された作曲家のクラシックの名曲を合唱しました。ヨハン・シュトラウスⅡ世の「ウイーンの森の物語」から始まり、モーツァルトの「春へのあこがれ」、ブラームスの「円舞曲」、ベートーヴェンの「Ich liebe dich」、シューベルトの「野ばら」、メンデルスゾーンの「歌の翼に」「秋の歌」などを合唱し、最後はヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」で会場の皆様の手拍子と合わせ楽しく歌い切りました。曲間の近藤先生によるMCも評判で、40分の演奏会の潤滑油としての役割を果たしてくれました。
 会場には、NAOコーラスグループや歓喜の演合唱団、声を育てるエクササイズの研究生、一般参加者など沢山の関係者たちにお越し頂き大変感謝しております。合唱の高齢化は、発声や発音、音程、リズムなどどれをとっても身体機能の衰えとの相克があり、果たしてお客様の鑑賞に堪え得るものかが心配でしたが、演奏後の皆様の感想には勇気づけられるものが多くありました。
 お昼前には墨田区の上空に雷雲が通り一時大雨になり心配しましたが、開場の頃には晴れ間も覗きホッとしました。雨降って地固まったのでしょうか?

 

令和5年10月

 先日コーラスの練習の後で、ある団員から「近藤先生の声が下の方で聞こえました」と感心したように話されたのをたまたま聞きました。勿論スピーカーを下に置いていたわけでもなく、指導の一環として、あるパートの歌い方を実践された際のことだと思います。
 でも、そのような耳をもった団員がいたのは実に素晴らしいことです。普通、声は口から発せられるので身体のどの部分から声が響いているかなどと指導され、意識を持つことは稀です。それが聞き取れていたようです。
 よく先生から足元、かつ座骨を含めた下半身にまで意識を持たせて歌いましょうと指導がありますが、現象面では下から声が立ち上る様子を言います。歌の表現だと、歌詞があるとどうしても気持ちが上方に向かい、力が入ってしまうことがあります。また、クラシックの楽譜にはよくメリスマが出てきて、音符が沢山つながる箇所が連続している場合には、まるで思考力が試されているみたいで、一音ごとに首を振って歌っている光景も見受けられます。
 どうしても音は上ずりやすい傾向があるようです。そこを座骨回しみたいなエクササイズでは、執拗に身体とどう結びつけて音を振動させるのかを繰り返し練習します。ご自身の身体なので、体得するのもご自身であり、周りの方の声が理想的になっていても、ヒントは多くあるでしょうが、最終的にはご自身で見出すほかありません。
 ただ、ご自身のなかで歌声の響き方を幾つか経験していくうちに、自然と他の方の声の響きを聞き分けられるようになります。下の方から立ち上がる声も、元々は声帯から発せられているわけで、響いて来る音の通り方をご自身の身体で体験しその伝道の様を会得していくことがふだんの合唱練習では必要です。
 最近は介護の現場で身に着けた身体の効果的な動かし方を指導に取り入れている先生に、何とか応えようと皆さんがそれぞれに奮闘されているのが分かるNAOコーラスグループです。

 

令和5年11月

 合唱祭のように多くの団体が舞台にのる演奏会を作り上げるのは大変なことです。まずは、各団体に等しい練習時間と出演時間への導線に無理がない事。複数の合唱団に所属している人も多いため本番の時間が重なってしまわないようにスケジュールを組むこと。人数に適した練習場所にすること。階段が使えない人がいるか確認も必要です。まるでパズルを作るような作業から始まります(AIなら簡単にできそうですが、人の作業です)。そのすべてを網羅して初めてタイムスケジュールが発表されます。単独のコンサートと違って不便なことが多々ありますので、団体間における意思の疎通と協力が必要です。その上、多くの公共ホールには十分な楽屋の数がありません。着替えも食事も、出演するものにとっては過酷な環境と言わざるを得ない状況下で演奏に臨まなければならないのは皆さんご存知の通りです。そんな中でも精一杯のパフォーマンスをしている全ての合唱団に大きな拍手です。
 出演者だけでなく、ご来場されるお客様への対応も不可欠です。それが徹底されたのは、5類に分類される前のコロナ禍においてでした。マスクの着用から消毒、検温、3密の防止など、通常でもチケットのチェック、プログラム渡し、客席の扉への誘導などがあるので、二重の配慮や気配りを必要とされた事態でしたが、何とか乗り切れたのも事実です。
 さて、先日の第43回足立区合唱祭の出演、お疲れ様でした。ホールロビースタッフとしてお手伝い下さった方、交換メーセージを書いて下さった方、有難うございました。出演だけでなく、表方、裏方として全参加団体の協力のもと運営されているのが、足立区の合唱祭の良いところでもあります。すべての団の方が一生懸命その役割を務めてくださいました。また、観客として最後まで聞いて下さった方も多く、それは演奏にそれぞれの団の魅力があったことの証だと思います。皆さんはどのようにお感じになりましたでしょうか?
 さて10月最後の演奏会、See you soon公演も全力で舞台を務めたいと思います。少しでもお客様にBachの音楽を楽しんでいただけるように、私たち自身も楽しめるように、出来る限りの準備をいたしましょう。その努力はきっと通じることと思います。

 

令和5年12月

 「声を育てるエクササイズ」も現在の体制になってから20年近くになります。このレッスンでは、カルチャーセンターのように限定された時間の枠組みの中で、結果を出すのとは少し異なっています。というのも、歌の技術のハウツー講座ではないからです。
 ともすれば結果を求めがちになり易いところを、あえてその過程を楽しみながら自分の呼吸や身体と向き合い、身体の声に耳を傾ける作業から始めます。そこでは意識下にある心の奥底にある自分でも知らなかった自分と出会うこともあります。それに伴い不安や安心、喜び、悲しみなどの感情が自ずと現れるかもしれません。出来た、出来ないとは異なっているのです。
 声とは自分そのものの表れなのです。歌の出発点は呼吸と声です。まずその原石を見つけ育てていきます。その出発点(落ち着いたありのままの自分)を持つことでその先の世界(歌へのアプローチ)が変化していきます。歌に何か問題が起こった時この原点に戻れるかどうか、原点を持っているかどうかが大きな違いになります。ある人にとっては簡単で、ある人にとっては難しいことかも知れません。
 結果を求めず、身体の声に耳を傾けて基本的なことを積み重ねていく、自分の不満はどこにあるのか、どうなれば満足なのか、何がしたいのか、そのためには何が必要なのか、自分にできることは何か、すでに何を持っているか、安心はどこにあるのか、自問自答していきながらトライしていきます。まるで禅問答のようです。答えは身体や声が既に知っています。そこに素直になることです。
 ただし、歌の習得には並行して音楽的な作業も必要になります。なぜなら、歌おうとしている歌を熟知していなければ声の行き先が定まらないからです。どんなに発声が良くなっても歌を知らなければ何もできません。初めて見る楽譜や覚えきれていない楽譜を歌おうとしても不安があり、緊張して、自信をもって自分の声をメロディに乗せることが出来ない場面をしばしば見掛けます。
 この点では話し声も同様で、自信をもって言いたいことがあるときの声は活き活きとして張りがありますが、自信のない時や考えがまとまっていない時は声が小さく不明瞭になります。ところが日常では、無意識のうちに自分らしい落ち着いた声、幸せな声、悲しい声、怒りの声、穏やかな声を充分に使い分けていることにお気づきでしょうか。経験上、ごく自然に周囲から学んでいることなのです。
 さあ、自分自身の身体と呼吸に向き合い、耳を傾け、話したり、歌ったりしてみましょう。気持ちの良い呼吸によって、安心と幸せが既にあることを知るでしょう 。

 

令和6年1月

 本年11月18日(土曜日)に江北地域学習センターで、「荒川放水路の歴史と最新の洪水対策」(足立区・江北地域学習センター共催事業 関東地方整備局出前講座 NPO法人五色桜の会 第14回学習会)の講座が開催されました。講師は国土交通省 関東地方整備局 荒川下流河川事務所 流域治水課 課長 坪野恭久氏です。
 五色桜も「荒川堤」に植樹された、江戸文化にルーツを持った桜の苗が由来です。その荒川は、173kmに及ぶ一級河川で、秩父山地の甲武信ヶ岳(標高 2,475m)の山麓に源流があり、秩父盆地を通り長瀞渓谷を抜け埼玉県の寄居より関東平野に出て、熊谷、川越、戸田市、東京都との県境を経て、北区の新岩淵水門で墨田川と分かれ、足立区より向きを変え江東区、江戸川区の区界を通り東京湾に注ぎます。古くから荒ぶる川の経緯があり、度々洪水を引き起こしていました。そのため、治水の事業の歴史も併せ持つ河川でもありました。
 現在の荒川の下流は明治43年の大洪水が引き金となり、流路を変える放水路開削事業として明治・大正・昭和を経て完成された放水路です。この新しい流路になってから、下流では洪水が起きたことはなく、関東大震災の翌年に通水してから2024年で100周年を迎えます。昨今では、温暖化による気象異変により各地で洪水の被害のニュースがあり、五色桜の故郷でも関心が高く講座も定員を超える申込がありました。会場のセンターのインスタグラムでは「大変勉強になった」「改めて家族で会議を開きたい」などのコメントも紹介されています。特定非営利活動法人 五色桜の会 (goshiki-sakura.jp)で検索してみて下さい。
 12月9日(土)、歓喜の演vol.22合唱団のヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲「クリスマスオラトリオ」(1~3部)の公演がギャラクシティ西新井文化ホールで開催されました。一般公募による団員の一年がかりの練習を経て、晴れの舞台です。当団のお手伝い助かりました。大勢のお客様の来場、「BACHは素晴らしい、オケ、合唱、ソロ、抜群のバランスでした」「舞台上に歌詞が映し出されたのはとても良い」などお褒めのお言葉を多数頂戴し、感謝申し上げます。

 

令和6年2月

 災害のニュースで幕を開けた新年ですが、大寒も過ぎ、ここに来てこの冬一番の寒波が大陸より押し寄せ、被災に遭遇されました皆様には厳冬のなか大変な状況でお過ごしのこととお見舞い申し上げます。
 昨年のこのお便りを見ると、新型コロナウイルスが5類に分類される前で、いろいろの制約が未だ課せられていることを記しています。ただ、今も新型コロナウイルス10波の流行があるようです。変異を繰り返しながら、オミクロン株の一種の「JN.1」という変異ウイルスが世界的に増加しており、決して油断は出来ません。
 さて、新年になり最初の満月を東京地方で見ることが出来ました。アメリカのインディアンに由来するウルフムーンとか。何となく月面に着陸した日本の小型無人探査機「SLIM」に向かって遠吠えが聞こえそうな夜空です。
 程なく暦は、豆まき、立春、初午と進んで行きます。NAOコーラスグループの演奏会も待ったなしです。今回は久しぶりにヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの「レクイエム」を演奏します。世界では、未だ暴力が暴力を呼び起こす悪循環が続いています。メディアからの悲惨な映像や音声に決して「安らぎ」が人類に与えられていない今を痛感しています。今度の震災でお亡くなりになられました方々の追悼と合せ、安寧と安堵の実現を祈念し演奏したいと思います。
 もう一曲はセバスチャン・バッハのカンタータとモテットです。「Herz und Mund und Tat und Leben」(心と口と行いと生きざまが)で有名な147番とともかくテンポの速いモテット6番を演奏します。「アレルヤ」のフーガも聞かせどころです。
 桜の便りもちらほら聞こえて来そうな時期になりますが、大勢のお客様にご来場頂けるよう、もう一声、お声掛けよろしくお願いします。

 

令和6年3月

 当団の令和6年の第26回演奏会は2月23日(金・祝)でしたが、同月2回目の3連休に当りました。当日は寒の戻りで冷たい小雨が朝から降りしきり、出鼻をくじかれた感があります。
 それでも、多数のご来客があり、充実した演奏会を果たすことが出来たと思います。また、元日の能登半島大地震の義援金の呼び掛けも合わせて実施しました。4万5千円を超える金額が集まり、早速、会場のタワーホール船堀の受付の方にお届けし、江戸川区を通じて被災地に寄付させて頂きました(写真)。
 さて、今回の大ホールは初めての演奏会場で勝手が分からず、本番を前に緊張もありました。まず舞台ではGPの際にそれぞれ立ち位置の違いで響きの違いが分かりました。反響板への音の当たり具合の影響です。また、演奏者の楽屋や控え室(4階)の動線の確認や、特に舞台と表方(5階)との連絡が客席を抜けるのが最短と分かったのが、まさにお客様の入場直前でした。
 今回はプログラムもB5サイズでしたので、特にアンケートを配布しませんでしたが、表方をお願いした歓喜の演合唱団有志の皆さんから、終演後のお帰りの際に多くの方々から「良かった」との異口同音の声を頂いたとの報告があり、(やったね)と笑みがこぼれました。
 バッハのモテットは各パートのフレーズのキャラクターが浮き出て、絡まり合う楽しさが伝わったでしょうか? モーツァルトのレクイエムは演奏と字幕の相乗効果があったでしょうか?
 今後の個々の課題としては、歌詞の内容で多彩に変化する音色を作ることが大事だと思います。そのためには普段の練習から積極的に歌詞の意味を深く考え、声にして相手に伝えることを意識する、そのために必要な基礎を疎かにせず練習を重ねていくことが重要でしょう。
 私達の声は日常的に感情や考えによって無意識に変化します。例えば怒っているのか、喜んでいるのか、悲しいのか、疲れているのか、何か後ろめたいことがあるのか、など声を聴くと分かるものです。歌の場合、日常で無意識に使っている声を、意識して使う必要があります。これは芝居と似ています。悲しいと考えてそれを言っても、歌い手がその歌詞の悲しみを感じていなければ、お客様には伝わりません。歌にはドラマが満載です。その声に触れただけで心に響くような合唱をお客様に聴いていただきたいですね。
 3月から新曲の練習に入ります。J.ラターは現代の作曲家です。ハーモニーが多彩です。譜読みの段階から歌声に意識をもって取り組んでいきましょう。